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ICE 30周年 [ドイツ鉄道 列車]

 1991年5月29日、Bonn・Hamburg・Mainz・Stuttgart・Münchenからの6本の特別列車がKassel-Wilhelmshöhe駅に集まり、Richard von Weizsäcker大統領臨席の元、ドイツ初の高速列車であるInterCityExpress (ICE)の開業式典が華々しく行われた。6月2日からICEの営業運転が開始され、以後高速新線や改良新線の開業や様々なICE用車両が開発により、ICEのネットワークはドイツのみならず周辺各国にも広がった。それから今日で30年、ICEはドイツ鉄道の長距離旅客輸送において中心的な役割を果たし、ドイツの旅には欠かせない存在となった。
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 ICEを先駆的な存在となったのは、試験車両である410形InterCityExperimental (後のICE-V)である。1983年から1985年にかけて製作されたこの試験車は、1988年6月1日に当時に世界最高速度となる406.9 km/hも記録した。1998年に役割を終えて引退し、現在はMünchen のドイツ博物館、およびMindenの鉄道研究施設で保存されている。
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 1991年の営業開始当時の高速新線はMannheim-Stuttgart、Hannover-Würzburgの2区間であり、ICEの運転が最初に開始されたのはHamburg – Hannover – Fulda – Frankfurt (M) – Stuttgart – Münchenであった。最初の営業車両であるICE 1は1989年から1993年にかけて60編成が製作された。ICE 1は両端が動力車で、中間に11~13両の客車が連結された編成とされ、最高280 km/hとされた。ICE 1はドイツを南北に結ぶ路線を中心に投入され、1993年からは統一ドイツの首都となったBerlinへの乗り入れも果たした。さらに1992年からスイス、1998年からオーストリアへの乗り入れも開始した。
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 ICEは快適な車内設備で好評をもって迎えられ、順調に旅客数を伸ばしたが、ICE1は長編成で大幹線以外での運用には向いていなかった。そこで、1996年から1988年に動力車1両と客車7両からなるICE 2が44編成制作された。ICE 2は2編成での併結が可能で、柔軟な運用を可能にした一方、コンパートメントが廃止されるなど車内設備は簡素化された。1998年9月にBerlin-Hannoverに高速新線が開業し、Berlin発着のICEのスピードアップが実現した。ICE 2はBerlin – Hannover – Hamm – Essen – Düsseldorf / Hamm - Hagen – Wuppertal – Kölnなど併解結を伴う路線で運用された。
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 1998年6月3日Eschede近郊でICE 1が脱線して橋脚に衝突する事故が発生し、101名が犠牲になり、ドイツの鉄道史上最大の悲劇となった。原因は乗り心地向上のために導入された弾性車輪の破損であった。ICE 1は一体圧延車輪に戻されたが、検査や改修のため大規模な運休や編成両数削減、さらに103形をはじめとする旧型車両による代走などで、しばらく長距離鉄道ネットワークの混乱が続いた。
 1999年5月、ドイツ鉄道に新しいICE用車両であるICE-Tが登場した。ICE-Tは同時に開発が進められたICE 3と同様の動力分散式となり、またFIAT社の振子装置を搭載し、最高230 km/hとされた。ICE-Tは2005年までに5両編成の415形が11編成、7両編成の411形が60編成制作された。ICE-TはStuttgartとスイスのZürichを結ぶ列車でデビューし、その後旧東ドイツ地域への列車を中心に投入された。2006年からはオーストリアへの直通も開始した一方、スイスへの直通は2010年に終了した。
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 ICE-Tより1年遅れて、2000年6月には新しいフラッグシップとしてICE 3が登場した。ICE 3は最高330 km/hに対応する高速性能を有し、8両編成で併結も可能とされた。ICE 3にはドイツ国内で運用される単電源式の403形と、4電源式で国際運用に対応する406形 (ICE 3M)があり、2006年までに403形が50編成、406形が17編成 (うち4編成はオランダ鉄道NS向け)が製作された。ICE 3Mは登場時からオランダに直通運転を行っており、2003年にはベルギーへの乗り入れも開始した。ICE 3とICE-Tは車内外とも共通のコンセプトでデザインされており、その上質なデザインは後のICEに受け継がれていくこととなった。
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 2002年8月に最高300 km/hの高速新線Köln-Rhein/Mainが開業し、ルール地方から南方への大幅な高速化が実現した。12月15日のダイヤ改正ではICEネットワークが抜本的に見直され、ICE 3はこの高速新線を経由する路線に集中的に投入された。
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 2001年6月には4両編成の気動車ICE-TDが登場した。ICE-TDは最高200 km/hで20編成が製作され、Nürnberg - Hof - Dresden、München - Lindau – Zürichに投入されたが、振子装置にトラブルが相次いだ上、2002年10月には車軸破損により脱線事故を起こし、振子装置の使用が停止され、2003年7月には運行認可も取り消されてしまったため営業運転を外された。
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 サッカー・ワールドカップドイツ大会に先立つ2006年5月には首都Berlinに新しい玄関駅Berlin Hbfが開業すると共に、最高300 km/h対応の高速新線Nürnberg – Ingolstadtも開業し、ドイツ南部でも高速化が図られた。
 2007年6月にはICEは悲願のフランス直通を果たした。Frankfurt (M) – Paris間に設定されたICEには、フランス直通対応に改造された406形 (ICE 3MF)が充当された。さらに、2007年12月からはHamburg – CopenhagenにもICEが登場した。このデンマーク直通運用には2006年春から細々と営業運転を再開していたICE-TDが投入された。Vogelfluglinie 渡り鳥ラインと呼ばれるルートにはフェリー航送区間もあり、鉄道ファンの注目を集めた。
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 ドイツ鉄道が悩まされたのが車軸の問題であった。2008年ICE 3は低速で走行中に車軸が折損して脱線する事故が発生し、車軸超音波検査の間隔が短縮されると共に、全車の車軸が交換された。ICE-Tでも車軸に亀裂が発見され、振子装置の使用は2018年までの長きに渡って停止された。
 新型車両が次々と登場する一方、2005年から2008年にかけて、ICE 1はRedesignと呼ばれる更新工事が行われ、インテリアはICE 3に近いデザインとなった。続いて2009年から2013年にかけてICE 2の更新工事も行われた。
 SiemensはICE 3をベースとする高速列車をVelaroのブランドで開発し、スペイン・中国・ロシア・トルコにも輸出した他、London – Parisなどを結ぶEuroStarへのセールスにも成功していたが、2008年にはDBも新型ICE 3としてVelaroを発注した。形式は407形で、406形と同様に8両編成とされた。407形は4電源式で2011年12月よりフランス直通運用に用いられる予定であったが、トラブルが頻発して認可取得が遅れ、2013年12月にようやくドイツ国内でデビューし、2014年4月からは406形に代わりフランス直通のICEにも充当された。
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 2015年12月にErfurt – Halle/Leipzig、さらに2017年12月にEbensfeld–Erfurtで相次いで最高300 km/h対応の高速新線が開業した。Berlin – Münchenを4時間で結ぶ速達列車も設定され、旧東ドイツ地域においても大幅な高速化が達成された。
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 デンマーク直通に使用されていたICE-TDは検査期限切れに伴い、2017年10月に運用を終了した。2編成は“advanced TrainLab“として試験用に残ったが、残りの編成は順次廃車解体が進められている。
 2017年12月にはICE 4が本格的な営業運転を開始した。(2016年から試験的に営業運転に用いられていた。) ICE 4の最大の特徴は、変圧器・変換器・主電動機などの主要機器をPowercarと呼ばれる動力車に集中配置し、路線事情に合わせて柔軟な編成を組むことを可能とした点である。最高速度こそ250 km/hに抑えられているものの、様々な新機軸が盛り込まれ、ドイツ鉄道の新たなフラッグシップに位置付けられている。ICE 4は7両・12両・13両編成の3つのバージョンが製作される予定で、最初に登場したのは12両編成であった。これらは主にICE 1の運用を置き換え、2019年12月からはスイス直通運用への投入も開始された。7両編成は2020年12月からICE 2の運用を置き換える形で投入が開始されており、さらに13両編成も2021年2月から暫定的に営業運転に就いた。ICE 4は最終的には12両編成と13両編成がそれぞれ50編成、7両編成が37編成導入される予定で、現在も製造が進められている。
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 2018 年9 ⽉よりドイツ鉄道 はICE の運行は再⽣可能エネルギーによる電⼒でまかなわれていることから、ICEを”Deutschlands schnellsten Klimaschützer” (ドイツ最速の環境保護者) としてPRすることとし、先頭⾞の⾚帯を緑⾊に変更した。このデザイン変更は全編成が対象とされたが、現在も赤帯のままで走っているICEも少なくない。
 デビューから30年が経過したICE 1はインテリアを中心に再度の更新と、中間客車9両へと編成を短縮する工事が行われており、2030年頃まで引き続き使用が継続される予定である。
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 ICE 3は2016年から403形を中心に更新工事が進められているが、406形については故障が多く維持コストも高いことから、2025年にも廃車が始まる可能性があると報道されている。ICE 2やICE-Tについては2025年頃までは使用される予定であるが、その後の計画は不明である。
 2020年7月にはドイツ鉄道はVelaroを30編成追加発注した。形式は408形で、ICE 3neoと呼称されており、2022年末から投入が開始される予定である。
 近年のICEの最大の問題は慢性的な遅延である。ドイツ鉄道の長距離列車の定時運行率が8割を割り込むことも珍しくなく、交通機関としての信頼性が損なわれている状態である。この遅延の常態化に様々な要因が絡まっているとされるが、特に問題として指摘されているのはドイツ鉄道のインフラ投資が不十分である点である。
 2020年以降の新型コロナウイルス感染症の流行により、ドイツでは厳しいロックダウンが行われ、結果としてドイツ鉄道も大きな打撃を受けることとなった。社会インフラとしてドイツ鉄道は一定の列車運行を継続したが、列車本数や編成両数の削減が行われ、それでも多くの列車が空気を運んでいる状態となった。その中で、2020年の定時運行率はこの15年間で最も高い85%を記録したのは皮肉なことであった。
 ドイツ鉄道は2030年を目標に、“Deutschlandtakt“ (直訳すると「ドイツの時計」)という名の元、ドイツ全域に渡って到達時間短縮や列車本数の増強を行うことを計画しており、それに向けて積極的にインフラ整備や車両調達が行われている。10年後、20年後のICEの変化も見逃せない。
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 最後に個人的なICE体験を記したい。幼い頃に過ごしたドイツに登場した高速列車には、少々武骨だが私好みのスタイルで、デビュー前から興味をひかれた。高校生を卒業する頃にはドイツ鉄道への興味は募るばかりとなり、最初に買ったヨーロッパ型の鉄道模型はフライシュマンのICE 1であった、浪人生活の傍らドイツの鉄道に関する情報を集めるようになったが、その矢先に起こったEschede事故は衝撃的であった。ニュース番組の冒頭で流された映像は今も目に焼き付いている。重苦しい空気の一方で、1998年10月にBerlinで姿を現したICE 3に魅了され、毎日のようにインターネットで画像を眺めたのも懐かしい。
 2005年3月、大学の卒業旅行で実に20年ぶりにドイツに降り立ち、最初に乗ったのはFrankfurt (M)空港からMannheimまでのICE 1であった。そして、何よりも素晴らしい体験だったのは、Frankfurt (M)からAmsterdamまでラウンジ席で乗り通したICE 3の旅であった。益々ICEに魅了された私はその後もチャンスを見つけてはドイツに飛ぶようになった。
 人生最大の幸運の一つは、2016年7月から2018年2月までDüsseldorfに留学する機会を得たことであった。留学期間中、暇を見つけてはICEに乗り、そして撮った。ICE 3の当時現役だった83編成全編成を撮影したことは、私の趣味歴においては最大の成果である。ICE 4の登場をドイツで迎えることができたし、BerlinからMünchenへのICE Sprinterの一番列車をICE 3のラウンジ席で乗車することもできた。
 帰国して3年、ICEは更なる変化を続けている。ドイツにいた時のような活動は到底できないが、それでもICEの動向を追いかけるのは楽しいものである。ICEは今も私の趣味の中心である。
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Rhein-Ruhr-Express (RRX) [ドイツ鉄道 列車]

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 ドイツ北西部、Nordrhein-Westfalen (NRW)州はヨーロッパでも最も人口の集中している地域である。特にラインラント地方とルール地方の主要都市を結ぶKöln – Düsseldorf – Duisburg – Essen – Bochum – Dortmund間はドイツでも利用客数が多い路線の一つであり現状でも列車密度も高いが、慢性的な混雑と遅延が課題になっている。そこで、この路線をコアに周辺都市をカバーする地域輸送ネットワークを改良・整備し利便性を向上させるプロジェクトが開始され、Rhein-Ruhr-Express (RRX)と命名された。RRXプロジェクトは単なる新しい列車の導入計画ではなく、大規模なインフラ整備も含まれており、連邦政府からも優先度の高いプロジェクトと位置付けられ、ドイツでも最大級の鉄道プロジェクトである。NRW州の地域公共交通の輸送量は年々増加しているが、このプロジェクトが完成すれば自家用車から公共交通へのシフトが更に進むと予想されている。
 2000年代半ばに連邦政府・NRW州政府・DBの間でRRXプロジェクトに関する枠組み合意が締結された。インフラ整備の計画と実行はDBのインフラ部門であるDB Netzが中心となり、DB Station & Service・ DB Energieも参加して行われる。Köln – Dortmund間は(1) Köln – Leverkusen – Langenfeld、(2) Düsseldorf、(3) Düsseldorf - Duisburg、(4) Mülheim、(5) Essen – Bochum、(6) Dortmundの6つの区画に分けられ、連邦政府の出資で、DB Netzによって順次線増工事などが行われる予定である。また、Köln – Dortmund間以外の駅についても、NRW州政府の出資でDB Station & Serviceによって改良工事が実施されることとなっている。
 インフラ整備の完成は2030年~2035年になると見込まれており、その際には現在のREネットワークに代わり、以下のRRXネットワークが整備され、コアとなるKöln – Dortmund間では15分間隔でRRXが運行することが計画されている。

RRX 1
Aachen – Köln – Düsseldorf – Essen – Dortmund

RRX 2
Aachen – Köln – Düsseldorf – Essen – Dortmund – Hamm – Paderborn – Kassel

RRX 3
Köln/Bonn Flughafen – Neuss - Düsseldorf – Gelsenkirchen – Dortmund – Münster

RRX 4
Koblenz – Köln – Düsseldorf – Essen – Dortmund – Hamm – Bielefeld

RRX 5
Düsseldorf – Duisburg – Oberhausen – Wesel

RRX 6
Koblenz – Köln – Düsseldorf - Essen – Dortmund – Hamm – Bielefeld – Minden

RRX 7
Düsseldorf – Duisburg – Essen – Gelsenkirchen – Münster - Osnabrück

 このRRXネットワークの実現はインフラ整備の完了を待つ必要があるが、それに先立って2016年12月のダイヤ改正でNRW州をカバーするRegionalExpress (RE)のネットワークに修正が加えられ、2018年12月以降、段階的に以下のRE路線を順次RRXによる運行へ変更することとなった。

RE 1
Aachen – Köln – Düsseldorf – Essen – Dortmund – Hamm

RE 4
Aachen – Mönchengladbach – Düsseldorf – Wuppertal – Hagen – Dortmund

RE 5
Koblenz – Köln – Düsseldorf – Duiseburg – Wesel

RE 6
Köln/Bonn Flughafen – Neuss - Düsseldorf – Gelsenkirchen – Dortmund – Hamm – Minden

RE 11
Düsseldorf – Essen – Dortmund – Hamm – Paderborn – Kassel-Wilhelmshöhe

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DB RegioのRE

 RRXの運行は、Verkehrsverbund Rhein-Ruhr (VRR)、Nahverkehr Rheinland (NVR)、Nahverkehr Westfalen-Lippe (NWL)の3つの運輸連合が、Nordhessischen VerkehrsverbundおよびSPNV-Nordと協力して管轄する。RRXには専用の新型車両が用意され、運輸連合VRRが保有して運行会社にリースすることとなった。
 RRXの運行権は入札で決定され、2015年6月16日RE 1・RE 11の運行権をオランダ鉄道NS傘下のAbellio NRW、RE 4・RE 5・RE 6の運行権をイギリス資本のNational Expressが獲得したことが発表された。なお、運行権の期限は2033年12月である。DB Regioが落札に失敗した背景として人件費が高い点が挙げられている。NRW州においては、DB RegioはS-Bahnの運行権の落札にも失敗しており、将来的にはNRW州におけるDB Regioのシェアは50%未満に低下する見込みである。

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 2015年3月16日、RRXに運用される車両の調達先としてSiemensが選ばれ、新型電車Desiro HC 82編成が発注された。車両調達に加え、32年間のメンテナス契約を結ばれ、17億ユーロに及ぶ大型契約となった。後に納入遅れに対する補償として無償で2編成が追加され、最終的に84編成が製作される予定である。
 Siemensは地域輸送用車両の電車または気動車を“Desiro“ブランドで展開しており、ドイツのtrans regioやオーストリアのÖBB向けに製造されたDesiro ML、スイスSBB向けの総2階建て電車Desiro DDなど様々なバージョンの車両を製造してきた。Desiro HCはDesiroファミリーの最新バージョンの電車で、形式は462形である。
 Desiro HCは乗客の快適性を高めつつ、高い収容力を確保することが重視され、先頭車が1階建て動力車、中間車が2階建て付随車となった点が最大の特徴である。Siemensは既に総2階建て電車を製造した経験があるが、先頭車を動力車とした場合、技術的な制約が多い割に収容力の点でのメリットが小さいと考えられたことから、このような車両構成が選択された。RRX向けのDesiro HCは2階建て中間客車2両を挟んだ4両編成となっているが、中間車を増やすことで5両編成または6両編成とすることも可能である。RRXでは通常2編成併結で運用されるが、最大3編成の併結運転も可能な設計となっている。

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 Desiro HCの車体はアルミニウム製で軽量化が図られている。車体幅2,820mm、車体長は先頭車26,226mm、中間車25,200mmで、RRX用の4両編成では編成長は105,252mmとなる。軸配置はBo‘Bo‘+2‘2‘+2‘2‘+Bo‘Bo‘で、主要機器は先頭車の屋根に搭載されており、車内スペースを確保するとともに、メンテナンス性向上も図られている。編成重量は200tである。正面デザインはまず空気力学的に望ましい形状を決められ、その上でライト類など各パーツの配置が決定された。Desiro HCの正面デザインは全く新しいものであるが、従来のDesiro MLのイメージを踏襲している。側面については、編成としての統一感が損なわれないよう配慮され、1階建て先頭車と2階建て中間車の高さが目立たないよう先頭車はパネルで嵩上げされている。なお、車体はTSIおよびEN15227に準拠した衝撃吸収構造を有している。
 編成での出力は4,000kWで、最高速度160km/h、加速度は最大1.1 m/s2の性能を有する。台車は、動力車ではSF 100形、付随車ではSF 500形空気ばね台車が採用されている。Train Control Network 車内情報制御伝送系はイーサネットをベースとしている。
 車内もモジュール構造となっており、1等席・2等星・自転車用スペースなどを路線事情に合わせて設定できる。RRX用編成では片側の先頭車の2/3のスペースに2+2列で36席の1等席が設定された。2等席は364席で、座席定員は400名である。座席は1等・2等とも2+2列配列のクロスシートが基本であるが、2等2階席の階段付近に通路を挟んで座席を向かい合わせに配置された一画があり、また先頭車の一部は自転車などの搭載を考えて折り畳み椅子となっている。1等車では全席、2等車では2席に1席の割合で電源ソケットが用意されている。さらに1等席には読書灯・折り畳みテーブルも付属しており、2等席も一部では折り畳みテーブルが設けられている。インテリアは1階建て車両・2階建て車両に関わらず、極力統一感があるよう配慮されたが、特に2階部分は側窓がカーブしていることもあり圧迫感が大きく、またスペースの制約から荷物棚も小さいという欠点がある。

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 折り畳み椅子が設けられたスペースには最大18台の自転車搭載が可能である。Desiro HCは、移動困難者でも快適に利用できるようEUが定めた規制であるTSI PRMに準拠している。乗客の移動や乗降をスムーズにするため、乗降扉は幅の広いものとなり、デッキや通路は極力広く取られている。乗降口の高さは先頭車800mm、中間車730mmで、ヨーロッパの標準である高さ760mmおよび550mmのプラットフォームに対応している。特に先頭車は760mmプラットフォームからフラットな乗降が可能で、車椅子や乳母車などを用いる乗客に対応している。トイレは中間車に1か所ずつ設けられた他に、2等車側先頭車には身障者対応のユニバーサルトイレが設置されている。

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 車内照明はLEDである。空調装置は三菱電機が受注し、乗車人数に合わせてエネルギー消費を最適化する機能を有していることが特徴がある。。車内各所には情報案内用の液晶モニターが設置されている。また、セキュリティ向上のため、高解像度のCCTV監視カメラが設けられている。RRXではWLAN設備が設けられ、無料WiFiサービスが提供される。

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 RRXのカラー・コンセプトはグレーを基調にオレンジ色をアクセントとしており、ドットマトリックスを用いているのが特徴である。外観では、1等車側の先頭車正面がオレンジに、2等車側が黒色となっているのが目立つ。RRX用の外観デザインは2009年にはRE 3に運用されていたEurobahnのStadler製Flirtの外観に試験的に施されていたが、このデザインは実車の開発の過程で少しずつ変更が加えられている。インテリアデザインにおいては、当初案に比べオレンジ色の使用は抑えられてグレーを基調とすることで、高級感のある内装となっている。

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 RRXのデザインを担当したのはTRICON DESIGN AGである。同社のRoland Dressel氏が記した専門誌の記事によると、RRX向けのDesrio HCのデザイン・プロジェクトは、「Siemensの新車両Desiro HCのデザインすること」・「Desiro HCのデザインをRRXの要件に合わせて調整すること」・「RRXのデザインコンセプトの実行すること」の3つの要素からなっており、全く新しいコンセプトの列車をデザインしつつ、RRXという新しいブランドの作り上げたこのプロジェクトは、デザイナーにとっても非常に魅力的であった、としている。その高品質なデザインは高く評価され、2016年iF Design Award、2017年German Design Awardを受賞している。
 Desiro HCの製造はKrefeld・Wien Simmering・Graz・Wegberg-Wildenrathの各工場で行われる。なお、Desiro HCはRRX以外からも発注されており、2019年7月現在、DB RegioがNetz Rheintal (Freiburg・Basel方面)用に4両編成15本、Go Ahead GermanyがAugsburg向けに5両編成12本、Ostdeutsche Eisenbahn GmbH (ODEG)がNetz Elbe-Spree 向けに6両編成21本・4両編成2本をそれぞれ発注している。さらにイスラエルからも24編成が発注されている。

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 2017年3月31日Krefeld工場でRRX向けDesiro HCの先頭車が姿を現した。5月にはWienで製造された2両の中間車がSiemensのテストセンターがあるWegberg-Wildenrathに到着し、ここで先頭車と連結されて4両編成となり、試運転が開始された。7月12日にはメディア向けに内装・外観が公開され、11月20日には本線での試運転が開始された。さらに2018年9月にはBerlinで開催されたInnoTransでRRX用のDesiro HCが公開された。
 2018年6月、Dortmund-Evingに操車場の跡地を利用して、RRX用の保守基地が完成した。保守基地の面積は70,000m2で、基地内の線路長は5.5kmに達する。保守基地は、6線の整備庫、3階建ての倉庫、清掃設備などから構成される。高性能3Dプリンターも備えられ、スペアパーツの迅速な補充を可能としている。この基地は徹底したデジタル化が推進されている点も特徴である。この保守基地は今後32年間、RRXの保守整備を担当することになる。
 2018年12月、連邦鉄道庁EBAよりRRX用のDesiro HCの営業運転に対する認可が下り、予定通り2018年12月9日ダイヤ改正でRE 11系統でRRXの営業運転が開始された。運行を担当するのはAbellio NRWで、まずは15編成のDesiro HCがこの運用に就いた。2019年6月9日よりRE 5系統もRRXによる運行となった。運行を担当するのはNationalExpressである。なお、これに先立つ5月9日よりDB Regioが運行していたRE 5系統の1運用が乗務員の習熟のため、RRXによる運行となっていた。RRXはこれまでおおむね順調に営業運転を行っている。定評のあったDB Regioの2階建て客車に比べて快適性で劣るのではないか、という批判もあるが、乗客には概ね好評をもって迎えられている。

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 2019年12月からはRE 6系統 (NationalExpress)、2020年6月からはRE 1系統 (Abellio)、2020年12月からはRE 4系統 (NationalExpress)がRRXによる運行となる予定で、RRXがNRW州の地域輸送で中心的な役割を担うことになる。

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 RRXはヨーロッパでも最大級の都市圏の地域輸送を、運輸連合が主体となって整備する壮大な鉄道プロジェクトであり、今後の動向も注目される。

<参考>
Roland Dressel. ”High Capacity Design – Die Gestaltung des Triebzuges Desiro HC für Siemens und den Rhein-Ruhr-Express (RRX)”. EI-SPEZIAL, Sep. 2017.
Eisenbahn Kurier 各号
Eisenbahn Modellbahn 各号
RRX ホームページ (www.rrx.de)
Siemens Mobility ホームページ (www.siemens.com)
Deutsche Bahnホームページ (www.deutschebahn.com)
TRICON ホームページ (www.tricon-design.de)
RP ONLINE (rp-online.de)
Der Western (www.derwesten.de)
Railcolor News (railcolornews.com)
Railway Gazette (www.railwaygazette.com)
Railway Technology (www.railway-technology.com)
Drescheibe-Online (www.drehscheibe-online.de)
Lok Report (www.lok-report.de)
www.elektrolok.de
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Berlin発München行ICE-Sprinter 定期1番列車に乗る [ドイツ鉄道 列車]

 12月10日ヨーロッパではダイヤ改正が行われ、高速新線Ebensfeld–Erfurtが開通した。これによりBerlin・München間の高速化プロジェクトVDE 8が完成し、両都市を4時間以内で結ぶ速達列車ICE-Sprinterが1日3往復設定された。ICE-Sprinterは朝6時・12時・18時にそれぞれの都市を出発するダイヤとなっているが、日曜日は朝の便の設定がなく、12時発の便が初便となる。10月17日のチケット発売に合わせて、Berlinを12時に発車するICE 1005の1等ラウンジ最前列を確保した。
 前々日から断続的に雪が降り寒い中、12月10日朝6時前に出発し、自宅近くの停留所からバスに乗る。Düsseldorf空港までは20分程である。まだ朝早いとはいえ、Eurowingsのチェックインカウンターは長蛇の列だったが、無事にチェックインを済ませ、セキュリティーチェックを抜けて搭乗口へ。Berlin行EW9050便はバス接続である。A320の搭乗率は8割程度であろうか。

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 定刻の7時25分より15分程遅れて、飛行機は動き出す。滑走路に向かう途中一旦停止し、除雪作業を受け、離陸したのは8時前であった。そろそろ日の出の時間、明るくなってくると地上は一面雪景色でる。Eurowingsは3種類の運賃が設定されており、私の買った真中の運転だと座席指定ができ、スナックと飲み物が付く。コーヒーとチーズのサンドイッチで朝食とする。ベルリンまでの飛行時間はわずか55分、3層の雲を抜けると、窓からはベルリンタワーや大聖堂などアレクサンダー広場が見えた。9時前にBerlin Tegel空港に着陸する。

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 Tegel空港ターミナルは非常にコンパクトな造りで、すぐにバスに乗るこおがある。Berlin Hbfまでは20分あまりで着く。Berlinは寒いがDüsseldorfと違って晴れている。時間があるので、駅構内を散歩しつつ、発着する列車を撮る。ちょうど、Frankfurt (M)に向かう旧Metropolitan編成のICEが入線していた。

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 時期が時期だけに駅構内はクリスマスの装飾が施されている。ダイヤ改正をPRするブースも設けられ、早速パンフレットや記念品のICEがデザインされたクリスマツリー飾りをもらった。

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 10時45分頃になり、ICE 1005の始発駅であるBerlin-Gesundbrunnen駅に向かうことにする。30分毎に運転されるREに乗るとわずか4分で着くが、S-Bahnを乗り着いて向かうことにする。しかし、Hbfから隣のFriedlichstraße駅まで行くまでは良かったが、ここでの乗り換えで反対方向の列車に乗ってしまった。幸いにも途中で気が付いたが、Berlin-Gesundbrunnenに着いた時には11時半になっていた。時間に余裕をもって行動して幸いであった。
 5番線ホームにはICE 1005が既に入線していた。ICE-Sprinterは新しく開業した高速新線の保安システムETCS Level 2に対応するICE 3 (403形)の更新車が用いられる。今日は8両編成 (Tz 331編成)での運転で、先頭から2両が1等車、続いて2等車、食堂車、2等車4両と続く。この編成は8日に開催された開業記念式典に合わせて、プレス向け特別列車に充当された。その際の関係者の署名が入った装飾が最後尾には残っており、自分の名前を書き入れるファンの姿もあった。

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2等車

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食堂車

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1等車

 数人の鉄道ファンがICEにカメラを向けているが、新しい列車にしては落ち着いた雰囲気である。まだ乗客は少ないが、次の中央駅から乗車する人が多いのであろう。指定された1等車ラウンジに落ち着く。

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 11時54分定刻に列車は発車する。すぐに地下にもぐり、Berlin Hbfの地下にある1番線ホームに到着する。ホームには多くの乗客が待っており、ここで列車の座席はほぼ埋まった。一見して鉄道ファンと分かる乗客も少なくないようだ。車内放送では今日は全ての座席の指定券が売り切れており、臨時列車が運転されるので、そちらを利用するように、との案内を繰り返している。

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 12時05分に発車、ここで女性の車掌が“Herzlich willkommen zu dem ersten planmäßigen ICE-Sprinter nach München“ 「ミュンヘン行ICE-Sprinterの定期1番列車にようこそ」と話したのが、唯一の初列車らしいところであった。地下区間を抜けると、Berlin-Südkreuzにも停車する。ここでも一定の乗車がある。

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 12時11分に発車すると車掌が検札に回ってくる。程なくして列車は200km走行区間に入る。ドイツは通常右側通行だが、Jüterbog付近で転線し、しばらく左側を走り、近距離列車を抜くと再び右側に戻る。複線区間でも2線を柔軟に用いるのはドイツらしい点である。ルターゆかりの町で、宗教改革500周年に沸いたLutherstadt Wittenbergも通過し、列車は200km/h程を維持し、一路南西へ向かう。ICE 3の更新車はICE 4と同じ座席が用いられている。2等席の座り心地は必ずしも評判が良くないよいだが、1等席は堅めながら体にフィットし、なかなか快適である。また車内各所に情報案内用液晶ディスプレイが設けられ、前面展望を楽しみながら速度を確認できるのも楽しい。

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 BittenfeldでLeipzig方面の路線が左に分岐していく。Berlin – München間のICEの大半はLeipzigを経由するが、速達を目的とするICE-SprinterはここからHalleに直接向かう。Halleの手前で一旦信号停車、どうやら対向列車を待ったようだ。Halle Hbfには6分遅れで到着するとの案内が流れたが、思ったよりも早く動きだし、3分遅れで13時19分に到着する。

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 Halle Hbfを出発、Halle-Ammendorfを通過するとErfurtまで高速新線を走る。この高速新線は高速化プロジェクトVDE 8.2として建設され、2015年12月に開業したばかりの新しい路線である。最高300km/hに対応しており、ICE 3の性能を活かせる区間でもある。Erfurtまでは106kmの距離があるが、30分もかからず、Erfurt Hbfには13時47分に着く。ホームに降りてみると、雪が舞っている。

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 ここでも乗車が多く、一見して鉄道ファンも分かる乗客も目立った。といっても、皆乗り心地を楽しむのが目的のようで、談笑しながら座席で寛いでいた。開業直後ということもあり、この駅で運転室にサポートの技術者も乗り込んだ。
 2分遅れの13時49分に発車した列車はEisenach方面の在来線と分かれ、いよいよ今回新たに開通した高速新線に入る。ダイヤ改正までICEはHalleからJena・Saalfeldを経由しBanbergへ抜けるSaalbahnを通っていたが、この区間は曲線が連続し、高速化のネックになっていた。新たな高速新線は高速化プロジェクトVDE 8.1としてErfur – Ebenfeld 107kmに建設され、最高300km/hにも対応している。車窓は雪一色、特にTüringer Waldと呼ばれる森林地帯は雪が深く、視界もそれほど良くはなかったが、ICEは300km/hに走る。この高速新線では貨物列車の運行も行うため、待避線が随所に設けられている点が挙げられる。ただ、この日は貨物列車の姿は見なかった、日曜日ということもあるのかもしれない。

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 南に進むに連れ、トンネルが多くなる。この路線には全長7391mのSilberbergトンネル、8314mのBleßbergトンネルなど長大トンネルも存在する。列車は280~300km/hで快調に走る。Rödentalの手前でCoburgへの路線が分岐する。この路線は再び高速新線に合流し、Coburgに停車するICEも設定されている。また、このダイヤ改正からNürnbergからこの高速新線を通ってCoburgを経由しSonnebergを結ぶRE „Franken-Thüringen-Express“が2時間間隔で新設され、Coburgまでの所要時間を30分短縮した。ただ、高速新線に採用された保安装置ETCS Level 2にDB Regioの動力車や制御客車は対応しておらず、結果的にリースで導入された最新型のSiemens製電機Vectron2両の間に2階建客車を挟んだPP編成という贅沢な編成での運行となっているようだ。Coburgからの路線が合流する辺りから、最高速度は250km/hとなる。まもなく107kmの高速新線は終了、30分もかからず高速新線区間を駆け抜けたことになる。ここからはSaalfeld・Lichtenfelsを経由してきた在来線と並行して走り、最高速度は160km/hに抑えられる。まもなく、Bambergを通過する。

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 最高160km/h。高速新線を走っていた後ではどうにも遅く感じてしまうが、どうやら時間通りには走っている。将来的には最高230km/hへの高速化計画もあるようである。外は吹雪いており、雪もかなり積もっている。Würzburgからの幹線と合流しFürthを通過する頃には減速、定刻の14時58分にNürnberg Hbfに到着する。ここまでBerlin Hbfから3時間弱、以前NürnbergからHalleまでICEに乗った際に、この区間だけで3時間半かかり長く感じたことを考えれば、本当に速くなったものである。ここで降車する乗客が多かったが、逆に乗車も多く、列車は相変わらず座席は埋まった状態である。

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 15時01分に発車する。バイエルン州に入って雪は一段と深くあったようだ。ここからIngolstadtまでは再び最高300km/hの高速新線に入るが、列車は160km/h止まり。どうやら最高制限速度が制限されているようだ。途中駅のAllesbergとIngolstadtの手前で2回の信号停車もあり、列車は徐々に遅れていく。

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 係員が飲み物や食べ物の注文を取りに来たので、新線開業祝いとしゃれこんでゼクトを注文する。ちゃんとゼクト用のグラスを用意してくれるのは嬉しい。しかし、Ingolstadtの手前のカーブで一時停止し、再び発車した際にテーブルから瓶が滑り落ちてしまい、半分ほどしか飲めなかったのは残念であった。

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 Ingolstadtからは最高200m/hの改良新線区間だが、やはり160km/hでの走行が続いたがMünchenに近づいたところで200km/hで走る。Augsburg方面からの幹線と合流すると、もうMünchen市街、左右をヤードやS-Bahnの路線に挟まれてゆっくりと走り、定刻より25分遅れの16時28分にMünchen Hbfに到着した。最後の最後に遅れたのは残念であったが、それでもBerlinからMünchenまでの時間短縮を定期1番列車で実感できたのは何よりも嬉しいことであった。

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 なお、München発Berlin行のICE-Sprinter初列車ICE 1004は車両で保安装置ETCSのトラブルが発生し、新規開業した高速新線ではなく、Würzburg・Fulda経由で運転され、Erfurtには2時間半遅れで到着、しかもErfurtで運転を打ち切られ、ErfurtからBerlinまで代替列車に乗り換えを要したそうだ。ICE 1004とICE 1005のどちらに乗るか散々迷ったのだが、結果的にこのICE 1005を選択したのは幸運であった。それにしてもETCSのトラブルは12月8日のプレス向け列車でも起こっており、安定走行を望みたいところである。ICE 1005が車庫へ引き上げていくのを見送った後は、駅を発着する列車を少し撮影する。

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 朝食は飛行機で出された小さなサンドイッチ、昼食もまともに食べられなかったので、構内のフードコートでWeisswurstを頬張り、空腹を満たす。先程通ってきたNüernberg - Ingolstadt – Münchenは人身事故があったようで列車が運行できなくなったようだ。雪の影響もあり、多くの列車で大幅な遅延や運休も発生している。Düsseldorfへの復路は飛行機かICEかかなり迷った末、飛行機を選択していたが、Düsseldorf 方面のICEが軒並み1時間以上遅れているところをみると、結果的には正解であった。
 17時50分頃、Berlinへ向かうICE-Sprinter、ICE 1000が入線してきた。先程乗ったICE 1005に使用されていたTz 331編成がそのまま折り返すようだ。先頭の連結器カバーは相変わらず開けっ放しである。ちょうど、この列車に乗るという友人に偶然会い、言葉を交わして別れた。

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 München空港へ向かうことにする。空港へはS-BahnのS1またはS8系統でアクセスできるが、S1系統は動いているものの、S8系統は止まっているようだ。そこでリムジンバスを使ってみることにした。リムジンバスは所要45分でS-Bahnとほぼ同等で、料金も11ユーロとあまり変わらない。18時のバスは空いており、座席もなかなか快適である。アウトバーンを順調に走り、時間通りに空港に着く。

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 21時30分発LufthansaのLH2024便の搭乗手続きを済ませる。第1ターミナルと第2ターミナルの間の空間ではクリスマスマーケットが開催中で、アイススケートリンクまで設けられており、賑わっている。私は空港内の醸造所兼レストランのAirbräuへ。こ知らも混んでいたが、待つこともなく入店できた。FliegerQuell(ヘレス)とKumulus(ヴァイスビア)、Jetstream(ピルスナー)と3種のビールと共に七面鳥のシュニッツェルで夕食とする。

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 20時過ぎにはセキュリティーエリアに入り、搭乗口近くで飛行機を待つ。妻からDüsseldorfは日中大雪だったと聞いており、Düsseldorf空港も4時間閉鎖されていたそうだ。München空港からの出発便も運休や欠航が相次いでいたが、幸いにもLH2024便は無事に飛ぶとのことである。折り返し整備と接続便を待ったせいか、最終的には30分遅れの出発となったが、無事に離陸する。アルコールを含めた飲み物とレーブクーヘンが全員にサービスされるのはLCCとの違いであろう。到着直前にかなり強い揺れもあったが、23時過ぎに無事に着陸した。

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 もう夜も遅くなり、バスもちょうど行ってしまったので、タクシーに乗る。道路が空いていたこともあり、わずか10分で自宅に着いた。
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S-Bahn Rhein-Ruhr S1系統で走る旧型車両 [ドイツ鉄道 列車]

 S-Bahn Rhein-Ruhrは11路線、全長676kmに及ぶネットワークを誇り、ドイツの人口密集地帯であるノルトライン=ヴェストファーレン州の都市交通の一翼を担っている。この地域でS-Bahnの運転が開始されたのは1967年のことである。当初は141形牽引のn-Wagenによる客車列車が用いられたが、1972年以降は420形に置き換えられた。しかし、駅間距離が長いルール地方では420形の車内設備は不評で、1978年以降S-Bahn用に開発されたx-Wagenによる客車列車に置き換えられた。牽引は当時の新鋭機111形が用いられたが、後に143形に置き換えられた。
 現在、S-Bahn Rhein-Ruhrの主力車両は422形である。422形はBombardier・Alstomにより423形をベースに開発された連接式の4両編成の電車で、最高140km/hの性能を有する。2008年から2010年末にかけて84編成が製作された。422形の導入に伴い、従来のx-Wagenによる客車列車は置き換えられ、わずかに残ったx-Wagenは波動輸送などに細々と使われるのみとなった。

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現在の主力422形

 この422形に2016年末に問題が生じた。2016年9月16日にEssen付近で架線が422形の屋上機器に接触し、火災が発生した。さらに11月18日にも小規模ながら火災が発生した。いずれも負傷者などはなかったが、422形のトンネル区間での運行認可を取り消され、422形は2017年1月より屋上電気配線に対する対策工事が開始された。この措置に伴う影響を受けたのがS1系統とS4系統である。
 S1系統はSolingen – Düsseldorf - Düsseldorf Flughafen – Duisburg – Essen – Bochum – Dortmundを結ぶ主要路線で、平日日中20分間隔、土休日30分間隔で運転されている。このうち、Dortmund市内には地下トンネルを走行する区間があり、422形での運行が出来なくなった。そこで、2016年11月23日よりS1は運転系統がSolingen – BochumとBochum – Dortmndに分割され、後者にはx-Wagenによる客車列車が投入されたのである。牽引には143形とともに111形も投入され、111形にとっては20年ぶりのS-Bahn Rhein-Ruhrへの復帰となった。一方、S4系統はUnna - Dortmund-Süd - Dortmund-Dorstfeld – Dortmund-Somborn -Dortmund-Lütgendortmundのうち、トンネル区間であるDortmund-Somborn -Dortmund-Lütgendortmundはバス代行となった。

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x-Wagen

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111形牽引のx-Wagen編成

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x-Wagen車内

 当初の暫定ダイヤはBochum Hbfホームの容量の問題もあり、Solingen発の列車が到着する直前にDortmund行の列車が発車してしまい、逆方向も同様で、接続が全く考慮されていなかったが、Dortmund発着列車はBochum Hbfを経由してEssen Hbfの2駅手前、Essen-Steele Ostまで延長された。
 Dortmund – Essen-Steele Ost間の列車にはx-Wagenによる客車列車に加え、420形も用いられるようになった。420形は2004年以降、Stuttgartで活躍していた比較的新しい車両がルール地方に再配置され、ラッシュ時に運転されるS68系統に使用されている他、時には422形の改良工事に伴う車両不足を補うため、S1にも投入されることもあった。主力車両である422形に加え、x-Wagenや420形も活躍するBochumはさながらS-Bahn Rhein-Ruhrの動態保存の展示場の趣きであった。

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420形

 8月18日夕方、Bochum Hbfに足を向けると、143形牽引のx-Wagenが姿を現した。X-WagenはEssenで過ごした幼い頃に乗った懐かしい車両である。車内は極めてシンプルだが、100km/h以上のスピードでも乗り心地は良好である。機関車に引っ張られる感覚が何とも心地よく、Dortmundまでの20分あまりの旅を楽しんだ。この日は他に420形も2編成が運用に入っていた。

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x-Wagen

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143形

 しかし、422形の改良工事が進み、8月21日からS4系統が、さらに8月28日からはS1系統が通常運行に戻ることが発表された。420形もx-Wagenもすぐに引退するわけではなく、S68系統に加え、波動輸送用に残るようであるが、一世代前のS-Bahn車両が活躍する機会が減少するのは、やや寂しくも思う。
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ICE 25周年 [ドイツ鉄道 列車]

 1991年6月2日5時53分、ICEの営業初列車がHamburg-Altonaを発車した。そして今日、ICEは25周年の記念日を迎えた。この25年間で、ICEはドイツ全土、さらに周辺各国にネットワークを広げ、今日ICEはドイツの長距離鉄道輸送において中心的な役割を果たしている。

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25年間で変わらないのは、このICE 1の存在である。今なお健在、ドイツの南北を結ぶ幹線やスイス直通列車に活躍している。しかし、2017年に営業開始予定のICE 4の試運転が開始されており、置き換えられる日もそう遠くはない。

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2編成併結運転が可能なICE 2は、編成の一方のみに動力車が存在することで運用上の制約が多く、やや中途半端な存在になったが、首都ベルリンと産業の中心であるルール地方を結ぶ路線では主役である。

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自慢の振子装置はもはや使用されていないが、ドイツ東部やオーストリア直通列車の主役といえばICE-T。

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動力分散式を採用し、デザイン面においても、ICEの完成形となったICE 3。

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ICE 3の改良形である407形Velaro Dはフランス直通列車を中心に活躍中。

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2017年12月にはICE 4の営業運転を開始する予定である。ニュルンベルク・エアフルト間、シュツットガルト・ヴェントリンゲン間などで高速新線の建設も進められている。ドイツの高速鉄道網の更なる発展に期待したい。そして、今後もドイツの車窓を肴に、ICEの旅を楽しみたいと思う。
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ICE 20周年 [ドイツ鉄道 列車]

 1991年6月2日5時53分、ICEの営業初列車がHamburg-Altonaを発車した。そして今日、ICEは20周年という記念の日を迎える。

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 Hamburg - Frankfurt (M) – Münchenの一路線でスタートしたICEのネットワークは、現在は旧東ドイツ圏も含めてドイツ全土をカバーし、さらにスイス・オーストリア・オランダ・ベルギー・フランス・デンマークといった周辺各国まで広げている。DBの公式ページによると、現在ICEは1日21万人以上が利用しており、ドイツ鉄道の長距離輸送の60%を担っている。そして、年間利用客数も1992年800万人から、2010年7800万人へと、10倍近く増加した。この20年間でICEは、名実ともにドイツ鉄道の中心的な存在に成長したのである。

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 ICEの存在を初めて知ったのは1980年台の終わりである。日本の鉄道雑誌で見たドイツに登場した新しい高速列車は、真っ白な美しい車体を持ち、新幹線ともTGVとも異なる個性を持っていた。幼少時を過ごしたドイツにこんな列車が走るのか、と胸を躍らせたのを今でも記憶している。
 そして、1991年の開業。新幹線に27年、TGVには10年遅れて走り始めた列車は、ずんぐりとしていてスマートではなかったが、何とも言えない愛嬌があった。そして、工夫の凝らされた車内、さらに天井の高い食堂車。私にとって、憧れのドイツが、そのままICEに重なったのである。しかし、ドイツに行ってICEに乗りたいと強く思ったものの、当時中学生の私にはドイツに行く機会などなかなか訪れるものではない。そうこうしているうちに、高校生になり、浪人をし、と月日は過ぎていったが、ドイツ鉄道への興味は増すばかりであった。

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 1996年に雑誌で見た、新型ICEのモックアップの強烈な印象も忘れがたい。洗練された美しい車体、そして運転室後部に設けられた展望ラウンジ。以来、この新型ICEの登場を心待ちにした。
 1998年に友人たちとRiGを開設してからは、ドイツ鉄道への興味と憧れはますます高まった。しかし、次に眼にすることになったのは、大惨事であった。1999年6月3日夜、ニュースを見ていると衝撃的な映像が眼に飛び込んできた。ICEが転覆し、無残にも押しつぶされていた。あのICEが・・・・。そう、Eschede事故である。犠牲者101人という重い現実。ICEは緊急検査のため、一時運用から外され、復帰しても短縮編成を組むなど、暗い時期が続いた。

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  重苦しい空気の中、一筋の光のようにデビューした新型、それこそがICE-T、そしてICE 3である。特に300km/h走行が可能なICE 3の登場は楽しみで、1999年末は毎日のようにWeb上でICE 3の写真を探し回ったのを覚えている。流麗で美しい外観、そして如何にも高品質な車内のデザインに強い憧れを抱いたのであった。2002年にはNBS Köln-Rhein/Mainが開業、ICE 3は300km/h運転を開始し、開業後11年目でICEは最高速度でようやく世界最速に追いついたのであった。

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 ドイツを訪れる機会がようやく訪れたのは2005年3月のことであった。20年ぶりのフランクフルト空港に降り立ち、空港駅ホームに降り立つと、程なくICE 3が入線してきた。その瞬間、ICE 3は私にとっては他の鉄道車両とは全く異なる特別な存在になったのである。

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 ICEはその後も進化を続けている。気動車バージョンのICE-TDも登場する一方で、高速新線の整備も進み、年々ネットワークも拡充されていった。その中でも、2007年のパリ直通は特に印象的な出来事であった。
もちろん、良い面ばかりではない。Eschede事故以後も、ICE-TDがトラブルが続発して一時運用を完全に外れたり、最近の空調や車軸問題など、トラブルも少なくなかった。しかし、そんな中でもICEがここまで成長してきたのは感慨深い。

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 幸いにも2005年以降、何度か渡独する機会に恵まれ、ICEは非常に馴染み深い存在になった。開業当時から活躍し、長い編成で未だに圧倒的な貫禄が漂うICE 1、目立たないが主要路線で柔軟な活躍をするICE 2、準幹線をカバーするICE-T、そしてドイツ鉄道のフラッグシップにふさわしいICE 3、それぞれに魅力がある。そして、これらの車両がこれからも長く活躍することを願う。

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 来年には新型の407形Velaro Dがデビューする。先頃、ICE 1やICE 2の後継車となるICxも発注された。新しい時代は確実に近づいている。次の10年、そして20年、ICEはどのように変貌するのであろうか。興味は尽きないのである。

1980年代のInterCity (2) [ドイツ鉄道 列車]

 1980年代のICを紹介するシリーズの2回目は、ICの牽引機の変遷についてまとめたい。1971年の運転開始以来、ICの大半は103.1形が牽引する1等客車編成で運転されたが、一部のICには601/602形 (VT11.5)や403形も使用されていた。しかし、1979年夏ダイヤで、IC ‘79のコンセプトに基づき、ICの全列車で2等車連結が行われることとなり、1等車のみで構成された601/602形、403形はIC運用から撤退した。
 IC ‘79により、ICは各路線とも2時間間隔から1時間間隔への運転となり、152列車へと大増発された。増発に対応するため、103.1形はオーストリアでの運用を取りやめられ、極力ドイツ国内で運用されることとなった。さらに、Bw Frankfurt (M) 1と、Bw Hambueg-Eidelstadt所属の103.1形は路線を分けるのではなく、双方の機関区所属の103.1形ともIC全路線を分け合う形で一体的な運用が組まれ、より効率的なものとされたが、それでも144両の103.1形で全てのICの牽引を賄うことは不可能であった。そこで、200 km/h走行を行わないICについては他形式も用いられることとなった。IC-Linie 4のうち、Hannover – Wuerzburg – Ingolstadt – MuenchenのIC 680-685 / 688 / 689 については111形の牽引とされた。ただし、Augsburg – Muenchenには200 km/h走行区間があるため、Linie 4のうち、Wuerzburg – Augsburg – Muechen経由で運転される列車については、引き続き103.1形が牽引した。この他、Frankfurt (M) – Wiesbadenは110.1形の牽引となり、またICの一部が延長運転するMuenchen – Salzburg、Muenchen – Mittenwaldについては111形またはOeBBの1042形/1044形が担当することとなった。このように、ICの一部に他形式が使用されるようになったにも関わらず、103.1形は予備機や他の旅客列車に使用される機関車を除いても、1日114両がICに使用された。

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ICにも使用された111形 (写真提供: Akiraさん)

 IC ‘79に伴う変化として、2等車の連結による牽引重量の増加も挙げられる。ICは通常、1等車3両、食堂車1両、2等車7両で構成され、牽引重量は500tであった。103形は元々400t列車で平地での200km/h走行が想定されており、この牽引重量は想定を上回るものであったが、実際には600tにおよぶ列車でも200km/hを行うこととなった。103.1形の1日の平均走行距離は1.330km、最長仕業は2.144km (Bw Hamburg-Eidelstadt所属機の仕業、Hannover – Nuernberg – Hamburg-Eidelstadt – Koeln – Hamburg Hbf)に及び、103.1形は牽引重量の増加に加え、一ヶ月で30.000~40.000km走行する過酷な運用をこなすこととなったのであった。
 1981/1982年冬ダイヤからは三相誘導電動機を採用した新型電機120形の試作車のうち、120 005が試験的に103.1形の運用に組み込まれた。120 005は日曜・月曜・木曜・金曜のIC 671 (Mannheim – Basel Badbf)とD200を牽引した。1983年夏ダイヤからは120形の試作車全車 (120 001-005)が運用に就いた。120形はBw Hamburgに配属され、2運用が組まれた。120形が使用されたのはMuenchen – Nuernberg –Frankfurt/Mで、具体的にはIC 181 / 521 / 522 / 524 / 563 / 580 / 624 / 685 / D762 / 933のMuecnhen – Nuernberg間、IC 560のMuenchen – Frankfurt/Mを担当した。
 ICは軍関係者の利用が増えるため週末の混雑が激しく、1982年夏ダイヤでは、週末の未運転されるICが設定された。週末運転のIC牽引用に、Hamburg所属の103.1形について週末に4運用が組まれた。1982/83年ダイヤ、1983/84年ダイヤでは103.1形の1日に121両 (Bw Frakfurt 1所属: 60両、Bw Hamburg-Eidelstadt所属: 61両)が運用されることとなり、103.1形の歴史の中でも最も多い運用数であった。1運用あたりの平均走行距離は1.358km、最長仕業は1.862km (Koeln – Hamburg-Altona – Stuttgart - Dortmund)であった。


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103形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)

 1985年のダイヤ改正では、IC ‘85のコンセプトの元、ICの路線網が再編され、大増発が行われた。103形の運用は極力ICに集中され、Linie 4を含め、大半の路線は103形が再び担当することとなった。ただし、Linie 4aだけは112形の牽引とされた。IC以外の運用げ減少したことで、Bw Frankfurt 1所属機は54日間の運用、Bw Hamburg-Eidelstadt所属機は53日間の運用となった週末のICの運用なども存在した。

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103形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)

 1987/88年冬ダイヤからは120形の量産機が登場、Linie 4 Hamburg – Muenchen間に投入された。1988年5月29日には高速新線NBS Hannover – Wuerzburgが開業すると、Linie 4は高速新線経由の運行へ切り替えられた。当時、103形は高速新線に対応しておらず、120形が活躍することとなった。

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高速新線を走る120形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)

 また、このダイヤ改正では、Linie 1がHamburg – Koblenz - Wiesbaden – Frankfurt/Mから、Hamburg – Koblenz – Mainz – Stuttgartに変更されたのに伴い、WiesbadenへのICサービスを維持するため141形とSilebrlinge客車2両を改装した接続用IC列車がWiesbaden – Mainzに登場した。120形の登場で、103形のIC運用は減少したが、1988年9月にInterRegioの運転が開始され、103形もIRに投入されるようになった。しかし、IC牽引の中心となるはずであった120形はトラブルが続出したこともあり、わずか60両で増備が打ち切られ、103形のICでの活躍は1990年代も続くこととなった。103形がIC牽引の中心的な存在から離れたのは、101形が登場した1997年のことであった。

1980年代のInterCity (1) [ドイツ鉄道 列車]

私がドイツに住んだ1980年代のドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄DB)を象徴する存在と言えば、103形電気機関車の牽引するInterCityであろう。私にとっても極めて印象深い全盛時代のICを、数回に分けて取り上げようと思う。

 1971年に運転が開始されたICは、当初は4路線が設定された。

(Linie 1) 
 Hamburg – Bremen – Essen – Koeln – Mannheim – Stuttgart – Augsburg - Muenchen
(Linie 2)
 Hannover – Wuppertal – Koeln – Wiesbaden – Frankfurt/M – Wuerzburg – Nuernberg – Muenchen
(Linie 3)
 Hamburg – Hannover – Goettingen – Frankfurt/M – Mannheim – Karlsruhe – Basel
(Linie 4)
 Bremen – Hannover – Goettingen – Wuerzburg – Muenchen

 このネットワークにはICとだけでなく、TEEも組み込まれ、34列車がIC、14列車がTEEであった。当時はICはTEEと同様、1等車のみで構成され、各路線とも2時間間隔の運転であった。
 ICの運転開始により長距離利用客は増加したが、激しくなる一方の航空機との競争に対応するため、DBは高速化とサービスの多様化を図った。路線整備の遅れや、1972年にRheinweilerで発生した103形の脱線転覆事故の影響で、ICは長らく最高160km/hに留まっていたが、1977年夏ダイヤからMuenchen – Augsburg間で最高200km/h運転が開始されたのを皮切りに、翌年にはMuenchen – Donauwierth、Bremen – Hamburg、Uelzen – Hannoverへと200km/h運転区間が拡大された。さらに1976年からはLinie 4で試験的に2等車の連結が開始され、1978年夏ダイヤではICのうち46本のICに対し2等車が連結された。また、Linie 1は部分的に1時間間隔へと増発された。
 このようなICネットワークの再編は”IC 79” プロジェクトと呼ばれ、1979年5月27日からの夏ダイヤで完成をみた。”IC 79” の”Jede Stunde, jede Klasse (Every hour, every class)”というスローガンの通り、1979年夏ダイヤではICの全列車に対し2等車が連結され、各路線とも運転間隔が1時間間隔へ短縮され、大幅な増発を実現したのである。さらに、HannoverでLinie 3/4、DortmundとKoelnでLinie 1/2、MannheimでLinie 1/3、WuerzburgでLinie 2/4を同一ホームで接続させ、3,115kmに達するICネットワークの完成度が飛躍的に高まった。

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103 185-5 mit IC 109 "Rheinpfeil" (Essen Hbf, 1981)

 1980年以降も、Brakwede – Hamm (Westf)、Lengerich – Sudmuehle、Mertingen – Donauwoerth、Bremen – Osnabrueckで200km/h運転が開始され、200km/h運転区間は282.7kmに達した。また、1982年には”IC-Kurierdienst”と呼ばれる、ICを利用した高速荷物配送サービスが開始された。
 ドイツの鉄道が150周年を迎えた1985年には、DBは”IC 85”というコンセプトの元に、ICネットワークを再編した。

(Linie 1)
 Hamburg – Bremen – Essen – Koeln – Koblenz – Wiesbaden – Frankfurt/M
(Linie 2)
 Hannover – Essen – Koeln – Mainz - Mannheim – Heideberg – Stuttgart – Muenchen
(Linie 3)
 Hamburg – Hannover – Goettingen – Frankfurt/M – Karlsruhe – Basel
(Linie 4)
 Hamburg – Hannover – Goettingen – Wuerzburg – Augsburg – Muenchen
(Linie 4a)
 Oldenburg / Bremerhaven – Bremen – Hannover
(Linie 5)
 Dortmund – Wuppertal – Koeln – Mainz – Frankfurt Flughafen – Frankfurt/M

 特徴的なのは、Linie 5がFrankfurt空港に停車することである。長距離列車の空港直通は好評で、現在に至るまで発展を続けている。
 このダイヤ改正で、ICは161列車から219列車へ増えた。200km/h走行区間も450kmに拡大したことで大幅なスピードアップが図られ、平均速度は100km/hから108km/hに上昇した。1等車では飲み物や軽食の配達サービスも開始され、車内サービスの充実も図られた。1985年のIC利用客数は前年の11.5%増となり、1979年と比較すると、750万人から1985年は2240万人へと約3倍に増える成果を上げた。
 1987年5月30日をもって、最後までTEEとして残っていた”Rheingold”が廃止となり、代わりにICの国際列車についてはスイス・オーストリアと結ぶ国際列車についてはEuroCityと呼ばれることとなった。
 1988年5月29日にはドイツで最初の高速新線、NBS Hannover – Wurzburgが開業し、Linie 4はこの高速新線で200km/h運転を開始した。この路線には、120形量産車が投入された。9月25日からは、ICの運転されない区間でInterRegioの運転が開始され、ICネットワークを補完した。
 1991年6月、ICEが開業し、DBの長距離旅客輸送に大きな変革がもたらされた。以降、ICEネットワークの拡大とともに、ICは長距離輸送の中心の座から徐々に下りることになるのである。

 1982年に製作されたICのプロモーションビデオを以下で視聴できる。
http://www.youtube.com/watch?v=HyVmPY2k3rc

Amsterdam行 ICE International [ドイツ鉄道 列車]

今年は日本におけるオランダ年と位置づけられ、フェルメール展をはじめ、多くのイベントが開催されている。オランダは何とも不思議な国である。面積だけを考えれば極めて小さい国なのに、17世紀には海上覇権を通じて世界に名を馳せた。一方で、西洋絵画の歴史の中でも最も重要な存在であるレンブラント、フェルメール、ゴッホといった画家を次々と生んだのもオランダである。現代、イギリス、フランス、ドイツといった大国の中でも、オランダは独特の輝きを放ち、存在感は少しも色あせない。

ドイツと、この魅力溢れるオランダの首都Amsterdamを結ぶ鉄道は極めて重要であることは言うまでもない。戦前の豪華列車Rheingoldは、戦後TEEとして蘇り、1987年まで運転された。Rheingoldが廃止された後も、SBBのパノラマ客車を連結したECが活躍したが、2001年ついに高速化の波が押し寄せた。
2000年11月、登場したばかりのICE 3MによりKoeln - AmsterdamでICE Internationalの運転が開始された。2002年11月にはNBS Koeln-Rhein/Main開業に伴い、Frankfurt(M) - Amsterdamの運転となった。現在は1日7往復のICE Internationalが設定され、両都市間を約4時間で結んでいる。(1往復はBasel - Frankfurt(M) Flughafen - Amsterdam)

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ベネルクスの雄ThalysとKoeln Hbfで並ぶICE 3M

車両はDBとNSが所有するICE 3M、406形が使用される。DB所有の7編成(Tz 4601-4604 / 4607 / 4610-4611)、NS所有の4編成(Tz 4651-4654)である。NSの車両は、"NS"または"NS Hispeed"のロゴが入れられ区別できるが、車内は全く同じである。運用も全く区別されず共通で、DB編成かNS編成のどちらが来るかは運次第である。Frankfurt(M) - BruesselのICE International 3往復も一連の運用に組み込まれており、NS編成もBruesselに乗り入れている。

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Duesseldorf近郊を走るNS編成

ICE Internationalには何度か乗車した。2005年3月にFrankfurt(M)→Amsterdam、Amsterdam→Koeln、2007年9月にはFrankfurt(M) → Duisburg、Duesseldorf→Koeln。車内に置かれた"Ihr Reiseplan"にはオランダ語が添えられ、DBロゴと共にNSロゴが入れられている。Frankfurt(M)発の列車に乗ると、他の列車ならKoelnの先は乗客が減る一方なのに、ICE Internationalはルール地方からオランダへ向かう乗客が乗ってくるし、車内もドイツ以外の言葉が目立ち、車内放送もドイツ語と英語で行われるなど、独特の雰囲気がある。

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Amsterdamに到着したICE 3M

2005年3月にFrankfurt(M)→AmsterdamをICE 124で乗り通した際には、国境付近での電気方式の切り替えが上手くいかず、結局1時間も遅れてしまった。その帰りに乗車した際も、Koelnに着く頃には30分も遅延。
残念ながら問題がないわけではないが、少々の遅れが発生してもICE Internationalに長く乗ることが出来る、と喜ぶくらいの大きな気持ちで是非ICE International旅を楽しんで頂きたい。

なお、DBもICE Inrernationalを積極的にPRしており、割引運賃を設定している。
http://www.bahn.de/p/view/preise/international/zuege/ice_holland_angebot.shtml


今日11日は仕事を早めに切り上げて、サントリーホールに行われるヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートへ行く。ロイヤル・コンセルトヘボウといえば、Amsterdamを本拠とする名門オーケストラ、久しぶりにオランダの空気を感じたいものである。
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