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7月30日 Salzburg [ドイツ・オーストリア鉄道旅行 2012]

 目覚めるとまだ4時半である、時差ボケがまだ残っているようだ。朝食も7時前には済んでしまったが、観光に出るにはまだ早すぎる。そこでカメラを持ってSalzburg Hbfで「朝鉄」を楽しむことにする。
 まずはSalzburg – Wien間で運転を開始したばかりの民営運行会社WESTbahn。使用する車両はStadler製”KISS”と呼ばれる2階建て電車で、最高速度200km/hを誇り存在感は抜群である。車外から観察する限り乗車率も上々の様子。あとで現地の鉄道雑誌で確認したら、乗車率は開業前の予想を上回っているが、短距離利用が多く、収入は予想よりは下回っているとか。なかなか難しいものであるが、ÖBBの強力なライバルであることは間違いなかろう。

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 その横では凸型の電気機関車が客車の入換中。凸型のデザインが何となく古めかしいと感じたが、動き始めたら明らかにインバータ音が。この1163形は1994年製の比較的新しい電気機関車なのであった。

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 1116形牽引のRJが入線。

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 駅の隅には1142形牽引のローカル列車が停車中。

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 今度はFrankfurt (M)行のECが到着、我らがDB編成で、後ろから押すのは101形である。

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 すっかりTaurusが増えたが、1144形もICを牽引する機会は残っているようだ。

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 ローカル運用に就く1016形。

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 今日は鉄道に乗車する予定はないので、鉄活動もこれでおしまい。ホテルに戻り、8時過ぎに観光に出る。トロリーバスでマカルト広場へ行き、マカルト橋でザルツァッハ川を渡って旧市街へ。まだ朝早い時間で、人通りも少なめである。まずは旧市街の南にそびえるホーエンザルツブルク要塞 Festung Hohensalzburgに向かう。要塞までは徒歩で30分ほどかけて上ることもできるが、ケーブルカーを使うことにする。
 大聖堂の横を抜けた先に、こじんまりとしたケーブルカーの乗車口がある。ケーブルカーはFestungsbahn Salzburg (ザルツブルク要塞鉄道と訳せば良いのだろうか。)と呼ばれ、1892年に開業し、2000年からはトロリーバスなどのローカル交通と同様にSalzburg AGによって運行されている。

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 9時発の初便に乗車する。他に乗客は一組でガラガラである。車内は立席のみ、定員は55名である。9時にブザーが鳴ってドアが閉まり、ごとりと発車。日本でケーブルカーというと歩くのと同じような速度で走るイメージがあるが、こちらは結構スピードが出て、あっという間に高度を上げていく。あとで調べたら最急60パーミルの勾配を通常4m/s、最高5.5m/sで走り、全長198.5mをわずか1分で上るのであった。

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 ホーエンザルツブルク要塞はガイドツアーでの見学となる。山上に着いたところで、ガイドツアーの申し込所に行くと、最初のツアーは9時半からとのこと。それまでに博物館でも見ていて欲しいとのことだったので、城塞博物館やライナー博物館をざっと見て回る。戻ったところで、オーディオを貸してもらう。日本語も用意されており、ガイドに従ってオーディオを聞きながら、要塞の変遷、拷問具の部屋、そして見張り台などを見て回る。見張り台からは麓の旧市街、その先の新市街や中央駅などのパノラマが広がり、反対側にはザルツブルク空港も一望できる。

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 ガイドツアーの後は大砲の置かれた通路を通って、人形劇博物館へ。展示自体は小規模だが、ここもなかなか面白かった。

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 帰る前に、もう一度要塞からのザルツブルクの光景を眺める。観光ガイドなどでもよく見る構図で新味はないが、中世の雰囲気が色濃く残り、実に美しい。その左に目を向けると、ケーブルカーのすれ違いの様子が見られる。車両のデザインが新しいと思ったら、2011年4月に更新したばかりのようだ。

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 他に乗客のいないケーブルカーに揺られ、旧市街に戻る。朝のSalzburg Hbfで今日の鉄活動は終わりと思っていたが、幸か不幸か、このケーブルカーを楽しむことが出来た。

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 次に大聖堂の隣のレジデンツへ行く。

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オペラのリハーサルが行われている中庭を抜け、窓口でオーディオガイドを借りる。日本語での案内があるのは有難い。ドイツ語はおろか、英語も苦手な私、旅行中何とか困らない程度にはできても、こういう博物館などでの歴史用語の嵐は恥ずかしながら付いていけない。
 軍事中心でまさに要塞といった趣きのホーエンザルツブルク要塞と異なり、大司教が日常の執務を行ったレジデンツは非常に豪華な造りである。騎士の間からスタートしてぐるっと1周、途中にはマリア・テルジアやフランツ・ヨーゼフ1世などの肖像画が飾られた皇帝の間など見どころが多く、小1時間ほどを要した。

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 出る前に中庭でのオペラのリハーサルに耳を傾ける。曲はモーツァルトの魔笛のようだが、どうもおかしい。そもそも魔笛の会場は違うはずと思って調べたら、「魔笛」の台本を書いたエマヌエル・シカネーダーの没後200周年を記念し、シカネーダーが書いた「魔笛」の続編にペーター・フォン・ヴィンターが音楽を付けた「迷宮」というオペラのリハーサルだった。
 11時が過ぎ、お土産を購入しながら旧市街を散歩する。大道芸人も出ている、効果を入れたら、絵ハガキを渡された。

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 ちょっと早いが昼食を摂ることにした。肉料理を食べる気にはなれず、モーツァルトハウスの隣にある魚料理チェーンNORDSEEに入る。白身魚のムニエルにビールを一杯。

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 ザルツァッハ川を渡り、新市街側に出てHotel Sacher Salzburgへ。ホテル・ザッハーといえばオーストリアきっての名門ホテル。職場の同僚から、ちゃんとしたザッハ・トルテを買ってくるようにリクエストされた。そうなると、ホテル・ザッハーで買えば文句は言われないだろうというわけである。
 高級ホテルに縁がない私だが、購入場所が分からなかったため、恐る恐る中へ入って売店の場所を尋ねる。対応は極めてスマートだが、ホテル内は案外狭くて、驚くような高級感はない。ただ、これまで泊まった音楽家の写真やサインの数々には圧倒される。売店でお土産用にザッハトルテを確保、しかし、これで荷物が一気に重くなった。 
 マカルト広場からトロリーバスで駅前のホテルに戻ったら、もう12時を過ぎていた。ここまで歩き回ったので、一休みする。
 ネクタイとジャケットをして、14時過ぎに再び出発、再びトロリーバスで旧市街へ向かう。目指すはザルツブルク音楽祭のメイン会場である祝祭劇場である。祝祭劇場はFelsenreischule、Grosses Festspielhaus、Haus für Mozartの3会場からなる。
 これから、15時開演のオペラ「魔笛」を聴く。「魔笛」はモーツァルトのオペラの中でも最も人気の高い演目である。今年の音楽祭では、新たに音楽監督になったアレキサンダー・ペレイラが、一度はザルツブルク音楽祭のオペラの指揮からの引退を明言したニコラウス・アーノンクールを再び引っ張り出したことで大きな話題となった。オーケストラもザルツブルク音楽祭の「魔笛」を独占してきたウィーン・フィルではなく、アーノンクールの手兵であり、古楽器演奏の先駆けとなったコンツェントゥス・ムジクス・ウィーンが登場する。私が旅行を決めた時には当然公式サイトで売り切れていたが、幸いにもザルツブルクのチケットショップから入手することができたのであった。
 祝祭歌劇場の前に着くと、非常に華やかな雰囲気である。会場の向かいにはスポンサー企業のテントが立ち、着飾ったセレブたちが開演前の一時を楽しんでいる。その雰囲気を楽しむ観光客の姿も目立つ。

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 入口を抜け。まずはコーヒーを一杯。お酒を飲んでいる人も多いが、今のタイミングで飲んだら、公演中に睡魔に襲われそうである。
 「魔笛」の会場はFelsenreischuleである。Felsenreischuleは岩の乗馬学校という意味で、ここに学校があったことに由来する。舞台の背後はメンヒスベルクの岩壁を削って造られ、岩肌が残っていて、演出上のアクセントにしばしばなっている。会場はそれほど大きくはなく、オペラをの楽しむにはちょうど良いサイズである。私の席は会場中程、やや右寄りにあり、舞台全体が見渡せる良席であった。

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 開演が近づくと、テレビのレポートーがカメラに向かって何かを話し始めた。会場の外にZDFやORFの中継車が止まっていたから、このオペラも中継されているのであろう。
 15時よりちょっと遅れて、アーノンクールが登場して開演。ゆっくりしたテンポでの演奏、CMWの音は野性的でいて美しく、心に深く響いてきた。歌手陣も粒揃い、ソプラノのJulia Kleiterの美声は特に印象的であった。演出は極めて現代的で、舞台は神学校から医学校、それも寄宿学校に置き換えられていた。権力の象徴「太陽の環」を持つ神官ザラストロは聖人君主として広く尊敬されているというのが通常の演出だが、この演出ではザラストロはピカピカ光る玩具のような太陽の輪をぶら下げ、太陽の輪からコードが頭に伸びていて、実は権力なんてこんなもので、そんな権力にザラストロ自身が権力におどらされていることを象徴していた。会議では高圧的に人々 (ここでは教師達)に同意を求め、ザラストロが集める経緯もその権力が故であることが象徴的に描かれていた。ラストシーンではザラストロと悪役「夜の女王」が「太陽の環」を巡って見苦しく争い、呆れたタミーノとパミーナが「太陽の環」を子供の玩具にして幕となった。権力とそれに対する見苦しい欲望への痛烈な皮肉がこめられ、しかも途中で善悪が入れ替わるという「魔笛」の無理のある筋書を見事にまとめているという点でも良かった。休憩を挟んで3時間40分、決して短くはないが、この瞬間が終わって欲しくないと思う素晴らしさ。心が揺さぶられた最高のオペラ体験となった。
 カーテンコールも熱狂的なものになり、拍手だけでなく、特に感動した場合の足踏みまで送られていた。やはりアーノンクールには圧倒的な賞賛が送られていたが、演出は必ずしもそうではなく、否定的に見る向きも少なくなかったようだ。

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 会場を出るともう19時近い。だが、今日はこれで終わりではない、20時30分からコンサートがある。まずは夜食用にNORDSEEでサンドイッチを購入、続いて旧市街の中のイムビスで焼きソーセージと。ザワークラウトを。残った時間は屋外レストランで過ごすことにする。本当はスープでも欲しかったが、料理は時間がかかるとのことで、ビールを。1杯で我慢するつもりだったが、つい美味しくて2杯飲んでしまい、ほろ酔い加減。さすがに3杯目はやめて、水で我慢した。

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 20時過ぎに再び祝祭劇場に戻る。すでに日は暮れて肌寒いくらいだが、聴衆が集まって華やかな雰囲気は続いている。

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 今度はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートである。指揮はヴァレリー・ゲルギエフで、ストラヴィンスキー「詩編交響曲」、ソルグスキー「死の歌と踊り」、プロコフィエフ;交響曲第5番というロシア・プログラム、テノールはセルゲイ・セミシクル。ゲルキエフ指揮のウィーン・フィルというと、2004年に三重県文化会館でチャイコフスキーの交響曲4番を聴き、いたく感銘を受けたものであるが、今回は馴染みのない曲ばかりで、当初は行くつもりもあまりなかったのだ。しかし、「魔笛」のチケットがこの公演のチケットとセット販売だったため、せっかくの機会とばかりに足を運んだのである。それは正解だった、かなりの難曲だと思うが、精緻なオーケストレーションを堪能し、ロシア音楽の魅力に触れることができた。ロシア音楽でも、これだけの演奏を当たり前のように披露するあたりは、さすがはウィーン・フィルといったところか。終演は23時前。外はもう真っ暗である。

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 すっかり人通りの減った旧市街を抜け、ザルツァッハ川を渡る。ここでザルツブルクの夜景を眺める。ホーエンザルツブルク要塞の麓に広がる旧市街、何と美しいのだろうか。人口15万人の小さな街に過ぎないはずのザルツブルクにこれだけの魅力が溢れているころに心の底から感動した。明日は朝一番でドイツへ向かう、このザルツブルクともお別れである。

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新市街側のホテル・ザッハー

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旧市街

 マカルト広場でしばらく待って大混雑のトロリーバスに乗り、ホテルに戻る。ホテル内の自動販売機でビールを買って寝酒にしようと思ったら、同じことを考える人は多いようで、ビールだけ売り切れ。結局部屋に1本だけ残っていたビールを飲んで一日を終えたのであった。
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klaviermusik-koba

なるほど、これは知らなかったです。シカネーダの没後200年記念のであるのですか。道理で魔笛に力が入るのですね。日本ではあまり聞きませんが。素晴らしい公演の数々、うらやましいです。
by klaviermusik-koba (2012-10-05 12:19) 

HUH

kobaさん、私はシカネーダの存在自体をちゃんと認識していませんでしたが、今回魔笛を聴いたのをきっかけに、いろいろと勉強になりました。日本でも良い演奏会は多いと思いますが、こんな密度で体験できるのは、世界広しといえどもザルツブルク以外にはなかなかないでしょうね。
by HUH (2012-10-10 01:16) 

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