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名松線一部廃止へ [国内の鉄道]

先日の台風32号で被災した名松線の一部区間について、JR東海が復旧を断念し廃止する意向を示した。

JR東海プレスリリース
http://jr-central.co.jp/news/release/nws000410.html

名松線は松阪と伊勢奥津を結ぶ、ごく地味なローカル線である。沿線には大きな街もなければ、これといった観光地もない。車両もJR東海が非電化ローカル線用に量産したキハ11、大糸線のように旧型車両が使われているわけではない。
そんな路線であるので、大学で津に住むようになってからも、しばらくは名松線の存在に気がつかなかった。気付いたところで、盲腸線で、終点まで乗っても他の路線に接続するわけではないので、なかなか乗りに行く機会も少ない。初めて乗ったのは2002年9月であったが、この時も大きな期待を抱いていたわけではなく、近場の路線くらいは乗っておこうという程度であった。しかし、この名松線の旅が実に面白かった。
空いている車内でゆっくりボックス席を占め、松阪駅で買った牛肉弁当でも食べれば、旅気分は盛り上がる。当時は家城駅には腕木信号器が現役で存在し、駅員が手動で操作するのを眺めるのも興味深かった。白眉は家城から伊勢奥津までの車窓風景、雲出川の渓谷沿いの光景は変化に富み素晴らしかった。末端部には10mレールが使われている区間があって独特の乗り心地が楽しめたし、終点伊勢奥津にはSL時代の給水塔が残っていた。名松線にすっかり魅了され、簡単なホームページも作った。

雲出の清流とともに
http://www.asahi-net.or.jp/~ny8h-ky/meisho

名松線は元々松阪と名張を結ぶ計画であった。しかし、山岳区間を高規格の路線を活かして高速運転する近鉄の圧倒的な存在の前では、山と渓谷をゆっくり走る名松線は例え全通していたとしてもローカル線であることには変わりはなかっただろう。
名松線の全通の夢の跡と言えば良いのか、終点の伊勢奥津からは名張行の三重交通バスが1日3往復出ている。このバスは、国道と言いながら片側一車線の山道を走るため、トラックとすれ違うために山道でしばしばバックし、なかなかスリルがあって、これはこれで面白かった。


名松線は何度も廃線の危機に瀕してきた。1982年にも台風の被害で長期運休した際に廃線が検討されたし、特定地方交通線第2次廃止対象線区にも選べれた。それでも生き残ってこられたのは、沿線の道路事情が悪く、バス運行が困難だったからである。JR化後も廃止になってもおかしくなかったが、東海道新幹線で潤うJR東海には運行の継続は大きな負担ではなかったのかもしれない。
しかし、JR東海も多額の復旧費用を出す余裕はないのかもしれない。平成の大合併で、沿線自治体は全て津市に統合され、名松線の存続運動も盛り上がらないという。今回はいよいよ命運が尽きるのか。

JR東海の「安全・安定輸送の提供という当社の基本的な使命を全うでき」ないから廃止するという論理は的外れだと思う。そうはいっても、名松線の運行をここまで継続してきたJR東海を非難するつもりはない。
ただ家城と伊勢奥津の間の、あの美しい車窓風景をもう見られないというのは、何とも寂しく感じるのである。
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