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1980年代のInterCity (2) [ドイツ鉄道 列車]

 1980年代のICを紹介するシリーズの2回目は、ICの牽引機の変遷についてまとめたい。1971年の運転開始以来、ICの大半は103.1形が牽引する1等客車編成で運転されたが、一部のICには601/602形 (VT11.5)や403形も使用されていた。しかし、1979年夏ダイヤで、IC ‘79のコンセプトに基づき、ICの全列車で2等車連結が行われることとなり、1等車のみで構成された601/602形、403形はIC運用から撤退した。
 IC ‘79により、ICは各路線とも2時間間隔から1時間間隔への運転となり、152列車へと大増発された。増発に対応するため、103.1形はオーストリアでの運用を取りやめられ、極力ドイツ国内で運用されることとなった。さらに、Bw Frankfurt (M) 1と、Bw Hambueg-Eidelstadt所属の103.1形は路線を分けるのではなく、双方の機関区所属の103.1形ともIC全路線を分け合う形で一体的な運用が組まれ、より効率的なものとされたが、それでも144両の103.1形で全てのICの牽引を賄うことは不可能であった。そこで、200 km/h走行を行わないICについては他形式も用いられることとなった。IC-Linie 4のうち、Hannover – Wuerzburg – Ingolstadt – MuenchenのIC 680-685 / 688 / 689 については111形の牽引とされた。ただし、Augsburg – Muenchenには200 km/h走行区間があるため、Linie 4のうち、Wuerzburg – Augsburg – Muechen経由で運転される列車については、引き続き103.1形が牽引した。この他、Frankfurt (M) – Wiesbadenは110.1形の牽引となり、またICの一部が延長運転するMuenchen – Salzburg、Muenchen – Mittenwaldについては111形またはOeBBの1042形/1044形が担当することとなった。このように、ICの一部に他形式が使用されるようになったにも関わらず、103.1形は予備機や他の旅客列車に使用される機関車を除いても、1日114両がICに使用された。

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ICにも使用された111形 (写真提供: Akiraさん)

 IC ‘79に伴う変化として、2等車の連結による牽引重量の増加も挙げられる。ICは通常、1等車3両、食堂車1両、2等車7両で構成され、牽引重量は500tであった。103形は元々400t列車で平地での200km/h走行が想定されており、この牽引重量は想定を上回るものであったが、実際には600tにおよぶ列車でも200km/hを行うこととなった。103.1形の1日の平均走行距離は1.330km、最長仕業は2.144km (Bw Hamburg-Eidelstadt所属機の仕業、Hannover – Nuernberg – Hamburg-Eidelstadt – Koeln – Hamburg Hbf)に及び、103.1形は牽引重量の増加に加え、一ヶ月で30.000~40.000km走行する過酷な運用をこなすこととなったのであった。
 1981/1982年冬ダイヤからは三相誘導電動機を採用した新型電機120形の試作車のうち、120 005が試験的に103.1形の運用に組み込まれた。120 005は日曜・月曜・木曜・金曜のIC 671 (Mannheim – Basel Badbf)とD200を牽引した。1983年夏ダイヤからは120形の試作車全車 (120 001-005)が運用に就いた。120形はBw Hamburgに配属され、2運用が組まれた。120形が使用されたのはMuenchen – Nuernberg –Frankfurt/Mで、具体的にはIC 181 / 521 / 522 / 524 / 563 / 580 / 624 / 685 / D762 / 933のMuecnhen – Nuernberg間、IC 560のMuenchen – Frankfurt/Mを担当した。
 ICは軍関係者の利用が増えるため週末の混雑が激しく、1982年夏ダイヤでは、週末の未運転されるICが設定された。週末運転のIC牽引用に、Hamburg所属の103.1形について週末に4運用が組まれた。1982/83年ダイヤ、1983/84年ダイヤでは103.1形の1日に121両 (Bw Frakfurt 1所属: 60両、Bw Hamburg-Eidelstadt所属: 61両)が運用されることとなり、103.1形の歴史の中でも最も多い運用数であった。1運用あたりの平均走行距離は1.358km、最長仕業は1.862km (Koeln – Hamburg-Altona – Stuttgart - Dortmund)であった。


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103形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)

 1985年のダイヤ改正では、IC ‘85のコンセプトの元、ICの路線網が再編され、大増発が行われた。103形の運用は極力ICに集中され、Linie 4を含め、大半の路線は103形が再び担当することとなった。ただし、Linie 4aだけは112形の牽引とされた。IC以外の運用げ減少したことで、Bw Frankfurt 1所属機は54日間の運用、Bw Hamburg-Eidelstadt所属機は53日間の運用となった週末のICの運用なども存在した。

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103形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)

 1987/88年冬ダイヤからは120形の量産機が登場、Linie 4 Hamburg – Muenchen間に投入された。1988年5月29日には高速新線NBS Hannover – Wuerzburgが開業すると、Linie 4は高速新線経由の運行へ切り替えられた。当時、103形は高速新線に対応しておらず、120形が活躍することとなった。

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高速新線を走る120形牽引のIC (写真提供: Akiraさん)

 また、このダイヤ改正では、Linie 1がHamburg – Koblenz - Wiesbaden – Frankfurt/Mから、Hamburg – Koblenz – Mainz – Stuttgartに変更されたのに伴い、WiesbadenへのICサービスを維持するため141形とSilebrlinge客車2両を改装した接続用IC列車がWiesbaden – Mainzに登場した。120形の登場で、103形のIC運用は減少したが、1988年9月にInterRegioの運転が開始され、103形もIRに投入されるようになった。しかし、IC牽引の中心となるはずであった120形はトラブルが続出したこともあり、わずか60両で増備が打ち切られ、103形のICでの活躍は1990年代も続くこととなった。103形がIC牽引の中心的な存在から離れたのは、101形が登場した1997年のことであった。
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Akira

HUHさん、おはようございます。

拙い写真をお使いいただいてありがとうございます。私がドイツに居た最初の頃は、本当にTEEカラーとタルキスカラーのICやECが中心でしたから特に珍しくもなかったのですが、白地に赤帯しかいない今となっては、懐かしいばかりです。もっと沢山の写真を撮っておけば良かったと思っても後の祭りですが、少しだけでもその証となる写真が撮れた事が良かったと思います。
by Akira (2010-03-23 09:41) 

HUH

おはようございます。
本当に写真は助かります。当たり前にやってくる時、というのが全盛時代だと思います。そういう意味では、103+ICの全盛時代は1980年台だったのでしょうね。
写真を本当に有難うございました。
by HUH (2010-03-25 07:56) 

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