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10月21日 Milan→Düsseldorf [ドイツ・イタリア鉄道旅行 2022]

 今日はイタリアからドイツへ向かう。元々の予定では、昼前のルフトハンザでFrankfurt (M)へ飛ぶ予定であったが、イタリアの管制官のストの影響で結構になり、代わりにITA (現地では「イータ」と発音していた)を予約した。
 朝一番でホテルをチェックアウトする。外はまだ真っ暗、無料のシャトルサービスを使い7時過ぎにはMilan Linate空港に着く。すぐにチェックイン手続きを済ませる。利用するのは8時30分発行AZ418便である。かなり混雑していたが、搭乗口には出発1時間前には着いた。
 飛行機は沖止めでバスで向かう。機材はA320で、生憎の曇り空でも、ITAの青い期待はよく目立つ。ただ、機内はアリタリア時代のまま変わっていない様子で、古さを隠せない。指定されたのは3人席の真中であったが、幸いにも窓側は空いており、そちらに移る。定刻に出発し、すぐに離陸する。

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 途中で飲み物とスナックのサービスがある。厚い雲に阻まれ、残念ながら地上の景色を楽しむことはできない。フライト時間が1時間少々、サービスが一段落すると、もう着陸である。イタリアは非常に楽しかったが、1年半を過ごしたDüsseldorfに来ると、ホームグラウンドに帰ってきたような安心感がある。

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 スーツケースもすぐに受け取ることができ、SkyTrainに乗ってDüsseldorf Flughafen駅へ。ちょうどDüsseldorf Hbf行のREが来たので、乗車する。Düsseldorf Hbfまではわずか8分で着く。まずはスーツケースをコインロッカーに預けることにするが、ユーロの硬貨がない。そこで両替を兼ねて、Nordseeでニシンの塩漬けのサンドイッチを購入する。さらに水も買って硬貨を用意する。コインラッカーは大半が埋まっていたが、何とか空いているところを見つけて、無事にスーツケースを預ける。雨が降っているが、それでも撮影に行くことにし、まずはS-BahnでDüsseldorf Eller-Südへ。早速やってきたICEを撮影するが、まともに映らない。実はこのカメラは買ったばかりで、設定をきちんと行っていなかったのだった。しかもジャーマンレールパスをスーツケースに入れたままでコインロッカーに預けてあることに気が付く。ミスだらけで、全てが滅茶苦茶。これは落ち着くしかない。ということで、S-BahnでHbfに戻り、ジャーマンレールパスを取り出した後、構内のレストランに入る。ここで地元名物のAltbier、私にとって命の水を一杯飲みながら一休憩し、カメラを設定し直す。

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 DBのアプリ、DB Navigatorを見ると、長距離列車が大幅に遅れており、これから続々とやって来るようだ。これは撮影のチャンスである。気を取り直して出発し、S-Bahnで定番撮影地のAngermndに向かう。しかし、Düsseldorf Flughafen駅ののホームで損傷が見つかったとのことで、Düsseldorf Derendorf駅で足止め、仕方がないのでここで降りて、駅近くのポイントで撮影することにする。雨が上がったのは幸いであった。遅延のおかげで、長距離列車が5分と間隔を開けずに次々とやって来て、1時間半ほどでICEからFlixtrainまで効率よく撮影することができた。

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 トイレ休憩を兼ねて近くのマクドナルドに立ち寄った後、Derendorf駅に戻る。

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 復旧したS-Bahnで13時過ぎにAngermundへ。ここで4時間程粘り行き交う列車を撮影する。天気は次第に晴れてきて、最後は秋の夕暮れを走るICEを撮って満足する。

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 目的も達成し、日陰も伸びてきたので、17時過ぎに撮影を切り上げる。再びS-Bahnに乗り、Düsseldorf Wehrhahnで下車、元々住んでいたアパート近辺を散歩し、近くのジェラート屋でアイスクリームを買っておやつにする。その後はトラムやU-Bahnに乗りつつ、頼まれていた保湿クリームや菓子などの買い物を済ませる。

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 旧市街へ行くと、週末、しかもメッセ会場で見本市も開催されているタイミングで、「世界一長いバーカウンター」と呼ばれるBolkerstraßeは大混雑。ここで、Twitter上で知り合いになった現地在住の方と合流する。頼まれていた鉄道模型の部品を渡し、旧市街を離れて、Altbierの醸造メーカーFrankenheim Altの直営レストランへ。ここは繁華街から外れており、落ち着いた雰囲気なので、以前からよく利用していた。Knusprige ofenfrische HaxeでAltbierを楽しみつつ、鉄道や模型の話で盛り上がった。

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 21時半過ぎに知人を別れ、バスでDüsseldorf Hbfへ。スーツケースを取り、遅れていたICE 528に乗車する。車両はICE 3、403形314編成“Bergisch Gladbach“である。Essen Hbfには30分程で着く。

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 駅からは夜道を5分程歩き、New Work Hotel Essenにチェックインする。明朝も早起きしないといけないので、すぐに休んだ。
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10月20日 Milan→Salsomaggiore Terme→Milan [ドイツ・イタリア鉄道旅行 2022]

 あけましておめでとうございます。2023年も宜しくお願いします。

 2022年10月の旅記録の続き。10月20日、時差ボケもあって、4時間も眠れず起床することになったが、朝一番でMilanの市内観光に出る。ホテルに近いLoretoからメトロM1系統に乗車し、Conciliazioneへ。メトロはかなり朝のラッシュ時間のためか、東京ほどではないが、立客もかなり多い。ここから10分程歩き、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ。8時15分からのダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の見学ツアーを事前に予約していたのであった。15ユーロと安いとは言えない値段ではあるが、時間は十分に取られており、映画などで憧れた絵画をじっくりと鑑賞することができた。

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 満足して再びメトロに乗り、今度はDuomoで下車。Milanの象徴である壮大な大聖堂の外観を眺める。9時前だというのに、観光客はかなり多い。

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 内部も見学したいところであるが、本日はそこまで時間はなく、再びメトロに乗車してホテルに戻り、朝食を済ませる。少しだけ学会発表の準備をして、荷物を持って出発。中央駅前の広場で後輩と合流し、驚くほど巨大な駅を列車を眺めつつ、ホームへ向かう。

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 11時20分発Bologna中央駅行Regionale Veloce 2463に乗車する。車両はHitachi Rail Italy製の2階建て電車”Caravaggio”で、FSでは”Rock”というブランド名で運用されている新しい車両である。4両・5両・6両編成の3バージョンがあり、こちらは5両編成のETR 521である。

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 車内はヨーロッパの地域輸送用としては標準的な座席配置で、明るい内装はモダンで好感が持てる。定刻に出発し、Milan市内で停車する度に乗客が増える。郊外に出るとスピードが上がり、最高160km/hの本領を発揮する。乗り心地は良好である。イタリア北部の平坦な車窓を楽しみ、Fidenzaには12時43分に到着する。

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 接続の列車までは少し時間がある。乗って来たRegionale VeloceはここでFrecciarossaのETR 500に道を譲る。その様子が撮影していたら運転手が近寄ってきて、You love trains?と尋ねられる。そうだと答えたら、自分もそうでpassionを持って運転していると、そして見せてくれたのがこれ。”TETSUDO-MOE, is it right?”と。”Perfect Japanese”と返答しておく。

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 13時09分発REG 18024に乗る。車両はAlstom製Cordia StreamファミリーのETR 103である。”Pop”という愛称で、先程の”Rock”とCIが統一されている。愛称の語感も良く、洒落ている。Salsomaggiore Termeまで9分で到着する。ここまで全て定刻、イタリアの鉄道は時間も正確で車内も清潔に保たれて好感が持てる。そして、小さな終点駅も雰囲気が良い。

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 ここから歩いて15分程の学会場に向かう。医学でもマニアックな分野の学会だけあって、日本からの参加者は我々だけ、会場の規模も大きくはないが、雰囲気のある会場である。着いたら、ちょうどランチの時間、提供されていたリゾットは美味、ついでに景気付けのシャンパンを一杯。
 元々は学会のガラ・ディナーまでいて、会場近くのホテルで一泊する予定であったが、航空便の変更で、本日中にMilanに戻ることに変更している。何とか発表を終えて、呼んでもらったタクシーで後輩と共にFidenza駅へ。19時26分発 Milan中央駅行Regionale Veloce 2482は往路と同じく”Rock”による運行である。旅の疲れでうたた寝をしているとMilan市内、Milan Lambrate駅には20時40分頃に着く。しばらく待ったが、ここでタクシーを拾い、友人お勧めのレストランに入る。友人があまり教えたくないというとっておきのレストラン、ピッツァから、地元名物の仔牛のすね肉料理Ossobuco、さらに魚介パスタまで、とにかく最高でワインも進む。

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 食事を終え、タクシーに乗る。後輩と別れて本日の宿、Fasthotel Linateに着いた時には23時を過ぎていた。
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10月19日 Tokyo→Frankfurt (M)→Milan [ドイツ・イタリア鉄道旅行 2022]

 2022年が早くも終わろうとしている。公私と共に新型コロナウイルス感染症の流行の影響はまだまだ大きいが、それでも1年間を無事に過ごすことができた。お世話になった方々には心より感謝したい。皆様、有難うございました。来年も宜しくお願いします。

 今年は渡欧する機会に恵まれたのは幸運であった。せっかくなので、今回の旅の記録を記しておきたい。
 10月19日朝、友人達へのお土産で重くなったスーツケースを抱えてラッシュの電車を乗り継ぎ、羽田空港に着いたのは朝9時過ぎであった。搭乗するルフトハンザ航空Frankfurt (M)行LH 717便の搭乗手続きはすでに開始されており、少し並んだが、30分ほどで終了。到着便の遅れで出発が20分遅延の11時55分になるとのこと、Frankfurt (M)空港から更にMilanへ乗り継ぐ予定だが、接続時間に余裕がないので、少し心配になる。
 展望デッキに行くと、程なくしてLH 716便が到着、機材はボーイング747-8I、D-ABYM “Bayern”である。この期待がLH 717便となる。今やジャンボ機はおろか、4発機も見かけることも珍しくなったが、やはりジャンボ機の流麗なスタイルは好ましい。

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 出国手続きはスムーズに済み、制限区域内に進む。利用客は大分多いが、休業している免税店も目立つ。搭乗は予定の11時35分を過ぎても始まらず、結局12時過ぎに開始された。今日中にMilanにたどり着くのは難しそう、と諦めかけるが、機長のアナウンスでは本日の飛行時間は短い予定なので、出発は遅れたが定刻より早く到着予定とのこと。

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 私の席は後方左の窓側である。国際線に慣れている友人は通路側を好むようだが、私はいつも窓側一択。ゲートを出発したのは1時間遅れの12時35分、滑走路34Rから12時50分に離陸する。東京湾から江戸川に沿って北上し、職場の上空を通過。通常なら、ここから新潟方面へ抜けるが、今日は東へ針路をとり、太平洋へ出る。



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 長旅の間、Wifiサービスを利用して仕事をするつもりであったが、なかなか接続できない。そうこうするうちに機内アナウンスが入り、原因不明のトラブルでWifiサービスが提供できないとのアナウンスが。こうなると、ただでさえ長いヨーロッパへの道のりがますます遠く感じられる。
 落ち着いた頃に飲物のサービスが開始される。ビールは以前はWarsteinerであったが、Becksに代わっていた。しかも、スパークリングワインなど一部は有料、さらにエコノミークラスでは食事の選択はなく、おそらくベジタリアンにも対応していると思われるチーズパスタをメインとしたほぼ炭水化物で構成されたメニューであった。

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 食事サービスが終わっても、残り飛行時間は11時間以上。学会発表の準備や映画鑑賞で時間をつぶす。シベリア経由と比べて2時間以上も飛行時間が長いのは辛いが、それを癒してくれるのは、グリーンランド、ノルウェーのフィヨルドなど機窓に広がる素晴らしい光景である。これだからこそ、いつも窓側席を選んでしまう。

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 途中で飲み物とおにぎりかパウンドケーキが配られ、さらに到着1時間前にサンドイッチとケーキが提供された。供食サービスのサービスカットぶりには鮮明に航空業界の苦境が感じられる。

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 夕暮れが迫る中、デンマークからドイツへと入り、徐々に高度を落としていく。そろそろ日も暮れて19時にFrankfurt(M)空港に着陸、ゲートに着いたのは19時14分、定刻の1分前であった。

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 ここからはMilanへのLH278に乗り継ぐ。慣れてはいるが、Frankfurt (M)国際空港は広大で、少し戸惑う。それでも係員に尋ねて大きな問題なくシェンゲン条約圏内への入国審査は完了。ロストバッゲージや遅延など悪評ばかりの最近のFrankfurt (M)国際空港だが、今日は落ち着いた雰囲気で、余裕をもって搭乗口に着く。ここでソーセージを。Milanに着くのはかなり遅いので、とりあえずお腹を満たしておこうという訳である。
 程なくLH278便に搭乗する。A320による運航で、ほぼ満席である。定刻の21時50分に出発、トーイングカーがプッシュバックだけでなく、そのまま誘導路手前まで航空機を牽引する。環境に配慮した試みらしい。

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 順調に離陸すると、飛行時間は1時間にも満たない。ミネラルウォーターとお菓子のサービスを受けると、まもなく着陸態勢、Milan-Linate空港に着いたのは23時であった。

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 人気の少ないターミナルに進む。ロストバッゲージを心配したが、幸いにもスーツケースはちゃんと届いていた。夜も遅いので、タクシーでMilan中央駅付近のホテルにはタクシーで向かう。ホテルの場所を確認すべく、インターネットにアクセスすると、何と予約したはずのホテルはいつの間にかキャンセルされている。どうやら、クレジットカードの決済がうまくいってなかったようだ。慌てて検索し、何とか同じくらいの値段で、ホテルを確保できた。そのDoria Grand Hotelまでは20分程。無事チェックインできた。
 荷物を置いて、近くの雑貨屋で水とビールを確保。途中でトラムを見ると、Milanへ来たことを実感する。もう夕食を取るような店はもちろんなく、Frankfurt (M)国際空港でソーセージを食べたのは正解だった。

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 長旅を終え、寝ようとしたら、ルフトハンザからメッセージが届いていた。何と、翌々日の10月22日に搭乗予定のMilanからFrankfurt(M)への便が欠航とのこと。アワードマイレージで取った予約で、ホームページではどうしても予約変更ができない。しかも、Milanからドイツ方面の便は軒並み欠航となっている。後に知ったところでは、イタリアで管制官のストがあったそうだ。それでも、何とかアリタリア航空を引き継いだITAのMilan発Düsseldorf行を確保。予定の調整もして、床についた時には1時半を過ぎていた。
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DB Baureihe 65.0 (Märklin 39650) [鉄道模型 Maerklin]

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 65形は第二次大戦後、ドイツ連邦鉄道Deutsche Bundesbahn (DB)が製作した新型蒸気機関車の一つで、78形や93.5形を置き換える目的で開発されたタンク式蒸気機関車である。
 軸配置1’D2’ h2で、 Krauss-Maffeiにより1951年に65 001-013の13両、1955年から56年にかけて65 014-018の5両が製作された。バッファー間長15,475mm、全重107.6t、軸重16.9tであった。ボイラー圧は14 barで、出力1,089Wで、前後進とも最高85km/h走行が可能な性能を有していた。炭庫の石炭積載容量は4.8t、水14,0m3であった。なお、65 001-013は表面式エコノマイザーを搭載していたのに対し、65 014-018はHenschel製混合加熱器を搭載していた。1968年にはコンピューターナンバーの導入で、065形となった。

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 65 001-007はBw Darmstadtに配属され、78形や93.5形と共に旅客列車だけでなく、貨物列車にも運用された。65 008-010はBw Düsseldorf-Abstellbahnhofに配属され、38形や78形ともに旅客運用に用いられたが、1954年初頭にBw Darmstadtに移った。65 011-013はBw Letmatheに配属され5710-35形に運用に就いたが、1953年7月にはBw Fröndenbergに移り、82形を置き換えた。しかし、1954年5月には65 011がBw Darmstadtへ、65 012-013がBw Essen Hbfへ移った。
 Bw Essen Hbfには65 012-013に加えて65 014-018も新製配置され、1956年までに全車がWendezug (プッシュプル列車)対応に改造された上で、Essen - Bottrop、Essen - Wuppertal - Remscheid、Essen - Kettwig - Ratingen - Düsseldorfで78形と共にWendzugに運用された。特に Essen - Kettwig - Ratingen - Düsseldorfの運用では、Essen南部Stadtwaldに勾配区間が存在したため、78形に比べて強力な65形が好まれた。ただし、Wendezugでは基本的に炭庫側が先頭に立ったため、鉄道ファンには不人気であったという。Essenでは1日の運用距離は350-400kmに達し、1カ月の運用距離が14,000kmを超えたこともあった。これはDBのタンク機としては唯一の例であった。1966年5月、Essen Hbfにおける65形の運用は終了し、全車がBw Limburgに転出した。

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 Bw Essenと共に、65形が最も活躍したのはBw Darmstadtであった。65 001-007に加え、1954年に65 008-011が加わり、Frankfurt (M)・Aschaffenburg・Eberbach・Heidelberg・Worms・Mannheimへの列車に運用された。1966年はじめに65 008-011がBw Limburgに移ったが、1969年には065 012-014, 016-018が加わった。しかし、電化の進展で65形の運用は縮小しており、既に1965年には65 007を皮切りに廃車も始まっていた。1970年12月残っていた65形は全てBw Ascheffenburgに移籍した。
 Bw Limburgには1966年初頭に65 008-018が配属され、Gießen・Marburg・Koblenzへの旅客列車やLollar – Londorf間の旅客列車に運用された。しかし、運用にさして機関者数は過剰で、しばしば入換用に用いられた。1968年に65 012と015が廃車となり、1966年から1969年にかけて全車が転出した。転出先は65 008-011がBw Dillenburg、65 013-014, 016-018がBw Darmstadtであった。
Bw Dillenburgでは65 008-011は入換用に用いられ、1年程で65 008はBw Darmstadtに移り、残りの3両は廃車となった。
 65形が最後に配属されたのはBw Ascheffenburgであった。1970年12月にDarmstadtから065 001, 004, 008, 013, 014, 01, 018が転入し、64形と共にMiltenbergへの旅客運用に就いたが、この運用は走行速度が高く、65形には不向きでしばしばトラブルが発生し、1972年4月までに065形は運用から外されたが、暖房用として残った。1972年12月27日最後まで残っていた065 018が廃車となり、置き換えるはずだった78形より一足早く、登場からわずか20年で65形は引退したのであった。
 1975年初頭に065 018がDeutsches Dampflok-Museum ドイツ蒸気機関車博物館に歩残されることが決定した。1981年にオランダのRotterdamに移り、現在も動態保存されている。

 65形のHOモデルとしては、フライシュマンが長らく製品化していたが、2019年にメルクリンがインサイダーモデルとして1965年仕様の65 012 (39650) を発売した。さらに、2022年新製品として1970年仕様の065 001 (39651) をアナウンスしている (おそらくBw Darmstadt仕様)。

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 製品番号39650の1965年仕様の65 012といえば、まさにBw Essen Hbfに配属されていた時代の姿である。Essenの65形が運用されたEssen - Kettwig - Ratingen - Düsseldorfは現在はS-Bahn S6系統となっているが、私は幼少時にこの沿線に住んだ時期があり、Düsseldorfへ買い物に行く際に何度か利用した。また、沿線には旅行に来た祖母が気に入った古城ホテルがあり、5年前のDüsseldorf留学中には妻とここで小さな結婚式を行ったのであった。したがって、この製品は私には見逃せないものであった。

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 高い位置に据え付けられた細めのボイラー、ランボードに吊り下げられた前照灯など、DBの新型蒸気機関車らしいスタイルアは格好良いとは言えないのかもしれないが、何とも愛嬌が感じられる。最近の製品らしくてディテールも繊細、サウンドも豊富で、特に汽笛やブレーキ音は素晴らしい。Wendezugを組んで、78形とともに走らせている。

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ICE 30周年 [ドイツ鉄道 列車]

 1991年5月29日、Bonn・Hamburg・Mainz・Stuttgart・Münchenからの6本の特別列車がKassel-Wilhelmshöhe駅に集まり、Richard von Weizsäcker大統領臨席の元、ドイツ初の高速列車であるInterCityExpress (ICE)の開業式典が華々しく行われた。6月2日からICEの営業運転が開始され、以後高速新線や改良新線の開業や様々なICE用車両が開発により、ICEのネットワークはドイツのみならず周辺各国にも広がった。それから今日で30年、ICEはドイツ鉄道の長距離旅客輸送において中心的な役割を果たし、ドイツの旅には欠かせない存在となった。
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 ICEを先駆的な存在となったのは、試験車両である410形InterCityExperimental (後のICE-V)である。1983年から1985年にかけて製作されたこの試験車は、1988年6月1日に当時に世界最高速度となる406.9 km/hも記録した。1998年に役割を終えて引退し、現在はMünchen のドイツ博物館、およびMindenの鉄道研究施設で保存されている。
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 1991年の営業開始当時の高速新線はMannheim-Stuttgart、Hannover-Würzburgの2区間であり、ICEの運転が最初に開始されたのはHamburg – Hannover – Fulda – Frankfurt (M) – Stuttgart – Münchenであった。最初の営業車両であるICE 1は1989年から1993年にかけて60編成が製作された。ICE 1は両端が動力車で、中間に11~13両の客車が連結された編成とされ、最高280 km/hとされた。ICE 1はドイツを南北に結ぶ路線を中心に投入され、1993年からは統一ドイツの首都となったBerlinへの乗り入れも果たした。さらに1992年からスイス、1998年からオーストリアへの乗り入れも開始した。
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 ICEは快適な車内設備で好評をもって迎えられ、順調に旅客数を伸ばしたが、ICE1は長編成で大幹線以外での運用には向いていなかった。そこで、1996年から1988年に動力車1両と客車7両からなるICE 2が44編成制作された。ICE 2は2編成での併結が可能で、柔軟な運用を可能にした一方、コンパートメントが廃止されるなど車内設備は簡素化された。1998年9月にBerlin-Hannoverに高速新線が開業し、Berlin発着のICEのスピードアップが実現した。ICE 2はBerlin – Hannover – Hamm – Essen – Düsseldorf / Hamm - Hagen – Wuppertal – Kölnなど併解結を伴う路線で運用された。
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 1998年6月3日Eschede近郊でICE 1が脱線して橋脚に衝突する事故が発生し、101名が犠牲になり、ドイツの鉄道史上最大の悲劇となった。原因は乗り心地向上のために導入された弾性車輪の破損であった。ICE 1は一体圧延車輪に戻されたが、検査や改修のため大規模な運休や編成両数削減、さらに103形をはじめとする旧型車両による代走などで、しばらく長距離鉄道ネットワークの混乱が続いた。
 1999年5月、ドイツ鉄道に新しいICE用車両であるICE-Tが登場した。ICE-Tは同時に開発が進められたICE 3と同様の動力分散式となり、またFIAT社の振子装置を搭載し、最高230 km/hとされた。ICE-Tは2005年までに5両編成の415形が11編成、7両編成の411形が60編成制作された。ICE-TはStuttgartとスイスのZürichを結ぶ列車でデビューし、その後旧東ドイツ地域への列車を中心に投入された。2006年からはオーストリアへの直通も開始した一方、スイスへの直通は2010年に終了した。
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 ICE-Tより1年遅れて、2000年6月には新しいフラッグシップとしてICE 3が登場した。ICE 3は最高330 km/hに対応する高速性能を有し、8両編成で併結も可能とされた。ICE 3にはドイツ国内で運用される単電源式の403形と、4電源式で国際運用に対応する406形 (ICE 3M)があり、2006年までに403形が50編成、406形が17編成 (うち4編成はオランダ鉄道NS向け)が製作された。ICE 3Mは登場時からオランダに直通運転を行っており、2003年にはベルギーへの乗り入れも開始した。ICE 3とICE-Tは車内外とも共通のコンセプトでデザインされており、その上質なデザインは後のICEに受け継がれていくこととなった。
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 2002年8月に最高300 km/hの高速新線Köln-Rhein/Mainが開業し、ルール地方から南方への大幅な高速化が実現した。12月15日のダイヤ改正ではICEネットワークが抜本的に見直され、ICE 3はこの高速新線を経由する路線に集中的に投入された。
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 2001年6月には4両編成の気動車ICE-TDが登場した。ICE-TDは最高200 km/hで20編成が製作され、Nürnberg - Hof - Dresden、München - Lindau – Zürichに投入されたが、振子装置にトラブルが相次いだ上、2002年10月には車軸破損により脱線事故を起こし、振子装置の使用が停止され、2003年7月には運行認可も取り消されてしまったため営業運転を外された。
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 サッカー・ワールドカップドイツ大会に先立つ2006年5月には首都Berlinに新しい玄関駅Berlin Hbfが開業すると共に、最高300 km/h対応の高速新線Nürnberg – Ingolstadtも開業し、ドイツ南部でも高速化が図られた。
 2007年6月にはICEは悲願のフランス直通を果たした。Frankfurt (M) – Paris間に設定されたICEには、フランス直通対応に改造された406形 (ICE 3MF)が充当された。さらに、2007年12月からはHamburg – CopenhagenにもICEが登場した。このデンマーク直通運用には2006年春から細々と営業運転を再開していたICE-TDが投入された。Vogelfluglinie 渡り鳥ラインと呼ばれるルートにはフェリー航送区間もあり、鉄道ファンの注目を集めた。
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 ドイツ鉄道が悩まされたのが車軸の問題であった。2008年ICE 3は低速で走行中に車軸が折損して脱線する事故が発生し、車軸超音波検査の間隔が短縮されると共に、全車の車軸が交換された。ICE-Tでも車軸に亀裂が発見され、振子装置の使用は2018年までの長きに渡って停止された。
 新型車両が次々と登場する一方、2005年から2008年にかけて、ICE 1はRedesignと呼ばれる更新工事が行われ、インテリアはICE 3に近いデザインとなった。続いて2009年から2013年にかけてICE 2の更新工事も行われた。
 SiemensはICE 3をベースとする高速列車をVelaroのブランドで開発し、スペイン・中国・ロシア・トルコにも輸出した他、London – Parisなどを結ぶEuroStarへのセールスにも成功していたが、2008年にはDBも新型ICE 3としてVelaroを発注した。形式は407形で、406形と同様に8両編成とされた。407形は4電源式で2011年12月よりフランス直通運用に用いられる予定であったが、トラブルが頻発して認可取得が遅れ、2013年12月にようやくドイツ国内でデビューし、2014年4月からは406形に代わりフランス直通のICEにも充当された。
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 2015年12月にErfurt – Halle/Leipzig、さらに2017年12月にEbensfeld–Erfurtで相次いで最高300 km/h対応の高速新線が開業した。Berlin – Münchenを4時間で結ぶ速達列車も設定され、旧東ドイツ地域においても大幅な高速化が達成された。
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 デンマーク直通に使用されていたICE-TDは検査期限切れに伴い、2017年10月に運用を終了した。2編成は“advanced TrainLab“として試験用に残ったが、残りの編成は順次廃車解体が進められている。
 2017年12月にはICE 4が本格的な営業運転を開始した。(2016年から試験的に営業運転に用いられていた。) ICE 4の最大の特徴は、変圧器・変換器・主電動機などの主要機器をPowercarと呼ばれる動力車に集中配置し、路線事情に合わせて柔軟な編成を組むことを可能とした点である。最高速度こそ250 km/hに抑えられているものの、様々な新機軸が盛り込まれ、ドイツ鉄道の新たなフラッグシップに位置付けられている。ICE 4は7両・12両・13両編成の3つのバージョンが製作される予定で、最初に登場したのは12両編成であった。これらは主にICE 1の運用を置き換え、2019年12月からはスイス直通運用への投入も開始された。7両編成は2020年12月からICE 2の運用を置き換える形で投入が開始されており、さらに13両編成も2021年2月から暫定的に営業運転に就いた。ICE 4は最終的には12両編成と13両編成がそれぞれ50編成、7両編成が37編成導入される予定で、現在も製造が進められている。
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 2018 年9 ⽉よりドイツ鉄道 はICE の運行は再⽣可能エネルギーによる電⼒でまかなわれていることから、ICEを”Deutschlands schnellsten Klimaschützer” (ドイツ最速の環境保護者) としてPRすることとし、先頭⾞の⾚帯を緑⾊に変更した。このデザイン変更は全編成が対象とされたが、現在も赤帯のままで走っているICEも少なくない。
 デビューから30年が経過したICE 1はインテリアを中心に再度の更新と、中間客車9両へと編成を短縮する工事が行われており、2030年頃まで引き続き使用が継続される予定である。
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 ICE 3は2016年から403形を中心に更新工事が進められているが、406形については故障が多く維持コストも高いことから、2025年にも廃車が始まる可能性があると報道されている。ICE 2やICE-Tについては2025年頃までは使用される予定であるが、その後の計画は不明である。
 2020年7月にはドイツ鉄道はVelaroを30編成追加発注した。形式は408形で、ICE 3neoと呼称されており、2022年末から投入が開始される予定である。
 近年のICEの最大の問題は慢性的な遅延である。ドイツ鉄道の長距離列車の定時運行率が8割を割り込むことも珍しくなく、交通機関としての信頼性が損なわれている状態である。この遅延の常態化に様々な要因が絡まっているとされるが、特に問題として指摘されているのはドイツ鉄道のインフラ投資が不十分である点である。
 2020年以降の新型コロナウイルス感染症の流行により、ドイツでは厳しいロックダウンが行われ、結果としてドイツ鉄道も大きな打撃を受けることとなった。社会インフラとしてドイツ鉄道は一定の列車運行を継続したが、列車本数や編成両数の削減が行われ、それでも多くの列車が空気を運んでいる状態となった。その中で、2020年の定時運行率はこの15年間で最も高い85%を記録したのは皮肉なことであった。
 ドイツ鉄道は2030年を目標に、“Deutschlandtakt“ (直訳すると「ドイツの時計」)という名の元、ドイツ全域に渡って到達時間短縮や列車本数の増強を行うことを計画しており、それに向けて積極的にインフラ整備や車両調達が行われている。10年後、20年後のICEの変化も見逃せない。
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 最後に個人的なICE体験を記したい。幼い頃に過ごしたドイツに登場した高速列車には、少々武骨だが私好みのスタイルで、デビュー前から興味をひかれた。高校生を卒業する頃にはドイツ鉄道への興味は募るばかりとなり、最初に買ったヨーロッパ型の鉄道模型はフライシュマンのICE 1であった、浪人生活の傍らドイツの鉄道に関する情報を集めるようになったが、その矢先に起こったEschede事故は衝撃的であった。ニュース番組の冒頭で流された映像は今も目に焼き付いている。重苦しい空気の一方で、1998年10月にBerlinで姿を現したICE 3に魅了され、毎日のようにインターネットで画像を眺めたのも懐かしい。
 2005年3月、大学の卒業旅行で実に20年ぶりにドイツに降り立ち、最初に乗ったのはFrankfurt (M)空港からMannheimまでのICE 1であった。そして、何よりも素晴らしい体験だったのは、Frankfurt (M)からAmsterdamまでラウンジ席で乗り通したICE 3の旅であった。益々ICEに魅了された私はその後もチャンスを見つけてはドイツに飛ぶようになった。
 人生最大の幸運の一つは、2016年7月から2018年2月までDüsseldorfに留学する機会を得たことであった。留学期間中、暇を見つけてはICEに乗り、そして撮った。ICE 3の当時現役だった83編成全編成を撮影したことは、私の趣味歴においては最大の成果である。ICE 4の登場をドイツで迎えることができたし、BerlinからMünchenへのICE Sprinterの一番列車をICE 3のラウンジ席で乗車することもできた。
 帰国して3年、ICEは更なる変化を続けている。ドイツにいた時のような活動は到底できないが、それでもICEの動向を追いかけるのは楽しいものである。ICEは今も私の趣味の中心である。
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