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紀伊半島 鉄道旅行 2008 ブログトップ
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8月22日 伊勢中川→久居→津新町→白塚→津 [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

大阪に向かう前に近鉄を楽しみつつ津周辺をぶらつくことにし、とりあえず接続する普通白塚行に乗車する。2両編成のワンマン車で乗客は少ない。名古屋線で唯一の無人駅である桃園に停まり、その次の久居で電車を降りる。
しかし、改札口には向かわない。ホームの津寄りの先端で少し撮影をしようという目論見である。狙いは5200系の急行である。30分ほどの間に22000系特急や、5200系急行2本を撮影できた。

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22000系ACE

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5211系急行

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5211系急行

場所を変えて、もう少し撮影することとし、とりあえず白塚行普通に乗車する。ここで時刻表を調べるが、次の下り急行を撮影するためには、江戸橋まで行ってしまうと間に合わない。といって、江戸橋の手前の津は全く撮影に不向きだ。そこで、そのさらに手前の津新町で下車した。ここもホームからの撮影は難しい。
そこで改札口を出て、駅から近い踏切を見るが、ここもまだアングルが苦しく、編成全体を写真に収めることは期待できなさそうだ。周囲を見渡し、さらに津寄りの踏切での撮影を試みることにする。急行の通過まで時間がなく、慌てて猛暑の中を走る。津新町駅から北側へ3か所目の踏切は何とか撮影できそうだ。程なく、まもなく踏切の警報が鳴る。望遠を十分にきかせ、撮った写真は極めて満足のいく一枚となった。

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5209系急行

事前に急行の運用は調べてあり、しばらくは5200系は来ない。撮影はこれで終了、1時間ほどだったが、期待通りの結果となった。
津新町駅に戻りながら、踏切で撮影する。

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近鉄2000系

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JR キハ11

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近鉄21020系アーバンライナーNEXT

津新末から白塚行普通に乗る。津・江戸橋と急行停車駅を過ぎ、高田本山の次、津市の北端、終点の白塚駅で下車する。到着ホームの反対側には名古屋行普通が接続している。大半の客はここで乗り換え、名古屋行は慌ただしく発車していった。

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学生時代、私はこの駅から歩いて15分ほどの所に住んでいた。大学から近く、急行停車駅の江戸橋程ではなかったが、この小駅も時々は利用していた。

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駅前に停車中の津駅経由・緑が丘団地行の三重交通バスに乗車する。このバスはアパートの近くを通るため、しばしば使った。白塚は津に近い住宅地で、学生も多く住んでいるが、一方で白魚などが取れる小さな漁港や水産加工場もあり、古い漁師町という側面もある。私の住んでいたアパートは変わることがなく建っていた。

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よく利用したしていたスーパーはマンションに変わっていた。変わったもの、変わらないもの、4年という歳月を漢字ながら車窓風景に見入る。狭い路地を抜け、国道23号線に出る。23号線は三重県の大動脈、交通量は多い。5分ほどで三重大学正門、続いて懐かしい大学病院が見えてくる。

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この辺りはさすがに人の姿も多い。バスは更に23号線を2、3分走って右折する、正面が津駅である。16時ちょうどに津駅前に到着した。
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8月22日 賢島→鳥羽→伊勢中川 [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

平日とはいえ、夏休み期間であり、賢島駅は家族連れの観光客が目立った。頭端式のホームの先にある改札口を出る。ここはホテルへのバスの発着場に隣接し、売店や観光案内所、観光船切符売り場があるが、終点駅の割には駅はさびしい。志摩観光の拠点はあくまで鵜方なのである。
私が賢島まで来たのも、何か目的があるわけではない、せっかくだからと終点まで足を延ばしただけなのだ。10時30分発の特急は21000系アーバンライナーnextで運用されるので、これですぐに折り返すことも考えたが、それも何だか慌ただしい。そこでエスカレーターを下りて外に出た。
駅舎から数軒の土産店を隔てたところに、遊覧船の発着場がある。客はパラパラといる程度、係員も暇そうである。天気はあいにくの曇りだが、しばらく英虞湾の景色を眺めながら散歩する。賢島は面積自体が狭いため、店も少なく、しかもまだ閉まっているところが多い。それでも潮風を浴びながら、賢島の美しい風景を眺めるのも、なかなか気持ち良い。

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しばらくして駅に戻り、鳥羽までの特急券を購入する。
これから乗車する11時05分発難波・京都行の特急はすでに停車中であった。編成は12200系NS40編成(12240-12140-12040-12340) 難波行と、12410系NN12編成(12412-12562-12462-12512) 京都行を連結した8両編成である。

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隣のホームには30000系VistaEXが停車中、京都・難波行となるため、併結相手を待ち貫通扉を開けた珍しい姿をさらしている。

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車内でゆっくりと待っていると、程なく定刻となり、電車は発車する。車内は2割くらいの乗車率で空いている。英虞湾と別れを告げ、鵜方に到着すると、多くの乗車があり、7割方の座席が埋まり、車内は賑やかになった。昨日は深酒をした上、今日は朝早かったためか、睡魔に襲われる。気づいたら、もう鳥羽水族館の横だ、旅館やホテルの立ち並ぶ中をまもなく鳥羽駅に到着する。11時34分定刻である。私もここで下車する。
橋上駅舎を出て、すぐに近くのホテルの送迎バスに乗る。バスはまもなく発車、急坂を上り、5分もしないうちにホテルに到着する。今回の旅行では何か良いものを食べようと決めていた。そして、選んだのがここだった。
ロビーで少し時間をつぶし、予約した12時にレストランに向かう。レストランは伊勢志摩の自慢の海産物を活かしたフランス料理で人気があるが、店内は比較的空いていて、窓側の席に案内される。伊勢湾の素晴らしい眺望を大きな窓から楽しめる、絶好のロケーション、一人で食事をするのは勿体ないが位である。美しい伊勢湾、出入りする漁船、離島への定期船、そして伊勢湾フェリーを眺めるだけでも楽しい。

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料理はコース、前菜・スープと慌ただしく続く。実は予約した時点で、あまり時間がないので、料理を早く出すことをお願いしていたのだ。とはいえ、ビールと白ワインで、気分は良い。そして、今回の目的、鮑ステーキが登場する。私は今回食べるのが初めてなのですが、亡くなった祖母が生前にこのレストランで鮑ステーキを食べて感激していた。以来、私もいつか食べてみたかったのだ。潮の香りがぎゅっと凝縮された濃厚な味を堪能する、韓国・済州島で食べたアワビ粥も素晴らしく美味しかったが、こちらも素晴らしい。

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最後にデザートとコーヒーを楽しむと、13時を過ぎている。レストランを後に、再び送迎バスに乗り、13時20分には鳥羽駅に戻る。
鳥羽駅構内の売店でお土産を揃え、13時40分発の名古屋行特急に乗車する。車両は22000系、AL11編成(22411-22311-22211-22111) とAS09編成(22409-22109)の6両編成、私は2号車11番席に座る、山側の席だ。

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21000系アーバンライナー編成による難波行が先に発車していく。

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程なくこちらも発車。右手に鳥羽湾を眺めるが、並走していたJR参宮線が海側に去ると、こちらは神宮林の中に分け入る。深い森林の中を、勾配をもろともせず快走する。おそらく110km/h以上は出ているであろう。

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五十鈴川を渡ると伊勢神宮の内宮へと続く参道を越え、五十鈴川駅に到着する。伊勢市内の市街地を走り、さらに宇治山田、伊勢市と3駅連続停車し、乗客を集める。伊勢市を発車すると、参宮線と並走し市街地を急カーブもはさみながらゆっくり走るが、宮町を通過するとスピードを上げ、築堤を駆け上がって宮川を渡る。ここからは周囲に田園が広がり、線形も良く、100km/h以上の快走が続く。牛肉関連の看板が幾つも立つ松阪に停車した後、14時13分に伊勢中川に到着する。
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8月22日 上本町→鳥羽→賢島 [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

6時30分に起床する。昨夜の串カツは美味しかったが、やはり食べ過ぎた。胃がもたれている。食欲がわかないが、せっかく朝食付で予約したのだから、と朝食バイキングに向かった。食べ物を前にしたら食欲も少しはわいてくる。和洋折衷の朝食を少しづつ楽しみ、部屋に戻って慌ただしく準備して出発する。
7時30分過ぎに上本町駅の地上階にある特急券売り場に行き、インターネットであらかじめ購入しておいた特急券を受け取る。これから乗車する特急は上本町始発、難波線の地下ホームではなく、この地上ホームから発車する。ちょうどラッシュの時間に差し掛かり、次々と急行や普通が停車し、その度に多くの乗客が下車していく。乗車する7時50分発の鳥羽行はすでに入線していた。私が好きな22000系(22402 - 22302 - 22202 - 22102) ACEの4両編成である。複雑な連結機構を上手く処理し、従来の近鉄特急のイメージを昇華させたエクステリア、変わった設備はないが、やや固めで座り心地の良い腰掛、落ち着いたインテリアは何時も感心する。いわゆる汎用特急車としてこれ以上の車両は思い浮かばない。写真を撮って、指定された4号車11番席に腰を落ち着ける。車内は3、4割程度の乗車率、平日とはいえ夏休みシーズンで、家族連れの姿が目立つ。

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7時50分定刻に発車、独特のインバーター音を響かせて、上本町を出発すると、地下から上がってくる難波線と合流すると鶴橋に到着する。鶴橋駅の狭いホームは何時も混雑している。周囲を囲むコリアンタウンの看板と合わさり、独特の雰囲気だ。学生の頃に大阪に来ると、ここで韓国海苔巻を買い、車内でビールと共に食べるのが楽しみであった。鶴橋での乗車は多く、8割方の座席が埋まったようだ。
鶴橋を出発すると布施までは複々線区間となる。外側は奈良線、こちらは内側線を走行する。布施で右に大きくカーブし、奈良線と別れる。しばらくは市街地の中の高架線を走る。左側に標高の低い山が連なるのは、私には如何にも大阪らしい光景に思える。八尾の先で地上に降りると、河内山本を通過する。この駅からは信貴山への参詣路線である信貴線が分かれており、私も乗車したことがある。河内山本の先で右の大きくカーブすると高安である、高安には車両基地があるが、さすがに平日の朝に休んでいる車両は少ない。細かい速度制限区間が多いのか、電車はこま目に加減速しながら走る。
関西本線(大和路線)をオーバークロスし大和川を渡ると、住宅ばかりが目立った車窓は緑が多くなる。生駒方面に連なる山々を眺めながら河内国分を通過すると、山並みが迫り勾配が続く。

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路線改良のあとがある大阪教育大前を通過し、新玉手山トンネルを抜けると奈良県である。車窓には田畑が目立ち、すっかりのどかになった。右手に、二上山が現れる。JR和歌山線をオーバークロスし、右手に車庫が見えると、五位堂である。五位堂検修車庫が併設されており、近鉄大阪線の拠点となる駅である。一部の特急が停車する大和高田を通過し、松塚を過ぎると橿原市に入る。左から京都方面への連絡船線が合流すると大和八木に到着する。大阪線ホームは高架で、地上の橿原線をオーバークロスしており、乗り換えは非常に便利だ。ホームの反対側には普通列車が接続している。
大和八木を出発すると、程なくして耳成山が間近に迫る。この辺りは大和三山が近い。速度制限を受けて減速、桜井線をオーバークロスすると、桜井駅を通過する。ここは今も昔もスピードアップのネックなのだ。大和朝倉からは33パーミルの勾配が続く区間となる。しかし、22000系は全電動車、1両あたり135kWの主電動機を4台搭載する。おかげで33パーミルでも120km/h走行が可能だ。その力強さは如何にも近鉄特急らしい。車窓の左手は杉林、その先の谷底には農村が広がる。まだ大阪を出発して30分程、というのが信じられないくらいに、のどかな光景が広がる。長谷寺を通過、一瞬見えるはずのお寺は見逃してしまった。

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榛原トンネルでサミットを越え、下り勾配に入る。トンネルを抜けると、榛原を通過する。榛原は山の中の小都市といった風情か、国道に沿って大型商業施設が立ち並んでいる。電車は33パーミルの下り勾配を抑速ブレーキを効かせながら軽やかに下っていく。赤目四十八滝への下車駅である赤目口を通過すると車窓には住宅や大型スーパーが目立ってくる。まもなく名張に到着する。
名張はこの地域の中心、下車客も少なくない。運転上の拠点でもあり、ここで分割併合を行う列車もある。名張を出発すると、まもなく整然とした住宅地が広がる。1960年代から近鉄が造成したニュータウン、桔梗が丘住宅地である。桔梗が丘駅前には近鉄百貨店も立つ。朝夕の一部特急は通勤者の利便を図るため桔梗が丘にも停車するが、この電車は通過する。美旗を経て、伊賀神戸を通過する。ここは伊賀上野に向かう旧近鉄伊賀線の伊賀鉄道が分岐するが、ホームには伊賀鉄道の車両は停車していなかった。車庫を併設する青山町を通過すると、電車は布引山地に分け入り、再び上り勾配区間に入る。国道が並行しており、深い山林の中に時々集落がみられる。力強く勾配を上りながら人気のない西青山を通過すると、下り勾配となり新青山トンネルに入る。このトンネルは全長5652mと大手私鉄最長、一直線の下り勾配である。22000系ではGTOサイリスタが採用されており、インバーター音がうるさいと言われることも少なくないが、勾配区間での走行音は迫力があり、私は好きである。青山トンネルを抜けると、すぐに垣内トンネルに入る。トンネルを抜けると東青山を通過する。この辺りは青山高原の深い山林の中を走るが、東青山駅前には東青山四季のさとと呼ばれる公園が広がっている。この後も勾配とトンネルが続く。近鉄大阪線の東側は峠越えが続き勾配が多いが、山の中でも極力直線的に路線を通してあり、大出力のモーターを積んだ車両が最大33パーミルの勾配を高速で走行する。これは近鉄ならでは魅力であろう。左手に青山ウィンドファームの風力発電所が見える。減速するとまもなく、巨大なサモトラのニケ、ミロのヴィーナス、自由の女神が無造作に並ぶルーヴル彫刻美術館が現れ、榊原温泉口に停車する。温泉街まではバスで15分ほど、駅前で温泉を思わせるのは、旅館の看板くらいだ。
榊原温泉口ではほとんど乗降はない。出発すると、程なく勾配区間が終わる。車窓からの風景はで田畑がまだ多いものに、住宅や商業施設も増えてくる。右に流れる雲出川が近づいてきて、伊勢石橋の先で川を渡る。この辺りは右手に名松線が走っているはずだが、あちらは2時間に1本、その姿を見ることは少ない。

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雲出川が左から近付いてくると電車は減速する。名古屋方面への連絡線が左へと分岐する。

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ゆっくりと右に急カーブを切りながら近鉄名古屋線に合流、伊勢中川に到着する。
伊勢中川は名古屋線と大阪線、山田線があつまる拠点駅で、構内は広い。中川を出発した直後に、ホーム向かい側に名古屋行特急が到着してきた。名古屋・大阪間には1時間に鶴橋・名古屋ノンストップの甲特急1本、主要駅停車の乙特急1本が運転されているが、この中川での絶妙な接続により実質もう1本の特急を追加し、1時間に3本の特急を確保している。中川から松阪までは昨日も乗車した区間である。電車は平坦な区間を快走し、一旦オーバークロスした紀勢本線が右から近付くと松阪駅に到着する。中川からわずか6分である。
松阪を発車し、東松阪で左にカーブすると直線が続く区間である。田畑の中の平坦な区間をトップスピードで快走する。この辺りは特急は130km/hまで許容されている区間、眩しい緑色の稲穂を眺めながらの、気持ちの良い走りだ。

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櫛田の先で櫛田川を渡る。斎宮は古代に伊勢神宮に使えるために内親王や女王から選べれた斎王の住んだ場所とされ、駅前には博物館もある。その次の明星は車両基地が併設され、構内は広い。小俣を過ぎると築堤を駆け上がり、水の綺麗な宮川を渡る。

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宮川を渡ると伊勢市の市街地に入る。減速し、急カーブを曲がりながら宮町を通過する。宮町駅から小さな路地を抜けた先には、学生時代に合わせて半年以上実習で通った三重県でも有数の大きな病院がある。馴染みのある風景の中を眺めていると、右から参宮線が近付く。並走しながら伊勢市内をゆっくり走り、まもなく伊勢市に到着する。
伊勢市は伊勢神宮の外宮に近く、下車客も多い。JRの快速みえも1時間に1本停車し、JR側は伊勢車両区もおかれ構内は広く、多数の気動車が停車している。しかし、利用客は近鉄がJRの約7倍である。伊勢市駅を発車すると高架を登りながら右に急カーブを曲がり、駅舎が登録有形文化財に指定されている宇治山田に停車する。東武浅草駅と同じく久野節設計の貫録のある駅舎は伊勢神宮への玄関駅にふさわしい。伊勢観光の拠点駅で、バス路線も多くはここから発着しており、車内は一気に空いた。宇治山田も慌ただしく発車し、山田線から鳥羽線に入る。伊勢の市街地を後に小さなトンネルを抜けると、すぐに減速、今度は五十鈴川に停車する。ここは伊勢神宮の内宮に近いが、実際には宇治山田からバスに乗る人が多いようで、下車客は少ない。
五十鈴川駅を出発すると、内宮へと続く道を越え、五十鈴川を渡る。

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伊勢神宮の鬼門を守る寺として名高い金剛證寺のある朝熊山への登山口がある朝熊を通過し、朝熊山中の深い森の中を走る。時々、林道のようなものがみられるが、人気はほとんど感じられない深い森が広がる。勾配が続くが、カーブは少なく、電車は高速で快走する。左手に伊勢湾が見えてくる頃、池の浦を通過する。一旦参宮線をオーバークロスし、その参宮線が右に寄り添う頃と入り江沿いにカーブが続く区間をゆっくりと走る。左には美しいリアス式海岸が広がり、ホテルや旅館が立ち並ぶ後継は壮観だ。まもなく、鳥羽駅に到着、9時49分定刻、この電車の終点である。

ホームの向かい側には名古屋発賢島行の特急が停車している。12200系の4両編成 (12246 - 12146 - 12046 - 12346)である。

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すぐに乗り換えると、一呼吸置いて9時51分鳥羽駅を発車する。名古屋または大阪から伊勢志摩への特急は、1時間に1本が賢島行、1本が鳥羽行であるが、それぞれ鳥羽止まりの列車は鳥羽で賢島行への接続が図られており、名古屋・大阪いずれからも賢島まで実質的に1時間2本体制を維持しているのである。この近鉄特急のダイヤ編成の巧みさには感嘆するばかりだ。空いている車内にゆったりと腰を下ろす。鳥羽水族館やフェリー乗り場を左手に見ながら中之郷を通過する。

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ここからは単線区間となる。次の志摩赤崎では特急との離合のため、しばらく運転停車する。志摩線の前身は志摩電気鉄道、線形が良いとは言いがたく、この辺りでは加茂川の入り江に沿って急カーブが連続し、スピードは上がらない。船津からは複線となるが、スピードは相変わらずだ。待避線のある白木を過ぎると、スピードは一気に上がる。路線改良が進み、130km/h運転も行われている区間である。しかし、青峰トンネルを抜け五知を通過すると再び急カーブが連続し電車のスピードは落ちる。山の中をゆっくりと進む。ちょうど、各所で稲刈りが行われている。

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上之郷を通過すると、再び単線となる。まもなく市街地が広がると志摩磯部に到着する。
志摩磯部駅は志摩スペイン村へのアクセス駅であり、駅舎もスペイン風であるが、現在は接続バスはなく、鵜方が接続駅となっている。そのためか下車客は少なく、すぐに発車する。再び複線となり、路線改良の跡が残る穴川を通過すると市街地に入っていく。1ヶ月間実習で滞在した病院の建物を見ながら志摩横山を通過すると、志摩の中心、鵜方に到着する。
鵜方は各方面へのバスが発着し、また三重県庁志摩庁舎が置かれるなど、この地域の行政の中心でもある。ここで大半の乗客が下車した。
鵜方を発車し、志摩神明の先で国道と寄り添いながら英虞湾の水道を渡る。

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まもなく終点、賢島に到着する。10時20分定刻である。
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8月21日 紀伊勝浦→天王寺→なんば [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

駅前を散歩しながらお土産を用意した後、紀伊勝浦駅の売店でめはり寿司とビールを購入した。紀伊勝浦駅は狭い橋上駅舎に2面3線のホームがある。ホームで待つこと10分ほど、私が乗車する381系スーパーくろしお32号が到着した。

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最後尾1号車1番B席を予約していた。グリーン車である。新幹線・特急でグリーン車を利用したことは今まで殆どないが、今回は展望席に座りたくなり、奮発した。せっかくなので座席を転換し、最後部からの展望を楽しむこととする。

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電車は16時5分定刻に発車する。重厚感のある座席は座り心地は良く、正面の展望も広々として気持ちが良い。電車は海岸線に沿って進む。しかし、軌道は特急が走る路線としては貧弱で雑草が生え、細かなカーブも多く、スピードはせいぜい75km/hといったところだ。振子列車らしく、カーブで大きく車体を傾けるが、このスピードでは本領発揮とは言い難いであろう。しかし、車窓は素晴らしい。海側を見ると広大な太平洋、そして小さな漁村が姿を見せ、山側は紀伊山地の山々が連なり、実に印象的だ。この周辺は東京から公共交通機関で来る場合、本州で最も時間がかかる、という話を聞いたことがある。真偽はともかく、来るのは確かに容易ではないが、その価値は十二分にあることを改めて感じる。

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めはり寿司とともにビールを飲んでいると、寝不足に加え歩き疲れているのであろうか、うたた寝をしてしまった。電車は古座・串本・周参見と停車するが乗車はわずかだ。グリーン車は男性の一人客と、家族連れのみで空いている。
観光施設や商業施設、住宅などで車窓風景が賑やかになってくると、まもなく白浜との案内放送が流れた。白浜駅手前で一旦停止、6両編成で運転されているこの電車の前に、3両を増結するらしい。2回短い停車をし、慎重に連結完了、白浜に到着となる。ホームには多くの乗客と、見送る人々の姿が見られる。駅も駅前もこれまでの紀伊半島の駅に比べて賑やかで、ここがこの地域の一大観光地であることが理解できる。駅は海岸から少し離れている、温泉街の中心に向かうシャトルバスの姿も見られる。グリーン車もかなりの席が埋まった。17時35分に白浜を発車、心なしか電車のスピードも増したようだ。
10分強で紀伊田辺に到着する。紀伊田辺を出発すると紀勢本線は複線になる。電車も90~100km/hと明らかにスピードが上がる。カーブでは振子列車の本領を発揮し、なかなか気持ちの良い走りである。381系は自然振子方式でカーブに進入する際に車体が傾くタイミングが一瞬遅れるため乗り心地が言われてきた。しかし、制御振子方式が採用された283系の安定感のない台車を味わってしまうと、むしろ381系の方がどっしりとした安定感があり、私には快適だ。
電車は海岸線に近いところを走り、点在する漁村の光景が楽しめる。しかし、18時を過ぎ夕暮れとなった、次第に周囲は暗くなってきた。御坊では紀州鉄道の車両を見ることが楽しみだったが、残念ながらその姿はホームにはなかった。
すれ違う列車も増えたが、電車は相変わらず快調に飛ばす。海岸沿いに広大な工業地帯が見えると、まもなく海南に到着、ここでも乗車が多い。すれ違う列車の数もすっかり多くなった。大きな街が近付いたと思ったら18時50分和歌山に到着する。ローカル輸送には、ここまでは105系や113系の改造車が活躍していた。しかし、和歌山駅では223系や205系、103系が並び、いよいよ大阪の都市圏に入りつつあることを感じる。和歌山でも多くの乗車があり、グリーン車は6、7割の席が埋まった。18時51分に和歌山を発車、ここからは列車本数の多い阪和線を走る。和歌山からが都市区間かと思っていたが、意外と山深いところを走る。しかし、しばらくすると徐行運転となり、やはり、と思ったが、まもなく車内放送があった。天王寺で人身事故があり、ダイヤが乱れているとのことであった。りんくうタウンが遠くに見える頃、新大阪で待ち合わせをしているDさんからも丁度連絡があり、大阪環状線がかなり乱れているとのことなので、予定を変更し天王寺で待ち合わせをすることになる。鳳到着時点では5分遅れであったが、それ以後は快調な走りが続いている。天王寺に手前で信号待ちをした以外は先行列車に詰まることもなく、4分遅れの19時55分に天王寺に到着する。スーパーくろしおは京都に向け、慌ただしく発車していった。
ホームでDさんと落ち合った。食事に行く前にデジカメの電池用の充電器を探すことになり、駅ビルの電器店に向かったが取り寄せになるとのことで諦めた。食事ついでに難波にでることになり、地下鉄御堂筋線でなんばまで行く。地下道のを上がった目の前にある大型電器店で尋ねたところ、首尾よくバッテリーの充電器の在庫があった。これで明日からは心おきなく写真が撮れる。
そこからすぐの「串の坊」というお店で夕食とする。Dさんとは趣味が同じで、しかも同業なので話題には事欠かない。ドイツ鉄道やメルクリンの話で盛り上がり、お酒も串も進む。どれだけ食べたか分からないくらいであったが、特にカニの身をキスで包んで揚げた串は絶品であった。二人でワインを一本空け、お腹は満腹、ほろ酔い加減となり店を出た。もう22時を優に過ぎている。散歩がてら日本橋の駅まで歩く。それにしても大阪には美味しそうな店が多くて目移りがする、あれだけ食べたばかりなのに。
日本橋駅でDさんと別れ、私は近鉄難波線に乗る。ホームに降りると奈良行のアーバンライナーPLUSが通過していった。追いかけるように5820系と8000系を連結した10両の奈良行快速急行が到着、5820系はLCカーであるが、この時間はロングシート配置となっていた。立客も多く、なかなかの混雑である。私は一駅目、上本町で下車。今夜は駅のすぐ近くのホテルに宿泊する。

8月21日 新宮→紀伊勝浦 [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

めはり寿司に満足して駅に戻ると、オーシャンアローを待つ人々で賑わっていた。駅弁の売れ行きも好調のようだ。ホームには283系オーシャンアロー22号京都行が既に停車していた。

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自由席は2両だけと短いこともあり、2席をゆっくり座れそうなところはあまりなかった。勝浦まですぐなので、3号車のラウンジで過ごすことにした。ラウンジは窓が大きく、海に向かって正面に座れるフリースペースで、良い設備だと思う。

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13時3分、紀伊勝浦を出発する。海岸線に沿って走りスピードは上がらないが、海が綺麗に見られるのはやはり良い。

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しかし、驚いたのは揺れの大きさである。285系は振子式であり、しかもラウンジは台車の真上にあること、さらにこの辺りの軌道の状態など悪条件が重なっているのかもしれないが、それにしてもゴツンゴツンと不快な揺れがある。285系の増備が2編成にとどまり、381系が使われ続けているのは、このあたりにも原因があるのかもしれない。13時16分に紀伊勝浦に着いた。
紀伊勝浦駅を出ると、小さな駅前広場に熊野交通バスの営業所やお土産店などが並んでいた。
ここからバスで那智へ向かうが、まだしばらく時間がある。めはり寿司と並ぶ名物であるサンマ寿司を購入し、食べながら時間を潰す。

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営業所で往復割引機ぷを購入し、13時35分発のバスに乗車する。
国道に出てしばらく走り、温泉も併設された那智駅で乗客を増やしたバスはいよいよ那智山へ登っていく。とはいっても、道は急勾配や急カーブは少なく、比較的快調な走りである。13時56分大門坂駐車場前で下車する。
大門坂は熊野那智大社や青岸渡寺へ30分ほどでたどり着くことができ、熊野古道の雰囲気を気軽に味わえることで知られている。帰りのバスの時間を考えると、ここを歩くと時間がギリギリになってしまうし、夏の暑い日にあるこうか迷ったのであるが、思い切って下車した。

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歩くことしばし、大門坂茶屋を過ぎると、樹齢800年の夫婦杉の間を通り、いよいよ深い森の中の古道に分け入っていく。石畳が整備されているが、ずっと続く登り坂はやはり辛い。登っても登っても先が見えない感覚に襲われる。時間に余裕がないので、早足で歩かざるを得ないが、それもまた辛い。そびえ立つ木々に圧倒されながら、古の人々はこのような道を幾つも超えて熊野を目指したことに思いを馳せる。陽射しが木々の阻まれるのは幸いだが、風はあまりなく、汗が噴き出す。時々人とすれ違うが、他は静かだ。

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ようやく那智熊野大社の駐車場の入り口にたどり着くと、まだ14時12分であった。20分も経っていなかったのだ。しかし、ここからも大変だった。今度は神社・お寺に向かって長い石段が続く。今度は陽射しを遮るものもない。参道沿いのお土産店をのぞく余裕もない。
それでも時々見る景色は特別だ。那智の滝が見え、そこから山伝いに視線を滑らせると海がのぞく。

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参道は静かだったが、鳥居をくぐり、最後の石段を登りきったところが熊野那智大社である。境内は参拝客で賑わっていた。

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私も参拝を済ませ、すぐ隣にある青岸渡寺へ向かう。ここは西国33ヵ所霊場の第1番にあたる。

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趣深い本堂に入り、ゆっくりと参拝する。本堂修繕費を一口寄進し住所と名前を書いていると、対応してくれた若いお坊さんが、「もしかして、湯島天神のすぐ近くにお住まいですか。」と尋ねられる。私のアパートは湯島天神から徒歩1分だ。何でもそのお坊さんの同級生が湯島天神のすぐ下にあるお寺で住職をしているらしい。そのお寺なら1週間に1回くらいは立ち寄ることがある、と話したら、湯島って環境が良いようで悪いですよね、と湯島話で盛り上がる。そうなのだ、湯島周辺には江戸情緒を感じさせる店も少なくなく良いところだ、と言いたいのであるが、ホテル街という側面もあるのだ。しかし、こんなところで湯島の話になるとは思わなかった。
お寺を出て、五重塔へ向かう。途中でソフトクリームを思わず買ってしまった。甘いものに自分から手を出すことは少ないのだが、今日は無性に食べたくなったのだ。那智の滝と朱色の五重塔と並ぶ姿は定番であるが、やはり美しい。五重塔には上がることができる、展望台で滝をしばし眺め、時を過ごす。

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バス停に向かう。しかし、バス停まですぐと油断していたが、意外と距離があり、最後は小走りになり、またも汗が噴き出す。お茶を買い、バス停の行列に並ぶと、程なく15時1分発のバスがやってきた。観光客で7割方の座席が埋まった。混雑時は臨時バスを出す用意があるようで、熊野交通の職員が乗客数を確認していたが、その必要もなさそうだ。バスはなだらかな山道を快調に下り、那智駅を経由してからは市街地を走る。紀伊勝浦駅前に15時26分に到着する。駅前でお土産を買い、橋上駅舎に向かう。

8月21日 熊野市→新宮 [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

こじんまりとした熊野市駅に降り立ったのは5年ぶりである。改札口の脇には売店と立ち食い蕎麦屋が店を開いている。駅前は食堂など幾つかの店舗があるが、バス停でバスを待つわずかな人と客待ちのタクシーが並ぶだけで、やや寂しい。しかし、その向こうには大型スーパーの姿もある。

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ここから新宮まではバスで行くつもりであったが、バスは1時間に1本のみ、それでも列車よりは遥かに多いが、時間に余裕はない。そこでタクシーをつかまえる。まずは駅からすぐ、海岸線に立つ獅子岩を眺める。この岩は近くの神社の狛犬にもなっているそうだ。

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タクシーに戻り新宮方面に走ってもらう。今年の熊野は例年になく暑いそうだが、その中では今日は比較的ましらしい。熊野古道が世界遺産になってから、観光客は少しは増えたらしいが、熊野市は温泉や熊野三社はなく、観光客は多くが新宮や勝浦に行くそうだ。それでも、夏に熊野古道を歩く人も時々いるらしいが皆汗びっしょりで、この時期は外した方が良いとのことであった。南紀への大動脈、国道42号線を走る。左手は防風林が続いている。10分ほど走ったところで右折して、5年前で私が実習で10日間ほど過ごした施設を1周してもらった。当時散々お世話になった先生は元気に活躍されているようで、できればお会いしたいところであるが、その時間もない。国道に戻ったところでタクシーを降りた。ここにもスーパーがあり、ずいぶん賑わっている。便利なものである。
国道を渡り防風林を抜けると海岸に出られる。実習で来ていたころは毎朝ここまで散歩していた。ここ七里御浜は25kmに渡り続く、小さな石が集積した海岸で、熊野古道の中の伊勢路のルートに当たる。波がかなり高く遊泳は禁止されており、人気は全くなく、鳥が飛んでいるのが見える。ここからの景色は本当に美しい。青い太平洋の広さ、左右に連なる山々、そして打ち寄せる波。

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10分少々を過ごした後、再び防風林を抜け、国道上にある中の茶屋バス停へ向かう。10分ほど待ち、2分ほど遅れて11時44分に新宮行の三重交通バスがやってきた。乗客は10人強と行ったところ、高齢者と高校生ばかりだ。以前聞いた話では、この辺りの高齢化の進行もご多分にもれず深刻で、熊野市の山側の隣町では65歳以上人口が50%を超えるそうだ。

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バスは国道42号線を一路新宮へ向かう。バス停は多いが、停車することはまれだ。それでも、案外乗客の入れ替えはあるが、混み具合は変わらない。海岸に沿って走ってはいるが、防風林で阻まれ、海は時々しか見えない。
熊野川沿いを走り、熊野大橋で熊野川を渡ると、三重県から和歌山県新宮市に移る。新宮駅には12時20分過ぎに着いた。
ここからは勝浦に向かうが、普通列車はしばらくない。次の13時3分のオーシャンアローに乗ることにするが、運賃230円に対し、特急料金630円はばからしい。駅前の少し洒落た雰囲気のレストランに入り、「めはり定食」を注文する。めはり寿司2個にサンマの干物、赤だし、そうめんが付いている。めはり寿司は高菜の漬物にご飯をくるんだシンプルな料理、大きな包んだ寿司をまさに「目を張って」食べることからこの名がついた。このお店のめはり寿司は鰹節などで味付けした御飯が詰められ、素朴な滋味あふれる高菜とよく合って美味しい。

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8月21日 松阪→熊野市 [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

松阪駅は津駅などと同様に近鉄とJRの共同使用駅であり、南口をJR、北口を近鉄が管理する。繁華街は南口に近く、JR側の方が駅舎は大きく、人通りも多い。ホームも近鉄が2面3線、JRが3面4線とJRの方が大きい。しかし、特急、急行、普通がひっきりなしに発車する近鉄に比べ、JRはかなあ¥り本数が少なく、利用客も近鉄の方が圧倒的に多い。
一旦、松阪駅の改札口を出て、熊野市までの切符を購入する。ここで一つミスをした。自動券売機で何気なく「熊野市」と書かれたボタンを押して切符を購入したら、自由席特急券まで付いてきたのだ。特急券は確保済みである、みどりの窓口で申告したら、特急券だけすぐに払い戻してくれた。今日は朝から何も食べていない、それというのも松阪で駅弁を買うつもりだったのである。キオスクでは本来は予約が必要なはずの牛肉弁当御膳も一つだけ売られていて買いたくなったが、3150円はやはり高いため、最も一般的な元祖特撰牛肉弁当1260円を購入する。これで準備万端、JRの4番線ホームに向かう。お隣の5番線には名松線伊勢奥津行のキハ11が発車を待っている。名松線は2時間に一本しか列車が走らないJR東海きってのローカル線、沿線の道路事情が悪くバスの乗り入れが難しいのと、JR東海が新幹線で潤っているために廃止になっていない、などと言われるような路線である。実際、発車時間まで15分ほどあるとはいえ、乗客は誰もいなかった。しかし私は雲出川の渓流に沿って、美しい車窓風景が展開する名松線が好きで、学生時代に3回ほど乗りにきたし、その時の写真をホームページに残してある、
http://www.asahi-net.or.jp/~ny8h-ky/meisho/

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9時15分にこれから乗車するワイドビュー南紀1号が入線してきた。ワイドビュー南紀1号は8時11分に名古屋を出発し関西本線を通って桑名、四日市と停車した後、第3セクター伊勢鉄道に乗り入れ、鈴鹿に停車する。その次の津に停車してからはJR紀勢本線に入り、松阪に来る。ここまでは近鉄特急と所要時間はほぼ互角である。ワイドビュー南紀に使われるのはキハ85気動車、車体はステンレス製で、1989年にまず高山本線のワイドビューひだ用に登場、続いて1992年にワイドビュー南紀にも投入された。カミンズ社製の強力なエンジンを搭載して電車並みの性能を有し、それまでのディーゼル気動車のイメージを一変させた画期的な車両であり、登場後15年以上経過しているが、古さは全く感じさせない。ワイドビュー南紀は通常は普通車のみの3両編成あるが、本日は多客期で5両に増結され、グリーン車も連結されている。松阪は各乗車口から4、5人乗車する。
私は1号車に乗車する。1号車は普通車指定席の喫煙車である。夏休み期間とはいえ平日である、1号車は10人強しか乗っていない。私は喫煙の習慣はない。それなのにこの車両の指定席を取った理由は簡単だ、1号車1番B席、すなわち運転室直後の席を予約したのである。ドイツ鉄道に喫煙者が残っていたころ、喫煙スペースのICE 3の1等車ラウンジを予約したのと同じことだ。今となってはバリアフリーに逆行するが、キハ85の座席部分はハイデッキ構造で、天地方向に大きい側窓とあわせ、車窓風景を楽しむには素晴らしい車両だ。
席に座る間もなく、ワイドビュー南紀は松阪を発車する。電車となんら遜色のない軽やかな加速でスピードに乗る。発車してしばらくは近鉄に並行するが、近鉄の松ヶ崎駅付近で右に分かれる。車窓風景も住宅や商業施設が減り、緑が増える。80km/hほどで走り、まもなく減速、松阪から6分で多気に着く。

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多気は伊勢市・鳥羽へ向かう参宮線の分岐駅、本線はこちらであるが、日中は1時間に1本の快速みえに加え普通列車も走る参宮線に比べ、こちらの列車本数は圧倒的に少ない。駅の先では、新宮行となる気動車が発車を待っていた。
乗降客は殆どなく、列車は直ぐに発車する。利用実態を反映するかのように、多気の先で参宮線は真っ直ぐ走っていくのに対し、こちら紀勢本線は右にカーブし、山の中へと分け入っていく。単線非電化とはいえ、軌道はしっかりしており、乗り心地は悪くない。しかし、細かいカーブが多く、列車は加減速を繰り返しながら70~90km/h程度で走る。
早速、牛肉弁当を開封する。シンプルな緑色の箱を開けると、中身も同様にシンプルだ。ご飯と牛肉に、おかずがごく少し。しかし、この牛肉は柔らかく、冷めてもそれはそれで味わい深く美味しい。牛肉弁当と名のつく弁当は数多いが、やはり、この弁当は格別だ。箱の記載を見ると、松阪牛の規定が厳格になり、この弁当の牛肉はその規定からは外れてしまうらしいが、それでも十分に美味しい。ご飯に比べれば、牛肉の量は少ない気もするが、それでも十分に満足できる。価格も適当であろう。

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佐奈の先で伊勢自動車道をアンダークロスする。ちょうど勢和多気インター付近で、ここから紀勢本線の強力なライバルとなる紀勢自動車道が伸びている。列車は山を分け入るように走る。車窓には田畑が続くが、住宅が増え、スーパーやJAなどが現れ、まもなく減速、三瀬谷に到着する。

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三瀬谷は大台町の中心駅であるが、乗車はなく、わずかに降車があったのみであった。列車は直ぐの発車、左に大きくカーブし宮川を渡ると右に三瀬谷ダムが見える。続いて紀勢自動車道をアンダークロスする。ここに大宮大台インターチェンジがある。紀勢自動車道は現在はここまでであるが、さらに南へと建設が進んでいる。現在でも松阪から三重交通の南紀特急バスが運行されているが、高速が開通したら、さらに大きな脅威となるであろう。列車は左手を流れる大内山川に沿って、80km/h程度で進む。

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大内山駅付近は大内山牛乳の看板が目立つ。大内山牛乳は三重県を代表する牛乳のブランド、津でもコンビニエンスストアに大抵置いてあった。私は牛乳はあまり好きな方ではなかったが、この大内山牛乳は美味しいと思う、よく飲んだものだ。
列車は相変わらず山に囲まれた渓谷沿いに進む。大内山川を渡り、梅ケ谷を通過すると荷坂トンネルに入ると、いよいよ荷坂峠超えにかかる。荷坂トンネルを抜けるとサミットを超え勾配を下っていく、短いトンネルが連続する。その合間に、連なる山々と長島の町、そしてその先の熊野灘が姿を見せる。この景色が特別に美しい。

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気がつくと列車はかなり高度を下げ、海面がすっかり近づいてきた。養殖場を眺め、漁村を眺めていると市街地が近づいてくる。

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10時10分紀伊長島に到着する。構内には上りワイドビュー南紀4号名古屋行と普通・多気行が停車している。

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紀伊長島を発車すると、列車はしばらく熊野灘に沿って走る。漁村と青々と光る太平洋の美しさ、車窓に目を奪われるが、カーブが続き、列車のスピードが上がらない。

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三野瀬を過ぎ、ようやく路線は直線的になったが、それでも最高85km/h程度で、キハ85はそのパワーを持て余しているようだ。船津を過ぎ、しばらくして左に船津川が並行する。その船津川の河口に近い相賀を通過する。ここは紀北町の中心に近い。海を再び眺めながら列車は走る。しばらく銚子川に沿って走り、尾鷲トンネルに入る。トンネルを抜けると、そこは市街地、住宅や商業施設が目立つ。まもなく尾鷲に到着する。

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尾鷲でも降車があり、列車はさらに空いた。尾鷲を出発すると、市役所などがある市の中心部の脇を通る。中川を渡り左にカーブすると、正面に中部電力の尾鷲三田火力発電所がそびえ立つ。矢ノ川を河口付近で渡り、尾鷲湾の海岸線に沿って走る。大曽根浦の先はトンネルが連続する区間である。トンネルとトンネルの 間に入江に沿って集落と漁港があり、それぞれに九鬼、三木里、賀田、二木島、新鹿、波田須と駅がある。昔は海上交通でしか往来できなかった集落もあるそうだ。

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新鹿は綺麗な海水浴場が広がっており、海水浴客が散見された。徐福伝説の残る大泊を通過し、木本トンネルを過ぎると市街地が広がる。大規模な商業施設が見えてく る頃、列車は減速し、熊野市に到着する。11時2分定刻である。

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私もここで下車、ワイドビュー南紀の発車を見送り、改札口を出る。

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8月21日 近鉄名古屋→松阪 [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

近鉄名古屋線の急行ホームには、各乗車扉ごとに4、5人ずつが既に並んでいた。私は伊勢中川寄り先頭車の列に並ぶ。まもなく、折り返し鳥羽行急行となる列車が入線してきた。編成は鳥羽側から5211系5213F (5163-5263-5213-5113) + 1259系1269F (1269-1369)の6両編成である。
近鉄5200系列は1988年に登場した急行用車両で、JR221系や311系などで採用された3扉転換クロスシート車の先駆けとなった。台車や機器の細かい差により、5200系・5209系・5211系に細分化され、全部で13編成が作成された。現在は名古屋線に9編成、大阪線に4編成が配置されており、名古屋線では入出庫を兼ねた準急運用以外ではほぼ急行専用とされている。名古屋線急行の過半数を担当する主力車両でもある。
近鉄名古屋線は日中は20分間隔で、伊勢中川行・松阪行・宇治山田行が1時間に1本ずつ運転されるのが基本であるが、時間帯によっては鳥羽まで延長される列車がある。

扉が開くと、窓側の席はすぐに埋まってしまった。運転室のすぐ後ろに行き、空くまでは景色を見ながら立つことにした。発車までにさらに乗客が増え、座席はほぼ埋まり、立客も散見された。
7時31分、1分前に発車していった特急を追いかけるように、こちらも発車する。右に急カーブを切りながら上り勾配をゆっくり、地上に出て米野駅を通過、このころからスピードを上げる。左はJR名古屋車両区、キハ85やキハ75といった気動車が停車している。高架に上がると、列車は110km/hまで加速する。この辺りは左に関西本線が並行する区間である。近鉄八田を通過し、程なく減速、急カーブを曲がり庄内川を渡って名古屋市内を離れる。朝のラッシュに合わせ、日中の2~3両編成から4~5両編成に増結された準急や普通、8両編成の特急や6両編成の急行と次々にすれ違う。電車は快調に走り、まもなく最初の停車駅である蟹江に到着する。蟹江は以前は急行通過駅であったが、準急が削減された際に、その見返りで停車駅に昇格した。最前部から構内踏切を渡ったところに改札口があり、先頭車両からはかなりの乗客が降りたが、乗車も多く、むしろ車内は混んだようだ。
蟹江を出発し、日光川を渡ると右手に富吉検車区が見える。この時間は止まっている車両は少なく、アーバンライナーなどの特急車が目立つ。富吉駅を通過し、程なく近鉄弥富に到着する。弥富はJR関西本線と名鉄の駅があるが、住宅に阻まれ、その姿は見えない。ここでも乗車は多く、車内は立客がかなり目立つようになった。
弥富を発車すると加速しながら築堤を駆け上がる。右には関西本線が並行してくる。列車は100km/h以上の高速で全長860.7mのトラス橋で木曽川を渡り三重県に入る。この辺りは木曽川・揖斐川・長良川の木曽三川の河口に近い輪中地帯である。築堤を一旦下ると近鉄長島駅を通過、再び築堤を上がり、揖斐・長良川橋梁を渡る。こちらは全長991.7mのトラス橋である。左には長島スパーランドが遠望できる。近鉄の中ではこの揖斐・長良川橋梁が最長の橋梁で、これに先ほど渡った木曽川橋梁が続く。京都線の木津川橋梁を挟み、4位も桃園-伊勢中川間の雲出川橋梁で、大河川が名古屋線沿線に集中していることが分かる。

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名古屋線に乗って車窓を眺めると、大小様々な河川を無数に渡ることにも気がつく。海抜の低い平野部を走るだけに、名古屋線は水に溢れた路線と言うことができよう。揖斐・長良川橋梁を渡り終えると減速しながら左に大きくカーブする。並行する関西本線には213系が走っていた。213系は2扉転換ロングシートという通勤列車とは思えない車内設備を有していたが、最近は関西本線はボックスシートの313系が中心で、213系5000番台が走る機会はすっかり減っている。築堤上を走り、左の長良川河口堰をみながら、速度制限を受け右に大きくカーブしながら関西本線と養老鉄道をオーバークロスし、桑名駅に到着する。ホームの向かい側には養老鉄道が発着する。近鉄養老線だった時代にはなかった柵が設けられている。桑名駅の出入り口は一番後ろ寄りで、先頭車での乗降は少ない。左前方の西桑名駅からはちょうど三岐鉄道北総線の列車が発車していくのがみえる。
桑名駅を発車すると、一瞬左に北勢線と関西本線が並行する。北勢線は軌間762mm、関西本線は1067mm、そして近鉄は1435mmと3種の軌間を持つ路線が並行する区間である。しかし、北勢線は一旦左に別れた後大きく右にカーブして、我々をオーバークロスしていく。退避線を持つ益生を通過すると築堤に上がり、町屋川を渡る。左にカーブしながら、関西本線をオーバークロスし、東芝の工場が近い伊勢朝日を通過、次の富洲原をを過ぎるとまもなく減速する。45km/h制限でゆっくりと急カーブを曲がる。関西本線をオーバークロス、ここで上り線の右に三岐鉄道が合流、ちょうど保々行が走り去っていった。右カーブ上にある近鉄富田に到着する。富田ではホームに見るからに多くの乗客が待っている。ここで、列車は一層混雑し、新聞を何とか読むのが精いっぱいの混雑となった。
近鉄富田を出発すると順調に加速し、左にコンビナートや競輪場をみながら霞ケ浦を通過する。その先で減速し、右に大きくカーブする。S字カーブで羽津城址の下にある特徴的な形をした二つのアーチ橋をくぐり阿倉川を通過、さらに右に左にカーブが続き、川原町の先で三滝川を渡りながら一旦加速する。

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立ち並ぶビル群が近付き、右から湯の山線が合流すると3面6線の近鉄四日市に到着する。名古屋線では名古屋駅に次ぐ乗降客を誇る四日市だけに多くの乗客が下車し、車内がかなり空いたように感じた。しかし、乗車も思いのほか多く、先頭車の混雑はむしろ増して、いよいよ新聞を読むのも難しいほどの混雑となった。
満員の乗客を乗せて発車、しかし、首都圏の通勤路線に比べればはるかの線路容量に余裕がある、発車してしまえば100~110km/hで快走する。新正を通過し、周囲にコンビナートが立ち並ぶ工業地帯の中を走る。近鉄名古屋線の江戸橋以北は元々伊勢電気鉄道により狭軌で建設され、曲線が多く、厳しい速度制限区間が点在する。近鉄はスピードアップのため路線改良を行っており、白塚・江戸橋間とと共に、この付近は大幅な路線変更が行われた。以前は近鉄は現在の近鉄四日市に近い諏訪を出発すると、急カーブを曲がって国鉄四日市を通り、新正付近で現在の路線に合流していたが、ここを国鉄四日市への経由をやめ、直線的な新線を建設した。旧線の痕跡はわずかながら、四日市市内に残っている。交通量の多い国道23号線をアンダークロスし右に大きくカーブすると、駅前に海山道稲荷がある海山道を通過、左にJRの貨物線が近付いてくる。そのまま貨物線に沿って走り、まもなく塩浜駅に到着する。塩浜駅は最前部に出入り口があり、ここで多くの乗客が降り、車内はかなり空いた。
塩浜を発車すると左にカーブをしながら北楠を通過し、築堤を駆け上がり鈴鹿川派川を渡る。北楠を通過すると減速、右に宝酒造の工場を見ながら急なS字カーブを抜け、楠駅を通過する。再び加速すると快調な速度で飛ばす。長太ノ浦駅の先で長太の大クスの木を右にみる。車窓には田畑が広がり、名古屋周辺に比べて明らかに雰囲気が変わった。ほどなく、鈴鹿線との接続駅である伊勢若松に停車する。前方を見ると、先行する普通が千代崎に停車しているのが見える。跨線橋は最前部にあり、さらに乗客が減った。鈴鹿線の平田町行は上りホームから発車する。3分の接続で、駅員が平田町行はまもなく発車と案内すると、多くの乗客が足早に跨線橋を上って行った。鈴鹿線は鈴鹿市内の中心部へ向かうだけあり、乗客は安定して多い。
伊勢若松を発車すると、前に普通列車が詰まっているだけあって、80km/h程度までしか上がらない。千代崎を通過すると、注意してみると左側に海が望めるのであるが、かなり空いたとはいえ、まだ立客に阻まれ左側を見通せるほどではなかった。減速し、まもなく白子に到着する。白子は鈴鹿市ではかなり東寄りに位置するが、特急も停車する拠点駅である。先行していた普通が待避しており、白子で下車したり、普通に乗り換える客があって、列車はさらに空き、ドア付近のみに乗客が立つ程度となった。
白子を出発すると、列車は一気に加速する。江戸橋までの区間はカーブが多い名古屋線にしては線形が良く、緩い速度制限は何箇所かあるものの、スピードが出る区間である。鼓ヶ浦を通過すると左手に仁王門と三重塔が見える、地元では安全祈願で信仰が深い子安観音寺である。磯山駅の先の中ノ川、千里駅の先の田中川を渡る際には河口に近いため一瞬青々と輝く海が見える。列車は100~110km/hで快走を続けている。豊津上野を過ぎ、しばらく田畑の中を走る。住宅が増え、左に白塚検車区が見ながら、白塚駅を通過する。白塚は私が住んでいたアパートに近い。乗客数は多くないが車庫があり、普通列車の一部はここで運用が分かれるなど運転上の拠点である。木造の駅舎が私にとっては懐かしい。

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白塚を通過すると、右に緩くカーブをしながら、三重県の大動脈である国道23号線をアンダークロスする。ここから今度は左にカーブする。右に浄土真宗高田派の総本山、高田本山専修寺がみえる。お寺の周辺は寺内町としても知られ、今でも参拝者が多いという。昔は名古屋線はより右寄り、高田本山に近いところを走っていたが、スピードアップのため路線改良がなされた。志登茂川を渡る際に、旧線の橋脚の遺構が右に見える。高田本山を通過すると、列車は減速する。左方に三重大や大学病院が見え、これまた懐かしい。まもなく2面4線の江戸橋駅に到着する。ホームの反対側には普通列車が接続している。ここで大学生らしき乗客がかなり降りた。夏休み中であろうから、普段はこの急行はもっと混むのかもしれにない。

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近鉄名古屋線のうち桑名・江戸橋間は伊勢電気鉄道が建設した区間である。伊勢電は1930年には江戸橋からは津市の東寄りを通り、松阪近郊を経由して、伊勢神宮外宮付近にあった大神宮前まで路線を伸ばしていた。一方、近鉄の前身である大阪電気軌道傘下の参宮急行電鉄は、大阪電気軌道を延長する形で桜井から中川、さらに現在の近鉄山田線にあたる中川・宇治山田間を建設するとともに、1932年には中川から国鉄の津駅までの支線も完成させた。伊勢への鉄道建設にあたっての無理な競争がたたって伊勢電は資金繰りが苦しくなり、1936年に参宮急行が伊勢電を吸収合併し、桑名・江戸橋・大神宮前は伊勢線となった。1938年には大阪電気軌道の子会社である関西急行電鉄が桑名・名古屋間を開業させ、悲願の名古屋直通を果たした。それに合わせ、参宮急行は津・江戸橋を建設し、これをもって現在の近鉄名古屋線の原型が成立したこととなった。この時点では名古屋・江戸橋が狭軌、江戸橋以南が標準軌であったが、まもなく江戸橋・中川間が狭軌に変更された。1940年には関西急行電鉄を参宮急行が吸収合併し、さらに1941年に大阪電気軌道と参宮急行が合併して関西急行鉄道が成立し、現在の近鉄の原型となった。江戸橋・大神宮前を結ぶ伊勢線は中川経由の名古屋線・山田線と競合するため、1942年に不要不急路線として一部が廃線になり、その後は江戸橋・新松阪間を結ぶローカル線に転落した。1959年に名古屋線全線が標準軌に改軌され大阪線との直通も可能となり近鉄の幹線として発展していく一方、伊勢線は狭軌のまま残り、1961年にはついに廃止されてしまった。江戸橋駅は今は名古屋線の一中間駅であるが、名古屋線の歴史を語る上では欠かせない存在であり、その痕跡もわずかに残されている。
江戸橋を発車すると伊勢線の廃線跡の細い道路が左に別れていく。こちらは右に大きくカーブしながら勾配を上がり、旧国鉄伊勢線の伊勢鉄道とJR紀勢本線をオーバークロスする。つづいて左に大きく曲がると、津駅である。津はJRとの共同使用駅、駅前には25階建てのホテルがそびえる。2面3線のJRに対し、近鉄は島式ホーム1つだけと駅の規模は小さいが、次々と列車が発着する近鉄に対し、JRは本数が少なく、人影もまばらだ。ここで多くの乗客が下車し、車内は空席が目立つようになり、私も転換クロスシートに腰を下ろした。
津を発車すると紀勢本線と並行する。三重県庁の横を通り過ぎ、切り通しを抜けると岩田川を渡り、まもなく津新町に到着する。津新町は市役所や繁華街が近いため利用客が多く、この列車はいよいよガラガラになった。
津新町を出発すると紀勢本線が左へ分かれていく。丘陵地を登ると、左手遠くに津の港が望める。津近郊の新興住宅地が広がる南が丘を通過すると森林に囲まれるが、再び市街地に戻ると久居に到着する。駅前に自衛隊の駐屯地があり、その官舎が目立つ。
久居を出発すると、名古屋線唯一の無人駅である桃園を通過する。その先で車窓は一気に開け、広々とした田園風景が広がる。右手には青山峠の山々、そして山頂付近の風力発電所の姿も見られる。雲出川を渡ると右から近鉄大阪線が近付く。列車は減速しながら左カーブを曲がり、大阪線と合流して伊勢中川駅に到着する。近鉄名古屋線の旅はここまでである。

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拠点駅中川も直ぐに発車、近鉄山田線に入る。山田線は平坦な区間であり、線形が良く、列車のスピードは速い。車窓は田畑が目立つが、人口の少なくない地域であり、商業施設の姿も目立つ。列車はすうっかり空き、喧騒の後の穏やかな空気が車内を支配する。

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松ヶ崎付近でJR紀勢本線をオーバークロスすると、松阪の市街地に入っていく。右からJR紀勢本線と名松線が近づくと、まもなく松阪に到着する。私はここで下車する。5200系の旅は期待通り、楽しいものであった。列車を見送った後、駅舎に向かう。

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8月21日 米野→近鉄名古屋 [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

6時過ぎに目覚めた。昨日は名古屋駅で大学時代の友人2人と待ち合わせ、駅近くの居酒屋で語り合った。突然の結婚宣言などを聞くうちに時間は12時を過ぎた。友人の一人はタクシーで帰宅し、もう一人と夜道を20分ほど歩き、12時30分頃にホテルに到着した。汗を流し、ようやく寝たときには1時を優に過ぎていた。
眠い目をこすりつつ朝の用意をし、6時40分にチェックアウトした。ホテルは名古屋駅から歩くと15分ほどかかるが、近鉄名古屋線米野駅に近い。米野駅には6時45分には到着した。米野駅横には米野駅車庫があり、名古屋に到着した特急は一旦ここに回送され、車内整備を受ける。現在も特急車が何編成か停車している。近鉄の向こうにはJRの名古屋車両区が広がり、ワイドビューひだ用のキハ85が2編成待機しており、エンジン音が響いてくる。

ここで、しばらく下り列車を撮影する。名古屋駅から発車したばかりでスピードは上がっておらず、しかも列車本数が多いため、米野駅は名古屋線の撮影ポイントとなっている。
30分ほどの間にアーバンライナーなどを撮影できたが、期待していた5200系急行は来なかった。

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21020系 アーバンライナーNext

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21000系 アーバンライナーPlus

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2800系

7時18分発の名古屋行普通に乗車する。今日は平日、すでに朝ラッシュが始まっており、車内は混雑している。電車はすぐに地下にもぐり、近鉄名古屋駅に到着する。

8月20日 東京→名古屋 [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

現在、のぞみ91号岡山行に乗車中である。

今日は仕事を18時過ぎには切り上げ、一旦帰宅して用意をした後に慌ただしく自宅を出発した。19時50分に東京駅新幹線17番線ホームに着いた。

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停車していた300系こだまが発車し、まもなく20時頃にN700系が入線した。

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ビールを購入し、11号車に乗車する。東京駅出発時点では5割程度の乗車率であろうか。20時10分東京駅を定刻に発車した。N700系は2回目である。美しさ、格好良さとは程遠いスタイルは全く好きになれないし、インテリアにも良い印象は抱かないが、揺れの少なさは特筆に値する。乗り心地の安定感は世界トップクラスであろう。東海道・山陽新幹線の車両はシートピッチが広く、スペースに余裕があえう。腰掛は安っぽいものの、普通車でも快適である。品川・新横浜で乗客が増え、8割方のシートは埋まったが、私の隣は空席で、さらにスペースを広く使えるのも有難い。
新横浜を過ぎるとスピードが上がった。小田原を過ぎ、熱海が近付いたころ、車窓左手で花火が上がっているのが見えた。何かのイベントであろうか。
N700系はカーブで1度振子するはずであるが、この程度では私には分からない。順調に高速走行を続けており、すでに三島を通過した。日中なら右手に富士山が見えていることだろう。

今日はこの後名古屋で下車し、友人と食事をする予定である。明日は朝早くに出発し、紀伊半島を一周する。明日から二日間は強行軍である。寝不足が続いた上、朝から神経を使う仕事をしていたためか、少し頭が重いが、2日間の旅行を満喫したいものだ。

写真は帰宅後掲載するが、デジタルカメラのバッテリー充電器を忘れてきたことに先ほど気がついた。手元にあるのは、あまり充電されていない電池パック2つのみ・・・・充電器だけ買えるとも思えないし、写真は最低限しか撮れそうにない。つくづく残念だ。
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