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DB Baureihe 65.0 (Märklin 39650) [鉄道模型 Maerklin]

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 65形は第二次大戦後、ドイツ連邦鉄道Deutsche Bundesbahn (DB)が製作した新型蒸気機関車の一つで、78形や93.5形を置き換える目的で開発されたタンク式蒸気機関車である。
 軸配置1’D2’ h2で、 Krauss-Maffeiにより1951年に65 001-013の13両、1955年から56年にかけて65 014-018の5両が製作された。バッファー間長15,475mm、全重107.6t、軸重16.9tであった。ボイラー圧は14 barで、出力1,089Wで、前後進とも最高85km/h走行が可能な性能を有していた。炭庫の石炭積載容量は4.8t、水14,0m3であった。なお、65 001-013は表面式エコノマイザーを搭載していたのに対し、65 014-018はHenschel製混合加熱器を搭載していた。1968年にはコンピューターナンバーの導入で、065形となった。

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 65 001-007はBw Darmstadtに配属され、78形や93.5形と共に旅客列車だけでなく、貨物列車にも運用された。65 008-010はBw Düsseldorf-Abstellbahnhofに配属され、38形や78形ともに旅客運用に用いられたが、1954年初頭にBw Darmstadtに移った。65 011-013はBw Letmatheに配属され5710-35形に運用に就いたが、1953年7月にはBw Fröndenbergに移り、82形を置き換えた。しかし、1954年5月には65 011がBw Darmstadtへ、65 012-013がBw Essen Hbfへ移った。
 Bw Essen Hbfには65 012-013に加えて65 014-018も新製配置され、1956年までに全車がWendezug (プッシュプル列車)対応に改造された上で、Essen - Bottrop、Essen - Wuppertal - Remscheid、Essen - Kettwig - Ratingen - Düsseldorfで78形と共にWendzugに運用された。特に Essen - Kettwig - Ratingen - Düsseldorfの運用では、Essen南部Stadtwaldに勾配区間が存在したため、78形に比べて強力な65形が好まれた。ただし、Wendezugでは基本的に炭庫側が先頭に立ったため、鉄道ファンには不人気であったという。Essenでは1日の運用距離は350-400kmに達し、1カ月の運用距離が14,000kmを超えたこともあった。これはDBのタンク機としては唯一の例であった。1966年5月、Essen Hbfにおける65形の運用は終了し、全車がBw Limburgに転出した。

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 Bw Essenと共に、65形が最も活躍したのはBw Darmstadtであった。65 001-007に加え、1954年に65 008-011が加わり、Frankfurt (M)・Aschaffenburg・Eberbach・Heidelberg・Worms・Mannheimへの列車に運用された。1966年はじめに65 008-011がBw Limburgに移ったが、1969年には065 012-014, 016-018が加わった。しかし、電化の進展で65形の運用は縮小しており、既に1965年には65 007を皮切りに廃車も始まっていた。1970年12月残っていた65形は全てBw Ascheffenburgに移籍した。
 Bw Limburgには1966年初頭に65 008-018が配属され、Gießen・Marburg・Koblenzへの旅客列車やLollar – Londorf間の旅客列車に運用された。しかし、運用にさして機関者数は過剰で、しばしば入換用に用いられた。1968年に65 012と015が廃車となり、1966年から1969年にかけて全車が転出した。転出先は65 008-011がBw Dillenburg、65 013-014, 016-018がBw Darmstadtであった。
Bw Dillenburgでは65 008-011は入換用に用いられ、1年程で65 008はBw Darmstadtに移り、残りの3両は廃車となった。
 65形が最後に配属されたのはBw Ascheffenburgであった。1970年12月にDarmstadtから065 001, 004, 008, 013, 014, 01, 018が転入し、64形と共にMiltenbergへの旅客運用に就いたが、この運用は走行速度が高く、65形には不向きでしばしばトラブルが発生し、1972年4月までに065形は運用から外されたが、暖房用として残った。1972年12月27日最後まで残っていた065 018が廃車となり、置き換えるはずだった78形より一足早く、登場からわずか20年で65形は引退したのであった。
 1975年初頭に065 018がDeutsches Dampflok-Museum ドイツ蒸気機関車博物館に歩残されることが決定した。1981年にオランダのRotterdamに移り、現在も動態保存されている。

 65形のHOモデルとしては、フライシュマンが長らく製品化していたが、2019年にメルクリンがインサイダーモデルとして1965年仕様の65 012 (39650) を発売した。さらに、2022年新製品として1970年仕様の065 001 (39651) をアナウンスしている (おそらくBw Darmstadt仕様)。

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 製品番号39650の1965年仕様の65 012といえば、まさにBw Essen Hbfに配属されていた時代の姿である。Essenの65形が運用されたEssen - Kettwig - Ratingen - Düsseldorfは現在はS-Bahn S6系統となっているが、私は幼少時にこの沿線に住んだ時期があり、Düsseldorfへ買い物に行く際に何度か利用した。また、沿線には旅行に来た祖母が気に入った古城ホテルがあり、5年前のDüsseldorf留学中には妻とここで小さな結婚式を行ったのであった。したがって、この製品は私には見逃せないものであった。

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 高い位置に据え付けられた細めのボイラー、ランボードに吊り下げられた前照灯など、DBの新型蒸気機関車らしいスタイルアは格好良いとは言えないのかもしれないが、何とも愛嬌が感じられる。最近の製品らしくてディテールも繊細、サウンドも豊富で、特に汽笛やブレーキ音は素晴らしい。Wendezugを組んで、78形とともに走らせている。

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