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「ドイツフェスティバル in ぐんま」と淡路島への旅 [国内の鉄道]

 9月23日・24日と鉄道模型と国内鉄道の旅を楽しんだ。23日は朝からひどい二日酔いであったが、何とか起床、上野駅でabeさん、タブレットさんと合流して、7時20分発の草津1号に乗る。幸いにも気持ちの良い秋晴れである。連休初日だが、車内は空いている。普段なら朝のビールを楽しむところだが、今日はとてもその気にならない。2時間弱で新前橋着。

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 新前橋駅からタクシーで10分弱で、「ドイツフェスティバル in ぐんま」の会場である群馬県庁に到着。すでにAkiraさんが到着し、準備を進めていた。メルクリンの展示は複線オーバルとヤードという構成、外周線の片側の直線に架線を張っているうちに、イベントの開始時間になり、見学者が集まってくる。

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 今回は購入したばかりのiPad2で模型を走らせる。こういう展示の場合にはiPadを用いればCSの前に張り付いている必要がなく、とても便利である。
 イベントの楽しみは、来場者の反応である。人気があるのは、煙と音が楽しいSL、そしてICEである。時々、車両に触ったり、架線をつかむ子もいるが、概してマナーは良い。P-zugさん、BOAC VC10さん、阿亮さん、Tさんも集まり、それぞれが持ち寄ったストラクチャやモデルを眺めるのも楽しい。

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 今回の目玉はマイワールドICEである。メルクリンの通常のモデルとは比べるべくもないが、サウンドや前照灯も装備し、メルクリン入門用としては十分に魅力的である。価格もこなれているし、多くの子供が実際に試走させて楽しんでいた。

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 電気機関車や電車を走らせる場合、一部の区間だけでも架線があるとぐっと魅力が増すと思う。パンタグラフが上下する様を眺めるのはなかなか楽しい。

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 私が持ち込んだのは、定番のICE 1とICE 3。運転会でも自宅でも、結局こればかり走らせてしまう。

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 会場で販売中のソーセージやパンも楽しむことができた。

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 17時に閉場、abeさん、タブレットさん、Tさんと共にタクシーで新前橋駅に戻る。特急草津の増結作業を眺め、上野行の普通列車で高崎へ向かい、高崎からはMaxたにがわに乗車、一旦皆さんと別れ、上野で降りて自宅に寄る。着替えを済ませ、荷物を変えて、すぐに出発。東京駅構内の居酒屋に戻り、先ほどの面々と再び合流する。メルクリンを肴に、21時半頃までビールの杯を重ねる。
 居酒屋を後に、9番線ホームに向かうと、既にサンライズ瀬戸・出雲は入線済み。

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 アルコールやお茶を購入して車内へ。今回はサンライズ瀬戸の終点高松までシングルDXの切符を購入してある。指定された4号車26号室は喫煙席であるのが残念だが、清潔なベットの横には、デスク・椅子が置かれ、なかなか広い。洗面台やAC電源といった設備も大変便利である。

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 タブレットさん、Tさんに見送られ、22時に発車する。2階席であるためか、車内は静かで、乗り心地もなかなか良い。流れゆく夜景を肴に、ビールを飲むのもなかなか楽しい。横浜を出ると、次は熱海まで止まらない。随分とアルコールを飲んだので酔いが回ったのだろう、眠気に襲われて、沼津を過ぎ日付が変わろうとする頃には寝てしまう。
 何度か列車の揺れで目が覚めたが、ベットが十分に広いためか、それなりにゆっくりと眠れた。岡山が近づいたころに起床、今日も気持ちの良い天気である。目を覚ますために、シャワーを利用する。使用時間6分は十分な長さだし、シャワー室もなかなか清潔で、気持ち良い。一方、トイレはもう少し何とかならないのか、と思う。
 児島を過ぎると、瀬戸大橋である。朝日に照らされた瀬戸内海はことのほか美しい。

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 坂出を過ぎ、荷物を整理し終えた頃、終点の高松に到着する。先頭車付近で写真を撮る人が多く、なかなかの人気である。

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 駅構内を散歩した後、再び改札内へ。

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 名物の連絡船うどんで朝食を済ませ、8時22分発うずしお3号に乗る。N2000系気動車の2両編成で、自由席は7割方の席が埋まっている。古戦場である屋島を過ぎ、四国らしい海と山に囲まれた車窓風景を眺めるうちに9時15分に板野着。

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 板野からは10分程歩いて、四国八十八箇所・第3番札所である金泉寺に立ち寄る。朝からお遍路さんの姿が目立つ。

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 駅に戻り、10時02分発うずしお5号に乗る。こちらはN2000系の3両編成である。

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 徳島へは15分で到着する。

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 混雑する徳島駅を出て、駅前で高速バスのチケットを購入する。ここからは山陽バスの三宮行で高速舞子へ向かう。

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 10時半に発車したバスは鳴門から高速道路に乗り、大鳴門橋を渡って、淡路島に入る。

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 明石海峡大橋を超え、高速舞子には12時05分に到着する。

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 駅前の展望レストランで昼食を済ませる。太陽が正面から当たって、暑いくらいである。本当はビールを口にしたいが、まだ仕事が残っているので、我慢。

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 13時に再びバスに乗り、明石海峡大橋を超え、淡路島無舞台国際展示場へ。ここで発表を済ませたら、仕事は終了。再びバスで高速舞子に戻り、JR舞子駅から快速で大阪に出る。もう17時である。新装オープンの大阪駅に来るのは初めてである。

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 ここでabeさんと合流し、地下鉄でなんばへ。大阪難波からは18時発、近鉄のアーバンライナーで名古屋へ向かう。入線してきたのは、21000系アーバンライナーPLUSである。個人的には新型の21020系より、こちらの方が好きである。今回は幸いにもゆったりしたDXシートを予約できた。上本町、鶴橋と停車し、DXシート車はほぼ満席となった。

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 アーバンライナーの軽快な走りを楽しむうちに寝入ってしまい、気が付いたら中川の連絡線を過ぎて、津市内を走っている。完全に日は暮れてしまっているが、大学の6年間を過ごした思い出深い津の街を眺める。津を離れて6年半、随分と変化もある。白子・四日市・桑名を過ぎ、木曽三川を渡ったところで先頭部分へ移動。名古屋までの区間は前面展望を楽しむ。近鉄名古屋には20時10分に到着する。

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 名古屋からはのぞみで東へ。品川で下車し、山手線で新橋に行って、Barよしゆきさんに立ち寄る。2日間の締めに、IMAなどのドイツ話を伺い、鉄道三昧の2日を終えたのである。

岡山を巡る [国内の鉄道]

 岡山で年に1度の仕事上のイベントがあり、26日から岡山に滞在した。
 26日は14時50分発、のぞみ113号広島行で東京を発つ。山陽新幹線直通ののぞみは基本的にN700系になっているそうで、この列車もN700系である。

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 本当はビールでも飲みながら旅気分を味わいたいところだが、翌日の発表に備えてに備をする。しかし、こういう時には眠気に襲われてしまい、新横浜を過ぎて、次に気が付いた時には静岡であった。N700系は窓は狭いし、車内の造作も良いとは思えないが、足元が広いこと、電源コンセントがあること、そして静かで揺れが少ないのが良い。名古屋では米野車庫に集う近鉄の特急車両を眺め、京都では美しい東寺を楽しみ、新大阪には定刻の17時26分に到着する。
 岡山が目的地、のぞみ113号も広島行なので、このまま乗っていけば良いところなのであるが、私はあえてここで下車。乗車するのは、こだまである。いよいよ2年後の引退が発表された100系に乗ろうというわけである。
17時38分発こだま761号博多行は100系K60編成、新大阪駅の隅にある20番線から発車する。

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 指定券を取っていたが、ガラガラの2号車自由席(126-3044)に座る。N700系の270km/h運転から220km/h運転に変わるが、それでも案外スピード感はある。新神戸でも乗降は少なく、空いたまま。西明石からは降りる乗客の方が多い。一部のぞみも停車する姫路は比較的多くの乗客が降りていく。姫路城天守閣は修繕工事中とのことで、近くにクレーンが立っていた。姫路では10分停車である。程なくして、停車しているホームの反対側に、試運転列車が入線してきた。N700系であるが、どこか見慣れないと思ったら、何と九州新幹線直通用車両である。九州新幹線の全面開業に備えて、試運転中なのであろう。せっかくなので写真を撮っておくことにした。

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 こだま761号は次の相生でも5分間の停車、のぞみやひかりレールスターに次々に抜かれるのは、こだまの旅の醍醐味である。すっかり暗くなってきた頃、19時01分定刻に岡山に到着した。初日の夜は、岡山に単身赴任中の父と居酒屋に入り、タコなど瀬戸内の魚介を楽しんだ。

 27日は朝一番で発表を済ませ、メインの仕事は終了、あとは勉強の時間である。とはいえ、話を聞き続けるのも疲れる、と言い訳して、15時30分頃に会場を抜け出し、岡山駅へ。15時40分発三原行の普通列車に乗る。車両は115系の3両編成、座席はほぼ埋まっている。

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 コンテナが集結するJR貨物西岡山駅を眺め、北長瀬、庭瀬、中庄と止まる。それほど標高の高くない山や丘に囲まれた山陽地方らしい車窓風景の中を、90km/h程で進み、倉敷には15時56分に到着する。
 倉敷駅の橋上駅舎を出て、水島臨海鉄道の倉敷市駅に行く。距離はわずかだが、線路沿いの路地にあり、場所は少し分かりにくい。水島臨海鉄道は倉敷市街とコンビナートなど重工業で発達した水島を結ぶ鉄道である。貨物収入の方が多い鉄道であるが、旅客列車も日中でも1時間に2~3本程度は確保され、利便性はなかなかのものである。実際、片面1線の倉敷市駅ホームは、帰宅の高校生で溢れかえっていた。
 間もなく到着した列車はMRT300形2両編成である。MRT300形は水島臨海鉄道が独自に導入した新潟鐵工所製NDCシリーズの気動車、塗装は2種類あるが、乗車した車両は2両ともひまわりが大きく描かれている.

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 座席が全て埋まっているので、最前部でかぶり付きを楽しむことにする。列車は16時05分定刻に発車、倉敷駅構内を抜け、山陽本線とも分かれる。水島臨海鉄道は駅間距離が短く、スピードも最高60km/h、実際にはせいぜい50km/hしか出さず、ゆっくりゆっくりと走っていく。

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 2両編成の列車のため、車掌が乗務しており、各駅で集札も行うが、それものんびりとしたものである。しかし、設備はローカル鉄道と侮るなかれ、単線ながら行き違い駅は多く、ロングレール区間まである。貨物列車との行き違えのため、駅構内の交換設備が非常に長いのが独特で面白い。弥生からは高架区間となり、栄、常盤と止まって水島に到着する。

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 水島からは港頭線という貨物専用線が分岐している、こちらは右に大きくカーブしながら地上に降り、終点三菱自工前に16時32分に到着する。ここまで10.4kmの旅である。

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 私を含め、わずかに残った乗客を降ろした列車は800m先の倉敷貨物ターミナルに引き上げていく。まだ4両が現役の元国鉄キハ20が止まっているのも見える。

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 三菱自工前は片側1線の、細いホームがあるだけの駅、周囲は工場に囲まれている。以前は大半の列車は水島発着で、朝夕のみ三菱自工前まで旅客列車が乗り入れていたが、今は大半の列車が三菱自工前発着とされている。しかし、それでも利用客は少ないようだ。

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 折り返しの列車は先程と同じ車両だった、私の他に1人、計2人を乗せた列車は16時44分に発車する。MRT300形の車内はロングシートとクロスシートが千鳥式に配置されている、混雑に対応しつつ、座席定員も確保するということであろうか。

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 水島でそれなりに乗車があり、車内は少し華やかになった。私は16時51分着、栄で下車する。このような無人駅で降りたのは、消防署の隣という防災上はこれ以上ないくらいの好立地でラーメン屋を開いている伯父・伯母に会うためである。父の出身地でもあるのだが、岡山はやはり遠く、本当に久しぶりの訪問である。昔ながらの古めかしい店構えのお店で、ビール2本と、とんかつ入りチャーシューメン大盛り、餃子2枚をご馳走になる。私はこういうシンプルな味のラーメンがやはり好きである。伯母に倉敷駅まで車で送ってもらい、山陽本線で岡山に戻る。115系に乗り、夕暮れの風景を眺め、岡山に到着したのは19時30分になろうとしていた頃であった。この後は職場の仲間で宴会である。

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 28日は朝から真面目に勉強、しかし、13時にセミナーが終わると、しばらく暇な時間がある。そこで今度は岡山電気軌道に乗ることにする。岡山駅前の電亭に行く。岡電自慢の新型トラムMOMOは今日は運転日でない模様、それでも東山線に乗り、終点まで行くことにした。車両は7901、何となく都電に似ている。私と同じイベントに参加する人も多く乗っており、城下で降りて後楽園や岡山城に向かうようであったが、私は終点の東山まで乗り通す。途中ですれ違った3000形は元東武日光軌道線の1000形、どうせなら、そちらに乗りたいが、そこまで待つ程の時間はなく、今回は断念せざるを得ない。最初は座席が埋まっていたが、岡山最大のデパート、天満屋などがある県庁通りを過ぎるとかなり空く。市内をゆっくりと走り、20分ほどで東山に到着する。

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 東山は車庫を隣接している。中を眺めると、日光軌道線時代の塗装に復元された3000形が停車していた。独特の岡電のパンタグラフをみて、岡山駅に戻ることにする。折り返しも同じ7901、吊り掛けモーターをバックに、市内の風景を眺めながら岡山駅への旅をゆっくりと楽しんだ。

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 午後の予定を終え、まだ時間があったので岡山駅に戻る。急いで自由席特急券を購入し、しおかぜ21号に乗る。車両は2000系気動車、アンパンマン列車である。指定席はいっぱい、自由席も空席がわずかに残るのみで、何とか通路側の席を確保する。ディーゼルエンジンの音を響かせながら発車、児島を過ぎ、トンネルを抜け出るといよいよ瀬戸大橋である。瀬戸大橋はさすがに各所に経年を感じさせるが、車窓から瀬戸内海を見る迫力はやはり格別である。惜しむらくは、鉄柱に視界を邪魔されてしまう点か。

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 宇多津でしばらく停車し、高松発いしづち25号の接続を取り

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 次の丸亀には18時17分に到着、私もここで下車する。

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 JR四国の車両を眺めながら待っていると、程なくして、しおかぜ26号が到着した。こちらはJR四国のフラッグシップ、8000系である。

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 定刻の18時30分よりもやや遅れ気味に発車したが、宇多津で高松行いしづちを切り離す間に遅れを取り戻したようだ。自由席はほぼ満席、最後部のデッキで、再び瀬戸大橋からの眺めを楽しむ。

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 児島で若干の下車があり、通路側ながら座ることができた。8000系はあまり面白みはないが、なかなか乗り心地の良い。岡山には19時11分定刻に到着した。再び岡電に揺られ、県庁前に行く。ここで父と待ち合わせ、ホルモン焼きでお酒を飲み、1日を終えたのであった。

 29日は、仕事は午後からにして、祖父母のお墓参りに行くこととした。岡山発9時13分の三原行普通は115系で、倉敷まで20分ほどの旅である。倉敷からは水島へと向かう両備バスに乗り、竜の口で下車、こから徒歩20分ほどのところにある霊苑で墓参を済ませる。バスは概ね30分間隔だが、帰りは適当なバスがなく、さらに10分ほど歩いて福井駅から水島臨海鉄道に乗る。車両はMRT300形の単行、こちらはワンマン運転である。

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 座席がかなり埋まっており、やはり最前部でかぶり付く。10分ほどで倉敷市に到着する。

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 倉敷から岡山へ、もっとも早く出発する列車は11時27分発やくも10号である。特急に乗るような距離ではないが、やはり、貴重な機会ということで、特急券を購入する。やってきた列車は381系の中でもリニューアルされた、ゆったりやくも編成である。

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 座席と窓割があっていないのが気になる点ではあるが、座席そのものはかなり快適である。岡山まではわずか11分の旅、11時38分に岡山に到着した。午後からは真面目に勉強、16時前に切り上げ、16時14分発のぞみ40号N700系に乗車、岡山滞在を終えたのであった。

広島・福岡弾丸ツアー [国内の鉄道]

 3月27日朝5時前に起床。前夜は職場の同僚の送別会、2次会があっても24時には終わるはず・・・・であったが、3次会まで開かれ、帰宅した時には3時をとっくに過ぎていた。奇跡的に起きたとはいえ、二日酔いというより、まだ酔っている状態。寝不足も手伝い、気分は最悪である。それでも、何とか身支度をして出発、山手線で浜松町へ向かう。浜松町からはモノレールに乗り換え、早朝でも利用客はかなり多い。
 6時発の空港快速に乗る。最後部の座席を確保できたが、気分の悪さに風景を見る余裕はなく、少しでも寝るよう努める。羽田空港第2ターミナルには20分弱で到着する。ターミナルは思った以上に混雑している。家族連れが多く、土日を利用して出かける人が多いのかもしれない。私の搭乗する6時55分発のANA671便広島行も満席だ。
 保安検査場を通過し、搭乗口の前に行くと、程なく搭乗が開始された。空港に向かいながらかなり水やお茶を飲んだおかげか、気分はいくらかましになってきた。ANA671便はB767-300による運航、指定され40A席は後部左窓側である。ほぼ時間通りに滑走路へ向かい、それほど待たされることもなく、順調に離陸した。針路を西向きに向けると、雲海の中から富士山が美しく姿を現す。

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 この後の行程も考え、しばらく眠る。目を覚まして外を見ると、中国地方らしい山がちの地形の先には瀬戸内海が姿をみせていた。

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 徐々に高度を落とし、8時20分過ぎに広島空港に着陸、強い季節風の影響で少々遅れた。

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 混雑する広島空港のターミナルを出て、広島駅新幹線口行のリムジンバスに乗る。バスもほぼ満席だが、最後部に座ることができた、8時40分前出発、すぐに中国自動車道を西へ向かう。山に囲まれ、高速道路も起伏が激しい。バスの車内は静かそのもので、休んでいる人がいようだ。高速道路を下り、しばらく広島の市街地を走る。新幹の高架が左側から近づいてきて広島駅前に到着したのは9時20分であった。
 まず、これから乗車する予定の新幹線の切符を買う。おそらく自由席で大丈夫とは思うが、念のため指定券を取った。新幹線の発車まではまだ時間があるので、広島の市街を散策することとした、
 広島といえば、路面電車である。駅の正面からは次々と路面電車が発車していく。最新型の5100形Green mover maxの広島港が停車中であった。5車体連接構造の車体はほぼ満員の混雑、広島市民の足として広電が定着していることがよく分かる。そこへ5000形GREEN MOVERが到着した。5100形は国内製だが、5000形はSimens製のCombinoである。当然ながら5000形を待つことにした。

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 折り返してきた5000形宮島口行は座席が全て埋まり、立客も多く、やはり乗車率は高い。すぐに発車、市街地の中心街へと進んでいく。広島市街のメインストリートを走るだけに、自動車の交通量も交差点も多く、しばしば信号待ちをし、スピードもあまり出ない。それでも、久しぶりのヨーロッパ型のトラム、乗り心地や音を味わうのは楽しい。それに窓が大きく、明るい車内は気持ち良い。

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 すぐ前を走る広島港行Green mover maxを追いかけるように走るが、紙屋町で広島港方面は左へ分かれていく。私は原爆ドーム前で下車する。

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 原爆ドームを見て、厳粛な気持ちにさせられる。しばらく、静かに時を過ごし、再び原爆ドーム前から広島駅行の電車に乗る。今度は国内製の単車であった。紙屋町東で下車、ここで次々に行き交う路面電車を眺めることにした。

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 再びやってきた宮島口発の5000形GREEN MOVERに乗る。車内に掲げられたSiemensの文字が嬉しい。

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 どうやら、5100形は主に広島港への1号線、5000形は主に宮島口への2号線と使い分けられているようだ。今度は5000形で宮島までゆっくりと旅をしたいものである。
 広島駅前に戻ったのは10時30分前である。酔いもすっかり取れ、駅をしばらく見て回ったところで、新幹線ホームへ向かう。空腹感を覚え、新幹線改札を入ったところで駅弁を調達する。広島といえばカキかアナゴ、かなり迷ったが、結局「しゃもじかきめし」を選択した。ホームに上がると、10時59分発のN700系のぞみ7号博多行が到着、驚くほど多くの乗客が降車してきた。この列車に乗ると、12時06分には博多に到着できるが、敢えてやり過ごす。追いかけるように11時6分発のぞみ9号も到着、やはり大量の乗客を降ろして発車していくが。
 まもなく、遠くから細長い二灯の前照灯が近づき、こだま825号が11番線に入線してきた。車両は100系K58編成(6両編成)である。そう、今回の旅の目的の一つは、この100系に乗車することである。数ある新幹線車両の中でも、100系には特別に思い入れがある。当初、私は0系が好きで、むしろ100系は嫌いであったが、ある時に父の実家がある岡山から東京へ100系に乗車した時、その印象が全く変わった。0系に比べ鋭くて、どこか優しい前頭部、大きな側窓、そして威容を誇る2階建て車は、新幹線を代表する車両にふさわしかった。2階部分にある食堂車からの眺望も楽しく、非常に強い印象を私に残した。以来、私は新幹線に乗る時はいつも100系、それも食堂車付きのX編成かV編成を好んで選んだ。大学で三重県に住むと、東京・名古屋を往復する機会が増え、100系ひかりは本当によく利用した。しかし、100系は程なく、こだま運用が中心になり、ついには東海道新幹線から姿を消した。2階建て車両を4両連ね、抜群の存在感を発揮したV編成「グランドひかり」も引退し、2階建て車両が抜かれて山陽新幹線こだま用に編成が短縮されてしまった、
 鉄道車両の美しい姿は、当たり前に走っている時だと思う。東京駅を100系が次々に発着する黄金時代を知る身には、こだま用の4両か6両編成の100系は哀れで、見る気にもなれないでいたが、500系のこだま転用で今後の100系も廃車が進む可能性があることに気がつくと、無性に乗りたくなった。そういう気持ちにさせられるのも、100系への思い入れが特別だからである。とはいえ、山陽新幹線のこだまに乗る用事などそうそうあるわけではなく、ずっと機会をうかがっていたのであった。

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 広島駅の各乗車口にはそれぞれ10人以上並んでいたが、車内に入ると1号車は窓側がほぼ埋まっているものの、他の車両はガラガラであった。私は唯一の指定席車である4号車に向かったが、空いている自由席車両の3号車に腰を下ろした。
 現在の100系は全車普通席のモノクロス編成であるが、V編成・G編成のグリーン席の腰掛を再利用している。100系の腰掛は、軽量化のため安っぽくなった最近の新幹線の腰掛とは異なり、実に座り心地が良い。
 11時13分定刻に広島へ発車、最高220km/hで西へと向かう。山陽新幹線はトンネルも多いが、最近の新幹線車両にはない大きな窓から、東海道新幹線とは雰囲気の異なる車窓風景を眺めるのもなかなか楽しい。

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 「しゃもじかきめし」を食べ終わると、まもなく新岩国に到着する。ここで、こだまの本領発揮?のぞみ通過待ちとはいえ、12分間も停車するのである。新岩国には錦帯橋に近いとはいえ岩国市街とは遠く、東海道・山陽新幹線では最も利用客が少ないだけのこともあり、乗降は少ない。ようやく通過したのぞみを追いかけるように発車すると、錦川鉄道の線路を越える。100系の最高速度220km/hはN700系の300km/hに比べて随分と遅いが、思ったよりもスピード感はある。瀬戸内海が近づいてくると、徳山である。こちらは周南市の中心部に位置し、石油コンビナートやフェリー乗り場(徳山下松港)などが並び、随分と発展している。乗降も多い。

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 徳山は4分間の停車で発車する。ガラガラの車内は静かそのもの、スピード感も控えめで、空調音だけが車内に響き、のんびりした空気だ。初めての山陽新幹線の車窓を眺めたり、本を読んだりと、まるでローカル線に乗っているかのように、ゆったりと旅を楽しむ。のぞみの一部がひかりレールスターも停車する新山口は珍しく1分間の停車で発車、次が東海道・山陽新幹線で最も新しい駅である厚狭である。厚狭駅は元々の複線の外側に対向式ホームを2面2線で増設した構造で、通過線には高架橋の防音壁がほとんど残り、駅が後から設けられたことがはっきりと分かる。厚狭では9分停車、一旦ホームに降りて、先頭部から100系を眺める。

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 改めてじっくり眺めると、随分と車体が老朽化しており、塗装がはげて補修された部分や、塗装の一部に細かい亀裂が入っている部分がみられる。しかし、洗練されたスタイルは健在、正面から眺めると往時の活躍ぶりが鮮やかに甦る。
 厚狭の次は本州最後の駅、新下関である。駅周辺は観光地らしい、何となく洒落た雰囲気である。ここでも5分停車、再びホームに出て、今度は最後部から眺める。

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 100系K58編成の殆どの車両がグランドひかり用に最終増備されたV9編成の車両をルーツとする。1991年製だから、まだ14年。外観からは各所に経年変化が感じ取れ、新幹線運用の苛酷さが伝わってくるが、車内は比較的きれいである。実は現在の100系はこだま化の際に、全車普通席とされ、2+2列配置とされており、腰掛はウエストひかり用0系の普通席、100系G編成・V編成のグリーン席、100系V編成2階建車両の1階普通席のものを流用している関係で、車両によって腰掛が異なるのである。3号車は元グリーン席、オーディオ設備が取り外されていたとは、広さは十分、クッションもよく効き、本当に快適であった。

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 新下関を出発すると、すぐに新関門トンネルに入る。トンネルを出ると小倉駅に到着する。私の九州上陸は高校の修学旅行以来、約15年ぶりである。小倉駅を1分停車で発車すると、右側にフェリー乗り場、さらに工業地帯が並ぶ。

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100系らしい上品な音と揺れとともに、列車は一路博多へ向けてラストスパートに入る。トンネルを幾つか抜け、広島からの旅の中で一際大きな市街地に入ると減速、博多到着のアナウンスが流れ、13時22分博多駅16番線ホームに到着した。私はここで下車するが、列車は博多南まで直通する。本当は博多南まで旅を続けたかったが、今日は時間がないので諦めることにした。広島から2時間09分、のぞみの倍近い時間がかかる、のんびりとした100系こだまの旅は期待以上に楽しいものであった。100系にもう一度乗りに来よう、できればもっと長い距離を乗り通そうと考えながら、100系と別れを告げた。

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 博多駅からは福岡の繁華街である天神へ向かう。福岡市営地下鉄空港線で5分である。混雑する地下鉄で5分、天神駅で下車し、向かうはアクロス福岡内の福岡シンフォニーホールである。
 シンフォニーホールの前には、既に多くの人々が集まっていた。今日のの公演はクリスティアン・ティーレマン指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団によるブルックナー交響曲8番である。14時開演ということで、すぐにホールに入った。

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 100系とこのコンサートが今回の旅の主たる目的なのである。席は1階のほぼ中央であった。ホールは9割方の席が埋まっていた。演奏は緊張感と力強さがみなぎり、大変素晴らしいものであった。
 ティーレマンはヨーロッパではカリスマ的な人気を誇っているという。私は2005年にベルリンでベルリン・フィルとのブルックナー5番を、2007年に東京でミュンヘン・フィルとのブラームス1番、ブルックナー5番の演奏に接する機会があり、今回は4回目であったが、いずれも長大な交響曲を堪能することができた。唯一残念だったのは、余韻を味わいたいこの曲で、終わるか終らないかのうちに「ブラボー」の声とともに拍手が始まってしまったことであった。
 コンサートホールを出ると、16時近くなっていた。アクトス福岡の目の前に広がる天神中央公園では桜がきれいに咲いていた。

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 東京へ戻るまではまだ時間がある。そこで、地下鉄七隈線に試乗すべく、天神南駅に向かうことにした。しかし、天神は地下街が発達しているものの、表示が非常に分かりにくい。表示に従って駅に向かうと、電器店に入り、その先はどこへ向かえば良いのか分からないのである。福岡の自慢の施設のはずなのに、導線があまりに貧弱でがっかりした。すっかり遠回りさせられて、ようやく天神南駅に着いた。
 七隈線は2005年開通、天神南駅もまだ新しいだけに非常に綺麗だ。それだけでなくユニバーサルデザインが徹底され、非常に分かりやすい。トータルデザインの完成度の高さという点では、他の地下鉄を圧倒している。ホームに降りると、まもなく橋本行の電車が入線してきた。外観はどこかで見たことのあるスタイリング・・・・何のことはない、デザイナーはアレクサンダー・ノイマイスター、明らかにDesiroやTalentに通じるものがある。車内も、天井や連結面 (木目調の壁と大きなガラス扉)など、随所にノイマイスターを感じさせる。そして、地下鉄でありながら運転室は仕切りで区切られているだけで、前面展望が楽しめるのも嬉しい。ATOを装備し全自動運転で、先頭部にのみ監視するための運転士が乗務しているが、最後部の運転席は運転機器が収納され乗客が座ることも出来る。

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 七隈線は他線との乗り入れは考慮されておらず、鉄輪式リニアモーター駆動が採用されており、車両の断面も小さい点では、都営大江戸線に近い。しかし、大江戸線は私もよく使うが、乗り換えがどこも不便なのは仕方がないとしても、車内が狭くて圧迫感を感じるし、どこを見ても安っぽい。職場で大江戸線も話になった時も、狭くて暗いから使いたくない、という声を耳にする。それに比べて、七隈線は狭いという印象は全く受けない。むしろ開放的で明るく、実に快適である。気になって調べたら、大江戸線用12-000形は幅2,498mm、一方七隈線用3000系は幅2,490mmと、わずかながら3000系の方が幅は狭いのである。鉄道車両の快適さは、決して数値だけでは評価できない要素があることを改めて感じると共に、非常に制約された中でも、デザイン次第でこれだけ素晴らしい鉄道車両を作り上げられることを実感したのであった。

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 七隈線には3駅目の薬院まで乗って折り返し、天神南に戻った。七隈線のイメージカラーでもある緑色の制服を着た駅員も挨拶を欠かさず、極めてスマートな対応。今度は終点までじっくりと七隈線の旅を楽しみたいものである。
 時間は17時、福岡の名物でも食べようか、というわけで、天神から地下鉄で中州川端へ移動した。繁華街はまだ時間が早いせいか、営業開始前の店が多かったが、そんな中で見つけたお店で名物モツ鍋を味わう。美味しいしビールも進むが、ニンニクたっぷりで翌日の仕事を考え、控えめにせざるを得なかった。
 中州川端から地下鉄空港線に再び乗り、博多駅で下車する。特に目的があるわけでもなく、駅周辺を散歩。ラーメン店は東京でも多いが、モツ鍋を出す店の多さには驚く。個人的には、水炊きの方が魅力を感じるが、モツ鍋の人気の程がうかがえた。
 まだ時間は十分にあったが、再び地下鉄に乗り、福岡空港へ向かった。博多からわずか5分、世界でもこれだけ市街地に近い空港はなかなかあるまい。地下鉄を出ると、ターミナルビルは案外小さく、駐車場を挟んだ反対側は住宅地であった。ターミナルビル内でお土産を調達しているうちに、ラーメンが無性に食べたくなった。私はとんこつラーメンは本来好きではないが、思った以上に美味しかった。
 早めに保安検査場を通過し、搭乗口の前で生ビールと共に待つ。6番スポットにB777-200が到着、これが私の搭乗するANA270便となる。予定では19時50分発であるが、羽田空港周辺の空域の混雑の影響で出発が遅れるという。機内に入ってからも中々機は動かず、結局離陸したのは20時25分過ぎであった。

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 水平飛行に入ったところで、白ワインを購入する。500円でミニボトルとおつまみのセットになっているが、案外おつまみが充実している。酔いが回ってきたのか、さすがに疲れもあり、落語を聞いているうちにいつしか寝てしまい、気が付いたら飛行機は高度を落とし始めていた。東京湾上空を旋回し、羽田空港に着陸したのは定刻より20分以上遅い21時40分過ぎであった。
 東京モノレールの区間快速は空いていたので、先頭の席を確保できた。夜景を眺めながら、20分ほどの旅である。浜松町からは山手線、最後の最後に秋葉原で緊急停止信号のため足止めとなったが5分ほどで運転再開、次の御徒町駅で下車した。時間は23時前になっていたが、行きつけの韓国料理店での会合に誘われていたのでちょっと顔を出し、帰宅した時には0時30分を過ぎていた。

足尾弾丸ツアー [国内の鉄道]

 今年になって、いろいろと用事が多く週末も出かける機会がなかったが、今日は久しぶりにabeさんと弾丸ツアーに出かけた。朝から大宮で仕事上の集会があり、少し参加した後、11時にabeさんと大宮駅で待ち合わせ。
最初に乗車したのは東武野田線である。野田線を走る8000系電車は私鉄で最も多い712両が製作された。私も子供のころからずっとお世話になっており、最も馴染みの深い車両であるが、最近は廃車が進んでおり、昨年末をもって伊勢崎線の浅草口から撤退、私の実家近くを走ることもなくなった。古さは隠せなくなっているとはいえ、さびしい限りである。しかし、野田線は全列車が8000系による運転で、まだまだ健在である。

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東武野田線8000系とJR宇都宮線を鬼怒川温泉へ向かう東武スペーシア

 11時08分発の柏行は空いていた。8110Fは最も初期に造られたグループ、廃車もそう遠くないかもしれない。大宮公園で宇都宮線と別れ、列車はこまめに停車しながら住宅地の中を走る。車両の内外に古さは隠せなくなってきているが、乗り心地は相変わらず良い。人形の街であり、野田線の拠点駅の一つ、岩槻を過ぎ、春日部には11時29分に着いた。
 春日部では11時33分発、スペーシアきぬ111号鬼怒川温泉行に乗り換える。車両は100系105F、東武鉄道の看板車両も登場してから20年を迎えるが、古さは感じさせない。正面にはYokoso Japanのロゴが付いている。

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(abeさん撮影)

 車内は満席の混雑、abeさんは3号車、私は2号車と分かれて座る。売店に行くと、残念ながら弁当類は全て売り切れ、仕方がないので、焼きそば・シューマイと生ビールを購入する。電子レンジで温めるだけの冷凍食品だが、シューマイはなかなか美味しかった。観光客で満員の車内は賑やかな雰囲気、アルコールを口にする人も多い。座席は大柄で座り心地も素晴らしいが、一列前の座席から圧迫感があるのも事実。今の車両なら、もっとコンパクトなものになるだろう。各部の装飾も手抜きがなく、高級感を演出している。登場から20年経っても、特急車として揺るぎない地位を保つだけのことはある。
 スペーシアは関東平野を快走し、30分ほどで栃木に到着する。本来はここから両毛線に乗り換える予定であったが、大宮で会った時に急遽予定を変更し、このまま下今市まで乗り通すことにした。栃木で若干の降車があり、3号車に移動してabeさんと合流する。天気は快晴、車窓は農村の風景が広がり、男体山など日光の山々が美しい。

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 新鹿沼を過ぎ、杉並木が現れるとまもなくして下今市に到着する。12時39分である。
ホームの向かい側に停車中の6050系2両編成の東武日光行に乗り換える。スペーシアから東武日光行乗り換える客は案外少なく、大半はこのまま鬼怒川温泉方面に向かうようだ。
 東武日光まではひたすら上り勾配が続く。車窓も山岳路線の体をなす。

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 JR日光駅を左手にみて、12時49分東武日光駅に到着する。

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ここで昼食用の駅弁を調達、私は「ゆば御膳」「日光鱒寿し」を購入する。早速日光観光へ繰り出す・・・・わけもなく、駅前から13時01分発の日光市営バスに乗る。

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 小型のバスだが、乗客はわずか4人、ガラガラである。最後部に座り、「ゆば御膳」を食べながら、日光の町を眺める。メインストリートを5分ほど走ると、左手に神橋が見える。

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(abeさん撮影)

 このあたりは日光三社寺が集まる観光の中心地、お土産店が並び、人出が多い。バスはいろは坂・中禅寺湖へ向かう国道120号線から離れ、国道122号線を足尾方面へ向かう。山道にはわずかながら雪が残っている。

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(abeさん撮影)

 細尾峠の下を貫く全長2765mの日足トンネルを抜けると、渡良瀬川に沿って走る。わたらせ渓谷鉄道に出会うと、バスは一旦右折し、間藤の町中を走る。道路沿いには間藤の賑わいを紹介する看板が立てられ、実際狭い通りの両側には住宅や商店が並ぶが、多くは廃屋である。渡良瀬川両岸の植物の少ない山の風景、うらさびれた町の雰囲気から、足尾の過去の栄光と現在の衰退を実感させられる。
 間藤駅の先には、貨物専用の路線が足尾本山まで伸びている。この路線は実質的には既に廃線となっているが、わたらせ渓谷鉄道には撤去費用が捻出できないため、扱いとしては現在も休止路線のままである。そのため、旧線跡がそのままの姿で残り、不気味な印象も残す。その貨物線の終点、足尾本山駅付近でバスは折り返す。

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足尾本山駅(abeさん撮影)

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足尾本山へと延びる休止区間

 間藤駅前を過ぎ、再び国道122号線を走る。駅前に保存車両が留置されている足尾駅前を過ぎ、さらに通洞駅前を通って、13時52分銅山観光入口で下車する。abeさんはあまり気が進まない様子であったが、せっかくここまできたのだから、足尾銅山を観光したくなったのである。
 足尾銅山観光に行くと観光客の姿はまばら、私たち以外では年配のご夫婦一組だけだった。チケットを買うと、トロッコ列車に乗るように言われる。トロッコ列車15分間隔の運行である。列車はトロッコ車2両、そして先頭に機関車が連結されていた。まもなく発車、機関車がディーゼルエンジンを響かせ、ゆっくりゆっくりと急勾配を下りていく。

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 勾配を下りきったところで列車は停車、何とここで機関車を切り離すという。

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 その機関車が離れたところで、今度はトロッコ車のみ2両で発車、こちらも動力が付いているのである。予想以上のスピードで通洞口から坑内に侵入、空気が急に冷たくなる。すぐにトロッコは終点に到着する。

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(abeさん撮影)

 この通洞は6km以上続いているというが、観光用に整備したのはごく一部だけなのである。坑道の雰囲気が味わえたし、機関車の解結があったりして、特に鉄道ファンには予想以上の充実ぶりと感じたが、この乗車区間の短さだけは残念であった。
 あとは徒歩で坑道を歩き、展示を眺めていく。基本的には人形を用いて、時代ごとの掘削風景を再現しているだけである。ただ、寒さ、そして天井からしたたり落ちる水から、銅山の様子を実感出来る。銅山全体を紹介する映像シアターもあり、思ったよりも面白かった。

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 展示室を出ると、先程乗車したトロッコ列車が機関車を解結する場所であった。ちょうど、わずかな観光客を乗せたトロッコ列車が通洞の中へと吸い込まれていった。

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乗客を降ろし通洞から出てきたトロッコ列車


(abeさん撮影)

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保存車両

 せっかくなので、このトロッコ列車を観察していたら、驚くべきことに気がついた。機関車を連結した急こう配区間はリンゲンバッハ式のラック鉄道なのであり、機関車はこのラックレール区間用に連結されているのであった。こんな短い区間なのに、ラック鉄道に乗れて、機関車の増解結まで見れて、、、と充実した鉄道シーンが展開されるのは全く予想外、銅山観光にあまり乗り気でなさそうだったabeさん共々大喜びし、次の列車がやって来るまで待って、写真を撮ったのであった。

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ラック対応の機関車を解結

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トロッコ車のみが発車


(abeさん撮影)

 銅山観光にすっかり満足して、通洞駅に戻る。まだ桐生方面の列車が来るまでは時間がある。駅前で客待ちをしているタクシーを拾い、足尾駅まで行く。足尾駅は無人駅、木造の古い駅舎が印象的である。

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そして、駅横には国鉄時代の塗装のキハ35が2両、さらに貨車が2両保存されている。

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 これらを眺めるうちに、15時11分間藤行が到着、我々はこの列車に乗り込み、終点までの一駅間を乗車する。


(abeさん撮影)

車内は外国人の団体、そして地元客がわずかに乗っているだけだった。15時15分間藤に到着、駅舎はモダンだが、誰もいないようだ。線路は足尾本山に向けて続くが、途中で一部が花壇となり、列車の運行はもはや絶望的である。

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 駅の近くの商店でビールを調達し、先程の列車の折り返しの桐生行に乗車する。車両は「わ89-310形313」、1990年製の車両である。外観は塗装が剥げた個所を補修した跡が目立ち、整備費用の捻出が大変なことが伝わってくる。車内は一部ロングシート、他はボックスシートで、乗客は10人にも満たず空いている、abeさんと私でボックスシートを一つ占領する。

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 15時35分定刻に発車すると、列車は渡良瀬川に沿ってゆっくりと南下していく。足尾・通洞と川沿いに、既に打ち捨てられたような大きな銅山関連の施設が並ぶが活気は全く感じられない。

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(abeさん撮影)

 公害の影響か、禿山になっている場所も多く、寒々とした光景である。既に日がかなり傾き、暗くなってきて、寂しさが一層強く感じられる。まだ残してあった日光鱒寿しを開ける。身の厚い鱒を載せ、中に湯葉を挟んだ押し寿司である。東武鉄道の駅弁では、浅草駅のあなご寿司とこの日光鱒寿司が特に素晴らしいと思う。

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 笠松トンネルと抜けると、栃木県から群馬県となる。草木湖を渡ると神戸駅に到着する。東武鉄道1720系DRCの中間車を利用したレストランが併設された神戸駅は、富弘美術館の下車駅ということもあってか、まとまった乗車があり、車内はいくらか賑やかになった。神戸駅からは女性のアテンダントが乗車し、車内改札・乗車券の発券を行う。
 水沼駅は温泉センターが併設されていることで知られている。温泉センターは21時までの営業で賑わっていた、おそらく自家用車で訪れる人が多いのだろうが、ここでも乗客は増えて、半分くらいの座席は埋まったようだ。外はかなり暗くなってきた。

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 ずっと渡良瀬川の渓谷を走ってきた列車が市街地に入ると、まもなく大間々に着く。ここでアテンダントは下車、外から車内の乗客に笑顔で頭を下げていたのが印象的であった。数分間の停車の後、大間々を発車し、運動公園を過ぎると、上毛電鉄のガード下をくぐる。右から東武桐生線が近づき、16時52分定刻に相生駅に到着する。

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 我々はここで下車する。相生駅は東武桐生線との乗り換え駅、わたらせ渓谷鉄道の委託駅となっており、出札や東武鉄道の特急券の販売までわたらせ渓谷鉄道の駅員が行う。木造の小さな駅の改札横の特急券乗り場には5人ほどが並び、我々も列に加わる。無事に特急券を入手し、東武鉄道のホームに行くと、まもなく浅草行りょうもう38号が入線してきた。車内は空いているが、次の新桐生でまとまった乗車がある。このまま東京へ帰るabeさんを残し、藪塚で私は下車。

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 明日は太田で仕事、今日は藪塚駅に近い温泉に一泊することとしたのである。こじんまりとした藪塚駅に降り立つと、外はもう暗い。冷たい風に吹かれながら歩き出すと、踏切でちょうど列車がやってきた。せっかくなので写真を撮り、すっかり満足して温泉へ向かったのだった。

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名松線一部廃止へ [国内の鉄道]

先日の台風32号で被災した名松線の一部区間について、JR東海が復旧を断念し廃止する意向を示した。

JR東海プレスリリース
http://jr-central.co.jp/news/release/nws000410.html

名松線は松阪と伊勢奥津を結ぶ、ごく地味なローカル線である。沿線には大きな街もなければ、これといった観光地もない。車両もJR東海が非電化ローカル線用に量産したキハ11、大糸線のように旧型車両が使われているわけではない。
そんな路線であるので、大学で津に住むようになってからも、しばらくは名松線の存在に気がつかなかった。気付いたところで、盲腸線で、終点まで乗っても他の路線に接続するわけではないので、なかなか乗りに行く機会も少ない。初めて乗ったのは2002年9月であったが、この時も大きな期待を抱いていたわけではなく、近場の路線くらいは乗っておこうという程度であった。しかし、この名松線の旅が実に面白かった。
空いている車内でゆっくりボックス席を占め、松阪駅で買った牛肉弁当でも食べれば、旅気分は盛り上がる。当時は家城駅には腕木信号器が現役で存在し、駅員が手動で操作するのを眺めるのも興味深かった。白眉は家城から伊勢奥津までの車窓風景、雲出川の渓谷沿いの光景は変化に富み素晴らしかった。末端部には10mレールが使われている区間があって独特の乗り心地が楽しめたし、終点伊勢奥津にはSL時代の給水塔が残っていた。名松線にすっかり魅了され、簡単なホームページも作った。

雲出の清流とともに
http://www.asahi-net.or.jp/~ny8h-ky/meisho

名松線は元々松阪と名張を結ぶ計画であった。しかし、山岳区間を高規格の路線を活かして高速運転する近鉄の圧倒的な存在の前では、山と渓谷をゆっくり走る名松線は例え全通していたとしてもローカル線であることには変わりはなかっただろう。
名松線の全通の夢の跡と言えば良いのか、終点の伊勢奥津からは名張行の三重交通バスが1日3往復出ている。このバスは、国道と言いながら片側一車線の山道を走るため、トラックとすれ違うために山道でしばしばバックし、なかなかスリルがあって、これはこれで面白かった。


名松線は何度も廃線の危機に瀕してきた。1982年にも台風の被害で長期運休した際に廃線が検討されたし、特定地方交通線第2次廃止対象線区にも選べれた。それでも生き残ってこられたのは、沿線の道路事情が悪く、バス運行が困難だったからである。JR化後も廃止になってもおかしくなかったが、東海道新幹線で潤うJR東海には運行の継続は大きな負担ではなかったのかもしれない。
しかし、JR東海も多額の復旧費用を出す余裕はないのかもしれない。平成の大合併で、沿線自治体は全て津市に統合され、名松線の存続運動も盛り上がらないという。今回はいよいよ命運が尽きるのか。

JR東海の「安全・安定輸送の提供という当社の基本的な使命を全うでき」ないから廃止するという論理は的外れだと思う。そうはいっても、名松線の運行をここまで継続してきたJR東海を非難するつもりはない。
ただ家城と伊勢奥津の間の、あの美しい車窓風景をもう見られないというのは、何とも寂しく感じるのである。

富山弾丸ツアー [国内の鉄道]

 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・・古典の中でも心ひかれるのは、「奥の細道」である。もし夏休みを取れたら、奥の細道を鉄道で辿ろうと考えていたが、残念ながら難しい。せめて、この連休だけでも旅に出よう、できれば「奥の細道」に関連するところへ。
当初はみちのくを目指すつもりだったが、首都圏から各方面へ向かう列車はどれも満員、結局北陸方面へ向かうことにした。しかし、他の用事もあって9月19日の日帰り旅行にならざるを得ず、時間の制約が多い。結局、「奥の細道」色はすっかり薄れ、列車から親不知を眺めるだけになり、あとは鉄道尽くめという、いつものパターンに落ち着いた。
 いつも私の弾丸ツアーにお付き合いくださるabeさんと、今回もご一緒することとなった。当初は長野新幹線・篠ノ井線経由で松本に出るつもりであったが、abeさんから朝6時新宿発の臨時あずさ71号の存在を教えて頂き、そちらを利用することとなった。
 9月19日朝4時30分に起床、5時過ぎの千代田線始発に乗り、新御茶ノ水~小川町で都営新宿線に乗り換え、ここでabeさんと合流する。早朝だというのに、意外に車内は混んでいる。新宿で下車し、JRホームへ。
新宿からは臨時「あずさ71号」に乗車する。E257系はすでに入線していた。駅ホームの売店はすでに営業しており、朝食や飲み物を買い求める人が並んでいるが、臨時列車とはいえ車内販売も営業することを確認し、そちらを利用することにする。

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 ムーンライトえちごで到着した国鉄色の485系を眺めるうちに、6時ちょうどに新宿を発車。朝一番の臨時列車だけあって、車内は空いている。連休初日だけに、リュックサックを背負った登山スタイルの乗客が目立つ。まだ快速運転の始まっていない中央快速線を走る。立川に停車し多摩川を渡っても、車窓からは住宅地が続く。立川に続いて、八王子にも停車、両駅ともある程度の乗車があったが、それでも座席の半分が埋まった程度だ。左手に京王線が寄り添うと高尾を通過、ここからは急に山間に入った雰囲気に変わる。小仏トンネルを抜けると、相模湖が一瞬見える。山梨県に入ると、桂川の渓谷に沿って走る。カーブが連続し、スピードはやや抑え気味。右には中央高速、どうやらまだ渋滞はしていないようだ。

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 鳥沢の先で桂川を渡り、猿橋を経て、大月を通過する。

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 リバイバル塗装が施された富士急行の車両の横が停車していた。大月からは、今度は笹子川に沿って走る。笹子峠越えで上り勾配が続き、列車のスピードはやや落ちたようだ。

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 笹子トンネルを抜け、勝沼ぶどう郷を通過する頃には左手に甲府盆地が広がる。ブドウ畑も姿も見え、ついワインが飲みたくなり、朝早いのに車内販売でワインを購入する。abeさんと私と赤白一本ずつ、まずは赤ワインを二人で楽しむ。

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 市街地に入り石和温泉に立ち寄った後、甲府に到着する。ここでまとまった下車があり、車内はかなり空いた。身延線のJR東海313系も停車している。
 甲府を出ると、電車はゆっくりと進む。確かに線形は良くないが、それにしても遅い、臨時列車ならではのダイヤということか。右手には木々の間から八ヶ岳が姿をのぞかせ、左手には赤石岳や北岳など南アルプスの山々が連なる。もやががっているのは残念であるが、美しい光景である。

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 小淵沢駅では真横に八ヶ岳が望める。

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 ワインが効いたのか、寝不足続きの状態での早起きが響いたのか、強い睡魔に襲われる。次に気が付くと、茅野を出たところであった。

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 諏訪湖沿いに上諏訪、下諏訪、岡谷とこまめに停車する。諏訪湖は建物の間のわずかに姿を見せるだけなのが残念である。

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 塩嶺トンネルを抜けると市街地が広がり塩尻である。名古屋方面の特急を待つ乗客が並んでいる。ホームの隅にはブドウが栽培されている。塩尻からは直線区間を滑らかに走る。松本到着は9時20分定刻である。スーパーあずさなら約2時間30分で松本に着くが、この臨時あずさは実に3時間20分を費やしたことになる。リュックサックを抱えた乗客が乗り継いでいくが、我々はここで小休止。
 駅前から松本周遊バスに乗車し、松本市内を1周。所要時間30分、車内から松本城天守閣を眺め、松本観光を済ませたことにする。

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 駅に戻り、お土産売り場などで時間をつぶしたのち、大糸線でさらに北へと向かう。10時28分発の「あずさ3号」南小谷行のE257系が到着。

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 大糸線に直通するだけのことはあり、ほとんどの乗客は登山スタイル。松本での乗車も多く、ほぼ満員の混雑である。後ろ2両を切り離したのち、定刻に発車する。市街地を抜けるとまもなく左手に北アルプスの山々が姿を現す。豊科である程度の降車がある。大糸線は私鉄がルーツ、それ故か駅間距離が短い。過半数の駅は通過するが、それでも停車駅が多い。次の停車駅である穂高が近づく頃には、左手に常念岳が迫る。穂高を出発すると穂高川を渡る。沿線は田園地帯が広がるが、案外開けた印象で、山の中を走るという感覚とは異なるが、その向こうの北アルプスの迫力は格別である。安曇沓掛付近からは爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳・五龍岳など標高2500mを超える山々を、余っていたワインを飲みながら眺めていると、信濃大町に到着する。停車する度に多くの登山客が下車し、車内はかなり空いてきた。

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 信濃大町を出発すると、やや線形が厳しくなったように感じる、心なしかスピードが落ちたようだ。木崎湖・中綱湖・青木湖と仁科三湖の真横を通り、杉林を抜けると白馬三山(白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳)が威容を現す。点在するスキー場が現れると、間もなく白馬に到着する。

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 白馬も降車客が多い。その白馬を出発すると、姫川の渓谷に沿って進み、スピードは一層落ちる。

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 美しい河岸の景色を横に列車は慎重に歩をすすめ、11時44分、定刻より3分遅れて終点南小谷に到着する。南小谷から先の大糸線はJR西日本の管轄、しかも非電化区間であり、国鉄型のキハ52が現役で活躍している。しかし、今日はかなり空いたとはいえ、多くの乗客が糸魚川方面へ向かうようだ。あずさを降りて、急いで糸魚川方面のホームに向かう。
 まもなく入線してきた列車はキハ52首都圏色の単行、abeさんとともに何とか座れたが、この「あずさ3号」に加え、先着した普通列車の接続も受けるのだから、当然無理がある。車内は東京圏のラッシュ並みの混雑となった。
 12時54分に発車、ディーゼルエンジンを響かせて、ゆっくりと発車する。この軽油の香りが如何にも気動車である。ここからも姫川の渓谷を走る。この辺りまで来るとさすがに山が深く、人家は殆ど見かけなくなる。中土を過ぎると、トンネルや落石除けが繰り返し現れる。車内は混雑で蒸し暑いが、トンネルに入ると涼しい風が入ってきて、むしろ寒く感じるくらいである。曲がりくねった姫川を何度も超える。姫川は護岸工事がくまなく行われており、コンクリートを見ない場所はない。それだけこの姫川は大糸線をはじめ、沿線に打撃を与えてきたのであろう。真那板山トンネルを超え、鄙びたホテルが見えたところが平岩、姫川温泉郷の最寄駅である。ここでかなりの下車があり、混雑も和らいだ。本来はこの区間はワンマン運転であるが、今日は運転士の他に乗務員が二人乗車しており、集札にあたっている。しかし、車両構造がそもそもこれだけの乗客に対応できるようになっておらず、時間がかかる。

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 平岩を過ぎると、列車の制限速度は一層厳しくなったようだ、25km/hとか、30km/h制限の区間が点在し、列車はゆっくりと渓谷を走る。

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 小滝を過ぎたところ、いつの間にか眠ってしまった。気が付くと、唯一の行き違い駅である根知、さらに頸城大野を過ぎており、列車は住宅地の中へと分け入っている。まもなく北陸本線と合流し、終点糸魚川に到着する。12時51分、7分遅れている。

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<大糸線キハ52の車窓から~abeさん撮影>






 糸魚川駅の象徴であるレンガ造りの車庫にはキハ52の国鉄標準塗装の車両が停まっている。

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 写真を撮っていると、まもなく「はくたか8号」が到着、北越急行の683系である。

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 こちらは帰省ラッシュのためか、かなり混雑しており、指定席車のデッキまで人があふれているが、我々は指定券を取っておいたので、無事に海側に座れた。
 12時54分定刻に発車。さすが特急街道の北陸本線である。軌道状態は別世界のように素晴らしく、683系は余裕を感じさせる安定した高速走行、シートの座り心地も良い。いつ乗っても快適な車両である。右手には鮮やかな青色の日本海が広がる。北陸自動車道が寄り添うと、親不知を通過する。芭蕉も通った親不知であるが、海岸はコンクリートで固められ、テトラポットが整然と並べられ、往時の面影はない。しかし、その向こうの日本海の青さ、そして日本海を厚く覆う入道雲、それは芭蕉が見たものとそうは変わらないかもしれない。とはいえ、芭蕉がこの辺りを通ったのでは7月だったが。

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<親不知付近の車窓~abeさん撮影>



 芭蕉が宿泊した宿での遊女との出会いから、「一家に遊女もねたり萩と月」と詠んだ市振も高速で通過、「はくたか」は高速で駆け抜けていく。

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 車内販売で購入したビールでabeさんと今日3回目の乾杯。黒部川を渡り、富山地方鉄道の線路が見えると黒部を通過、一度離れた富山地方鉄道と再び合流すると魚津に到着する。魚津から富山まではすぐ、住宅の密度が上がり、背の高い建物が増えてくるとともに、北陸新幹線関連の工事現場も目立つようになる。常願寺川を渡り、13時40分富山に到着する。

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 富山駅を降り、直ぐに北口改札に走る。改札口を出たところでabeさんと別れる。abeさんは「しらさぎ」で名古屋に行き、名鉄瀬戸線を楽しんだ後に新幹線で帰るという。そういえば、芭蕉も曽良と北陸で別れたのだった、といっても、それは山中温泉のことだから、富山とは距離がある。
 北口改札の目の前にある富山駅北から発車する富山ライトレール「ポートラム」に乗る。ポートラムは7編成の車両を虹と同様7色に塗り分けているが、止まっていたのは赤色のTLR0601編成だった。

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 ポートラムのTLR0600系はAdtranzの技術を元に新潟トランシスがライセンス製造した低床式LRV。開業後3年が経過したとはいえ、注目度は高いようで、何人かがカメラを向けている。私も2、3枚写真を撮り、すぐに乗車。車内は座席はすべて埋まり、立客もかなりいる、休日の日中に頼もしいことである。運転席のすぐ後ろに立ち、かぶり付きを楽しむこととした。
 運転席は黒を基調とした中々美しいデザインだが、シンプルそのものである。右手で操作する小さなレバーがマスコン兼ブレーキで、まるでゲームのようである。スピードメーターの横には後方監視用のモニターも設けられている。

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 13時45分定刻に富山駅北を発車、ここから1.1km、奥田中学校前までは軌道区間、道路の中心を30km/h程度で慎重に走る。

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 奥田中学校前から先はJR富山港線を引き継いだ区間、最高60km/h程度までスピードが上がる。路線はほぼ直線が続くが、駅も多く、こまめに停車することには変わりない。加速度は路面電車にしてはやや抑えられているようにも感じるが、60km/h近くで走行しても、乗り心地はこの種の車両にしてはかなり良い。

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 富山の中心から離れる方向に走っているのに、途中駅でも少しずつ乗車があるのは心強い。富山ライトレールの乗客数は開業以来堅調と聞いているが、それもうなずける。JR時代の1時間間隔から15分間隔となって列車本数が大幅に増加し、駅も増えて、より地元密着の姿勢を打ち出したことで、利用客が増えたのであろう。新しい地域交通のモデルケースとして、このポートラムは実に興味深い。車内では岩瀬浜散策マップが配布されているが、それを手にしている人も少なからずいて、観光利用もあるようだ。運転席後部から前方を眺める人も散見され、このポートラム自体も、富山観光の一環という部分もあるかもしれない。富山競輪場の真横にある競輪場前を過ぎ、岩瀬運河を渡ると14時09分、終点の岩瀬浜に到着する。

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 JR時代より所要時間は増えているが、圧倒的な利便性が大きな価値を生んでいることを感じた。
 岩瀬浜では、子供が「新幹線だ」と喜んでいた。それは大げさとしても、確かに洗練されたデザインは魅力がある。写真を撮って、折り返しの列車に乗車する。

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 14時15分に発車、今度は最後部に座って、ゆっくりとポートラムの旅を楽しむ。

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 富山市内をこまめに停車して少しずつ乗客を集め、14時40分に富山駅前に到着する。

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 富山にはポートラムの他に、富山地方鉄道の市内軌道線がある。以前、私の父が5年ほど富山に単身赴任していた時期があり、その住居がこの市内軌道線の沿線にあって、何度か利用した。現在も古い車両が大半を占めるが、南富山~富山駅前では日中5分間隔とポートラムを遥かに上回る高頻度運転を行い、将来的には低床式LRVの導入やポートラムとの直通運転・環状線運転も決まっており、意欲的であることは疑いない。そんな地鉄の市内軌道線にも乗っておこうと、富山駅の北口から、より発達し繁華街に近い南口に移動し、富山駅前から桜橋まで3停留所分、片道4分の旅を楽しむ。できれば、5両だけの新型8000系にも乗車したいところである。

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 しかし、やってきたのは往復とも旧型の7000系。吊り掛け駆動の音が何とも懐かく、車内も古めかしいが、さすがに時代遅れの感は免れない。今後置き換えられていくのであろう。

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 富山地方鉄道、富山ライトレールとも出資者の中心は富山県や沿線自治体である。一方、富山ライトレールの社員を富山地方鉄道が送り込むなど、鉄道会社同士も関係も深い。地方自治体と鉄道会社が一体になって、富山の公共交通の整備に取り組み姿勢は間違いなく他の地方都市のお手本になるであろう。
 14時に富山駅前に戻る。駅の売店で、この地の名物、ます寿司の小箱を購入し、バス停へ向かう。夕方には東京で用事があり、もう戻らなければならないのである。14時10分発の富山空港行の地鉄バスは通常の路線バスに荷物棚を増設した仕様、車内は空いていた。空港までは30分弱である。富山空港は市内中心部から比較的近いこともあり、利用も堅調なようで、羽田線は便数も多く、B777も就航している。
 こじんまりとした富山空港のターミナルで搭乗手続きを済ませ、ます寿司やぶり寿司を土産に購入、まだ時間があるので、先ほど購入したます寿司を食べる。しみじみと美味しいお寿司である。
 16時25分発のANA 888便はB767-300による運航である。私は右後部の窓側の席を予約していた。

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 機内は9割方の席が埋まり、連休初日だけあって小さな子供の姿も目立つ。富山空港の滑走路やエプロンは神通川の河川敷に作られ、ターミナルビルとは長いボーディングブリッジで結ばれている。それ故、運用上の制約も大きいようだが、将来の北陸新幹線開通で便数減少が見込まれるため、現空港が維持されるようだ。
 ANA 888便は富山空港から北側に向かって離陸、そのまま富山市内を横切り高度をあが得ていく。富山駅付近には「はくたか」が走行中、さらに先ほど通った富山ライトレールの終点岩瀬浜の姿も見えた。
 日本海に出たところで右に大きく旋回し東へと針路へと向ける。窓からは雲海の上に頂上だけを覗かせる立山連峰や北アルプスの山々、そして黒部川の扇状地等の大パノラマが広がり、その美しい光景に息をのむ。はるか遠くには富士山もぼんやりと見えている。

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 気流が不安定との案内があったが、確かに今日は揺れが激しい。冷たいもの限定で開始された飲み物サービスは、まもなく中止された。機は谷川岳を見ながら、那須岳付近で南に針路を向け、尾瀬付近を飛んで、茨城・千葉へと抜ける。

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 夕暮が迫り、雲と雲の間の金色の帯が美しい。

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 千葉市上空を通過、毎週金曜午前に勤務する職場付近も確認できた。さらに南下して木更津付近で大きく右に旋回、富士山に向かうように西に針路を向け、東京アクアラインのすぐ南の東京湾上で高度を落としていく。滑走路が目前に近づいた途端、横に振れ、やや衝撃が大きくなったが、羽田空港に無事到着した。時間通りの17時30分である。
 羽田空港の長いターミナルを歩いて出口を通ると、さすがに強い疲労感に襲われる。空いている羽田モノレールで浜松町に向かい、今回の富山ツアーを終えたのであった。
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房総半島一周の旅 [国内の鉄道]

昨年は二日間の夏休みを利用して紀伊半島を一周した。今年は・・・というと、根本的に、夏休みが取れるのかどうかもあやしい。しかし、ストレスのたまることも多いし、たまには気分転換をしたい。そこで、最近は半日くらいあくと、ついつい、どこかへ出かけてしまう。
昨日8月8日、午前中は柏駅前まで仕事であったが、幸いにもそのあとは時間があったので、ミニ旅行に出た。ネクタイをし、仕事道具も持ったままという状態で柏駅へ。
12時23分発の常磐緩行線・唐木田行は東京メトロ6000系だった。10分余りで新松戸へ、ここで武蔵野線に乗り換える。12時42分発南船橋行は205系、西船橋でabeさんと合流し、そのまま南船橋まで乗り通す。南船橋では京葉線への乗り換え客にかなり混雑している。それも東京方面ではなく、蘇我方面への乗り換えが多いのは驚かされる。
13時10分発の京葉快速・蘇我行も205系、かなりの混雑である。しかし、次の海浜幕張で我々は下車。ここで驚くほどの下車があり、コンコースへの階段がひどい混雑になっている。どうやら、幕張メッセでロック・フェスティバルがあるための混雑らしい。

我々が13時24分発、わかしお11号に乗る。257系の5両編成で、自由席・指定席とも大半の席は埋まっている。行楽客は帰省客と思しき人が多く、なかなか賑わっている。海浜幕張は商業地や住宅も多いが、しばらくすると倉庫や工場ばかりが目立つようになる。高架線上を快走、モノレールと接続する千葉みなとを通過すると、ようやく市街地が車窓に戻る。まもなく蘇我に到着する。蘇我からはいよいよ外房線に入る。しかし、このあたりは住宅地が広がり、すれ違う列車も多い。落ち着いたところ、abeさんと席を立ち、車販でビールとおつまみを調達する。今日はお茶以外何も口に入れておらず。空腹である。こんな時のビールは本当に美味しい。明るいうちからビールを飲むという行為の持つ背徳感も、また良いスパイスとなる。
東金線と接続する大網からは南へ進路を向ける。茂原を経て、上総一ノ宮から太平洋に近いところを走るが、海とは微妙な距離があり、その姿はなかなか望めない。車窓風景は住宅がすっかり広がり、農村ののどかなものへと変わる。天候は快晴で、日差しがまぶしいが、それも夏らしい。ほどなく大原に到着、残念ながら、いすみ鉄道のレールバスの姿はない。停車する度に少しづつ乗客が降り、車内は大分空いてきた。abeさんと指定席以上に空いている自由席に移る。線形はかなり悪くなり、いつのまにか、ロングレール区間ではなくなった。単線区間で行き違い停車もあり、すっかりローカル線の雰囲気である。
御宿を過ぎると、ようやく太平洋が車窓に広がる。青い空、青い海、海水浴場は多くの人で賑わっており、その姿がまぶしく、うらやましい。のどかな漁村も時々現れ、紀伊半島にも近い雰囲気だ。美しい車窓風景に目を向けているうちに、上総興津、安房小湊と過ぎる。

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リゾートホテルやシーワールドなど大規模な施設が車窓に現れると、列車はラストスパート、14時59分定刻に安房鴨川に到着する。

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安房鴨川での楽しみは駅弁、一旦改札を出て売店へ向かう。しかし、この楽しみは失望に変わる。既に今日の販売分の駅弁はすべて売り切れ、残っているのはどこでも売っているようなおにぎりかサンドイッチだけ、駅前の土産物店に行ってみたが、食べ物はあまりなく、助六寿司とコロッケを買うほかなかった。安房鴨川の「うにさざえめし」は美味しいと聞いていただけに、本当に残念だ。

さて、時間があまりない。お茶も買い込み、15時17分発館山行に乗る。113系の4両編成、ボックスシートの大半が埋まり、それなりに混んでいる。千葉方面からの普通列車の接続を受けて、やや遅れ気味に発車、房総半島をさらに南下していく。特急の走らない区間だけに、いよいよローカル線のムードが漂うが、時々車窓に広がる太平洋は美しい。それにしても、さして利用客が多いとは思えない無人駅に停車する度に乗客が増える。浴衣客も多い。乗客も、今日は混んでるねえ、と話しているので、何かイベントでもあるのだろうか、とも思う。千倉からは列車は太平洋岸から離れ、進路を西に向けて館山へ向かう。今度は山の中を走る雰囲気になる。この頃には車内は立客も多くなる。市街地が広がり、15時58分館山に到着する。ここで乗客が一気に下車、我々もコンコースに上がる。

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ここで混雑の理由が分かった、今日は館山花火大会の日なのである。しかし、我々はすぐに内房線「さざなみ18号」で一気に東京に向かう。
一旦改札を出て、売店をのぞくが、やはり駅弁はない。館山は半分諦めていたから仕方がない、さざなみの車内で駅弁とビールでも買うことにして、改札に入る。さざなみ18号は255系9両編成、車内はガラガラ、abeさんと4席を占有し、ゆっくりと座る。

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発車間際の車内放送、「この電車は車内販売を行いません。」車内でビールと駅弁を調達する計画も、これで無に帰した。もう改札外の売店までビールを買いに行く時間もない。ホームの自動販売機でお茶だけ購入、それにしてこんな観光列車に車内販売を乗せないなんて・・・・文句の一つも言いたくなる。時刻表を調べるが、ある程度の停車時間があるのは青堀だけ、それも売店があるとは考えにくい。
館山を15時58分に発車、ローカル線のムードが相変わらず強い中、単線区間をゆっくり進み、富浦へ。ここは高校の夏合宿で滞在した場所、少し懐かしい。それにしても、ビールがあれば、この旅も楽しいのに、と思う。

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内房線は比較的海の近くを通るが、外房線に比べ開発が進んでいるし、大型船の姿も目立つ。好みもあるところだが、私は外房線の方が良かった。久里浜へのフェリーの港が近い浜金谷を過ぎると、富津岬が見えてくる。

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青堀を過ぎ、君津はさすがに街の規模が大きい。海岸線も工業地帯だ。次の木更津では国鉄色になった久留里線のキハ30が停車していた。この辺りからは住宅も目立ってくる。内房線からすっかり乗客を奪ったアクアラインをくぐり、姉ヶ崎を通過し、五位に到着。小湊鉄道の気道車が停車しているが、それらが非常に丹念に整備されている姿を見て感心した。冷房がないので夏はつらいが、秋には小湊鉄道・いすみ鉄道の旅を楽しみたいものである。海側は工場と倉庫が立ち並ぶ単調な光景。
蘇我に到着すると、ここで、Sさんが合流する。東京に用事があるとのことで、蘇我から合流することになっていたのである。実は車内販売がないということで、ビールの調達も頼んでおり、ここでようやくビールにありつく。房総の美しい海ではなく、京葉線沿いの工業地帯というのは残念だが、これで旅はまた楽しくなる。海浜幕張を過ぎ、新浦安付近では西濃運輸の建物のDBマークを見つけて喜ぶ。

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東京ディズニーリゾートや葛西臨海公園、さらに新木場の有楽町線の車庫などを眺めると、列車は地下へと潜る。18時05分東京駅着、乗り換えだけの駆け足の房総一周の旅を終えた。
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東武鉄道 特急りょうもう [国内の鉄道]

私は埼玉県草加市で生まれ育った。自宅から道路を一本挟んだ向こうは東武伊勢崎線、幼少時は地平複線であったが、小学生の頃に高架になり、今は複々線となっている。昔は列車が通るたびに家が揺れ、特に貨物列車はひどいものであったが、今は貨物列車はなくなり、通過する列車も気にならないくらい静かである。車両も昔は営団3000系以外は無骨な東武車両で占められていたものが、今は東京メトロ日比谷線や半蔵門線、さらに東急の車両まで通過するようになった。一方で貨物列車の姿は既にない。
大学時代の6年間は近鉄名古屋線沿線、その後研修2年間は常磐線沿線で住み、今は千代田線沿線に住んでいるとはいえ、今でも1~2週間に1回くらいは実家に立ち寄ることもあり、東武伊勢崎線とは縁が深い。その上、毎週日曜日は群馬県太田市で仕事があるものだから、東武伊勢崎線は私と切っても切れない路線、愛着も特別である。


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私が現在最もよく利用するのは、東武鉄道の特急「りょうもう」である。毎週、それも浅草または北千住と太田を往復するのだから、週3時間弱はほぼ間違いなく「りょうもう」の車内で過ごしていることになる。特に日曜朝の「りょうもう1号」は年間約50回ほど使っている計算だ。
「りょうもう」に使われる200系電車は1991年2月に営業運転を開始した。私は当時中学生、浅草駅で行われた出発式に友人といったことをよく覚えている。その後、「りょうもう」が好きだった私の弟と、200系を期待して「りょうもう」に2回乗ったが、2回とも旧型の1800系が来てがっかりしたのも、今となっては良い思いである。
200系は、新製された250系1編成を除くと、9編成が存在し、車体は新製されているが、名車として名高いデラックスロマンスカーDRC 1700/1720系から主要部品を流用して製作された。ホワイトベースに赤と黒のスタイリッシュな外観は、スペーシア以上に格好良いという声も少なからず耳にする。ICEに通じるこのい配色は、当然私の好みにも合う。
DRCは最高110km/hまでしか行わなかったが、実際には160km/hくらいは軽く出せるだけの出力を持っていたという。そんな高性能車両の機器を引き継いだおかげで、200系も性能に余裕があるようだ。200系も最高110km/hは変わらないが、下町区間を抜け、北千住からの複々線区間、さらにその先の館林までの区間はいつも気持ちの良い快走をみせる。ただし、館林を過ぎると単線区間になり、行き違いなどで運転停車も多くなる。のどかな走りも、「りょうもう」らしいといえばそうかもしれない。


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この200系の素晴らしいのは、乗り心地と静粛性である。DRCから引き継いだ台車はそろそろ製造から50年を迎えるはずであるが、高速走行時にも素晴らしい安定感を発揮する。衰え知らずの乗り心地は、保守の良さか、保線の良さか、そらくその両方故であろう。そして静粛性、200系は全車M車であるが、モーター車であることを全く感じさせない、最新のインバータ車にも引けを取らない静かさである。この200系の優美な走りから、如何にDRCが名車であったか、ということを感じるのである。
こんな200系であるが、座席寸法がやや小さいのが残念である。また第1・2編成は座席をフリーストップ型リクライニングシートに交換したのに、第3~6編成はシートをDRCから転用し、モケットは張り替えのみ行っている。シート自体は柔らかいし、DRCを彷彿とさせるというのも嬉しいところではあるが、座り心地の点では劣ることは否定できない。こんなところで何となくケチなのが東武鉄道らしいといえばそうなのかもしれない。さすがに、第7編成以降は再びフリーストップ型リクライニングシートに戻っており、私も普段利用する分には、この新座席の方が好きである。

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特別な設備があるわけではないが、DRC以来の気品を何となく感じさせる200系「りょうもう」、これからも元気に活躍して欲しい。ちょうど今、「りょうもう」に揺られながら、そんなことを感じるのである。
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軽井沢へ [国内の鉄道]

軽井沢のリゾートホテルにいる。平日日中の遠出であるが、仕事というわけではない。仕事が嫌になって、旅に出たのでもない。北軽井沢のドイツ・フェスティバルに行くのでもない。明日は双子の弟の結婚式、今日の夕方に親戚が集まる予定なのである。
こんな日に限って朝から忙しく、本来の予定より1時間以上遅れながら何とか仕事を終え、上野駅新幹線ホームへ15時頃には着いた。

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ここで目に入ったのが200系リバイバルカラー編成である。私が子供の頃は東北・上越新幹線の起点は上野、そして車両はこの色の200系だけであったが、今ではリバイバルカラーという扱いなのだ。200系リバイバルカラー編成と言っても、更新工事を受けており、前面窓がスマートすぎて違和感は残る。しかし、0系の消えた今、往時の新幹線を偲ばせる貴重な存在であることは間違いない。
同じホームの反対側にも200系が到着、いまや200系が並ぶ姿は珍しく、写真に収めた。

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私の乗る、あさま529号は15時10分発。長野新幹線の車両はごく一部の臨時列車を除き、E2系に統一されている。私はRheingoldを例外とすると、特別な列車ではなく、何編成もが走り回っている、どこでも見られるような標準車が好きである。ICE 3にしても、ドイツの高速列車ネットワークの中心的な存在として走り回っている今の姿こそが全盛期だと感じ、そして全盛期の姿こそ最も美しいと思う。
E2系はいわばJR東日本の新幹線の標準車、そして、今こそ全盛期と言えよう。外観のスタイリングは少なくとも他の一部の新幹線車両と比べれば、はるかに完成されているし、目立たないが最高275km/hを誇る高性能、そして揺れの少なさは、高い技術力に裏打ちされた、完成度の高い車両であることを感じさせる。

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このE2系に好感をもつ理由の一つは、一部編成がSiemens製のSIBAS 32制御装置を使用していることである。しかし、これまで長野新幹線に乗るたびに注目しているのだが、まだSiemens編成に当たったことはなく、残念ながら今日のN4編成もSiemens編成ではなかった。
それにしても、JR東日本の新幹線車両の腰掛けは何とかならないものか。多くの列車が混雑するため、少しでも定員を増やすようにシートピッチを詰め、それでも転回可能な椅子にするためにサイズが限られてしまうのは理解できるが、東海道・山陽新幹線にも大きく劣り、航空機に乗っている気分にさせられる。椅子もどこか落ち着かず、座り心地が良いとは到底言えない。
技術的な面まで含めれば、E2系がICE 3よりも劣るとは全く思わないが、E2系の旅を楽しみながらも、エクステリア・インテリアデザインから性能まで、ICE 3が標準車として驚異的なまでに完成度が高いことを感じるのである。
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京都・大阪の旅 (2) [国内の鉄道]

土曜日は朝の発表を無事に終え、そのまま午前中は勉強・情報収集(仕事上の!)。午前のセッションが終わったところで、私は戻ることにする。
中之島駅から京阪の区間急行に乗り、京橋で下車。駅前の狭い商店街でたこ焼を食べ、大阪環状線で天王寺へ向かう。東京は山手線に優先的に新型車両が投入されるが、大阪環状線は103系がまだまだ活躍している、しかし、201系の姿も以前よりかなり目立っており、世代交代が近づいているようだ。
ここから、近鉄を乗り継いで名古屋へ向かう。当然ながら、大阪環状線から鶴橋で近鉄に乗ったほうが早いのであるが、今回はこれまで乗る機会のなかった南大阪線に乗ることにしたのである。
南大阪線の特急は土日の日中は30分間隔、乗車した13時10分初の吉野行は16000系の2両編成、さながらミニ特急といったところだ。南大阪線の特急は狭軌なだけに専用車が用意されているが、車内設備は他の特急車に比べ簡素な印象だ、その分特急料金は安く設定されている。16000系は昭和40年登場、一部は大井川鉄道に譲渡されたが、近鉄でもまだ元気に活躍中である。

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阿部野橋を定刻に発車、しばらくは高架線上を走る。車窓には住宅地が続く。南大阪線は細かいカーブが多く、スピードはあまり上がらない。最高速度も110km/hと他線より低い。藤井寺から古い地にかけては、車窓の左右に次々に古墳が現れる。古墳は思った以上に巨大で、圧倒される。学術的研究があまりなされていないのは、つくづく残念に思う。古墳を避けるため、このあたりは特に急カーブが多い。上ノ太子から上り勾配が続き、穴虫峠を越えて奈良県に入る。睡魔に襲われ、うつらうつらしていると、御所線が分かれる尺土に到着していた。次の高田市に続けて停車、JR和歌山線を越える。優美な畝傍山を左に見ながら、まもなく樫原神宮前に到着、所要38分の旅であった。

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樫原神宮前からは8400系の普通・大和西大寺行に乗車する。車内は空いている。八木西口で今はあまり使われない大阪線大阪方面への短絡線を分岐し、すぐに大和八木に到着する。5分ほどのミニトリップである。

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構内の売店で柿の葉寿司を購入する。駅構内の売店では鉄道グッズが色々と売っている、近鉄も商売熱心と感心させられる。発着する列車を眺めながら時間をつぶす。
私が乗車する14時21分発の特急・鳥羽行は30000系ビスタEXに12200系を連結した6両編成だった。

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どうせなら2階建て車両に乗車したかったが、今回は運用なども全く調べておらず、私の席は12200系の方だった。直ぐに発車、車内は50%程度の乗車率であろうか。柿の葉寿司を食べはじめる頃には、車窓はのどかになる。
列車は南大阪線とは打って変わり、近鉄特急らしい快走を見せる。名張・榊原温泉と停車する間に2回の峠越えをするが、勾配をものともせず、胸のすくような走りである。複線化工事中の中川短絡線の手前で信号待ち、すれ違った特急は最新型の22600系であった。まもなく、伊勢中川に到着する、15時11分定刻である。

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鳥羽行の特急は発車していくのとほぼ同時に、名古屋行・特急が到着。車両はというと、運良く21000系アーバンライナーPLUSである。

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基本的に名阪甲特急に用いられる21000系も間合いで伊勢方面の特急に使われることがあるのだ。私は2号車に腰を落ち着けたが、この車両が来るのが分かっていたら、ちょっとだけ贅沢をしてデラックスカーに乗りたかったとも思う。
21000系は改装工事に伴い、腰掛が「揺りかごシート」と呼ばれる、21020系と同じものに交換されている。独特のホールド感があり、座り心地は良い。足元のスペースも広く、改めて素晴らしい車両と実感する。この21000系は情報案内用に各車端部に大型液晶ディスプレイが表示され、鉄道ファンにとって嬉しいのは、時々前面展望が映されることことだ。ただし、残念なのは、車内の案内やニュースが流れることが多く、前面展望が映る時間が少なすぎることだ。

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津である程度まとまった下車があったが、その分乗車は少なくない。津を出発すると、江戸橋や白塚といった、馴染み深い駅を通過する。何度通っても感慨深い。白子までの間は近鉄名古屋線では最も線形が良く、ほぼトップスピードを維持する。白子、そして工業地帯を通った先の四日市でも各車両に数人ずつの乗車がある。最後の停車駅、桑名を出発するとJR関西本線と並走しながら木曽三川を一気に渡る、ここがやはり名古屋線のハイライトであろう。庄内川を渡ると名古屋市内に入り、高架線をラストスパート、地上に降り、特急車が何本も並ぶ米野車庫の横を通過する。地下にもぐり、近鉄名古屋に定刻の16時15分に到着する。

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ここからは新幹線に乗る。JR券を買うのに時間がかかり、乗換改札を通り早足で新幹線ホームへ。乗車するのは16時30分発のぞみ32号である。車両はN700系である。ホームで新聞を買っていると、まもなく入線してくる。

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車内は7割程度の座席が埋まっている。名古屋を発車すると、気持ちの良く加速して、スピードに乗る。朝日新聞の夕刊では、ちょうど東海道新幹線の開業と現在に関する記事を掲載していた。私は、今でも新幹線車両としては100系が最も好きだ。N700系は車内外とも、デザインはどうしても好きになれない。ただ、空気バネによる車体傾斜装置、セミアクティブサスペンション、全周幌など、技術的には世界最高の鉄道車両というのは間違いないとも思う。実際、驚くほど揺れない。それに、東海道・山陽新幹線の車両の良いところは、シートピッチが広く取られ、足元に余裕があることである。腰掛は安っぽいと思うが、300系のそれを考えれば、はるかに改善は良くなっており、航空機やJR東日本の新幹線に比べればはるかに快適だ。電源コンセントが大半の席に装備されているのも有り難く、私も最近は(500系が殆ど時間が合わないこともあり)、N700系を選択することが増えた。車窓風景も面白い、浜名湖や熱海など変化に富み、なかなか楽しめる。残念ながら、富士山は曇って見えなかったが。
新横浜・品川での降車は多く、かなり空いたところで東京に到着、18時13分である。

東京駅からは一旦自宅に戻り、荷物を置いて、また直ぐに出発。向かうは日比谷公園である。日比谷公園は何故か10月モード、ステージは大盛り上がり。

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Aさんや職場の同僚と合流し、ドイツビールで盛り上がって、一日を終えた。

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