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1980年代のInterCity (1) [ドイツ鉄道 列車]

私がドイツに住んだ1980年代のドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄DB)を象徴する存在と言えば、103形電気機関車の牽引するInterCityであろう。私にとっても極めて印象深い全盛時代のICを、数回に分けて取り上げようと思う。

 1971年に運転が開始されたICは、当初は4路線が設定された。

(Linie 1) 
 Hamburg – Bremen – Essen – Koeln – Mannheim – Stuttgart – Augsburg - Muenchen
(Linie 2)
 Hannover – Wuppertal – Koeln – Wiesbaden – Frankfurt/M – Wuerzburg – Nuernberg – Muenchen
(Linie 3)
 Hamburg – Hannover – Goettingen – Frankfurt/M – Mannheim – Karlsruhe – Basel
(Linie 4)
 Bremen – Hannover – Goettingen – Wuerzburg – Muenchen

 このネットワークにはICとだけでなく、TEEも組み込まれ、34列車がIC、14列車がTEEであった。当時はICはTEEと同様、1等車のみで構成され、各路線とも2時間間隔の運転であった。
 ICの運転開始により長距離利用客は増加したが、激しくなる一方の航空機との競争に対応するため、DBは高速化とサービスの多様化を図った。路線整備の遅れや、1972年にRheinweilerで発生した103形の脱線転覆事故の影響で、ICは長らく最高160km/hに留まっていたが、1977年夏ダイヤからMuenchen – Augsburg間で最高200km/h運転が開始されたのを皮切りに、翌年にはMuenchen – Donauwierth、Bremen – Hamburg、Uelzen – Hannoverへと200km/h運転区間が拡大された。さらに1976年からはLinie 4で試験的に2等車の連結が開始され、1978年夏ダイヤではICのうち46本のICに対し2等車が連結された。また、Linie 1は部分的に1時間間隔へと増発された。
 このようなICネットワークの再編は”IC 79” プロジェクトと呼ばれ、1979年5月27日からの夏ダイヤで完成をみた。”IC 79” の”Jede Stunde, jede Klasse (Every hour, every class)”というスローガンの通り、1979年夏ダイヤではICの全列車に対し2等車が連結され、各路線とも運転間隔が1時間間隔へ短縮され、大幅な増発を実現したのである。さらに、HannoverでLinie 3/4、DortmundとKoelnでLinie 1/2、MannheimでLinie 1/3、WuerzburgでLinie 2/4を同一ホームで接続させ、3,115kmに達するICネットワークの完成度が飛躍的に高まった。

0208_000_4.jpg
103 185-5 mit IC 109 "Rheinpfeil" (Essen Hbf, 1981)

 1980年以降も、Brakwede – Hamm (Westf)、Lengerich – Sudmuehle、Mertingen – Donauwoerth、Bremen – Osnabrueckで200km/h運転が開始され、200km/h運転区間は282.7kmに達した。また、1982年には”IC-Kurierdienst”と呼ばれる、ICを利用した高速荷物配送サービスが開始された。
 ドイツの鉄道が150周年を迎えた1985年には、DBは”IC 85”というコンセプトの元に、ICネットワークを再編した。

(Linie 1)
 Hamburg – Bremen – Essen – Koeln – Koblenz – Wiesbaden – Frankfurt/M
(Linie 2)
 Hannover – Essen – Koeln – Mainz - Mannheim – Heideberg – Stuttgart – Muenchen
(Linie 3)
 Hamburg – Hannover – Goettingen – Frankfurt/M – Karlsruhe – Basel
(Linie 4)
 Hamburg – Hannover – Goettingen – Wuerzburg – Augsburg – Muenchen
(Linie 4a)
 Oldenburg / Bremerhaven – Bremen – Hannover
(Linie 5)
 Dortmund – Wuppertal – Koeln – Mainz – Frankfurt Flughafen – Frankfurt/M

 特徴的なのは、Linie 5がFrankfurt空港に停車することである。長距離列車の空港直通は好評で、現在に至るまで発展を続けている。
 このダイヤ改正で、ICは161列車から219列車へ増えた。200km/h走行区間も450kmに拡大したことで大幅なスピードアップが図られ、平均速度は100km/hから108km/hに上昇した。1等車では飲み物や軽食の配達サービスも開始され、車内サービスの充実も図られた。1985年のIC利用客数は前年の11.5%増となり、1979年と比較すると、750万人から1985年は2240万人へと約3倍に増える成果を上げた。
 1987年5月30日をもって、最後までTEEとして残っていた”Rheingold”が廃止となり、代わりにICの国際列車についてはスイス・オーストリアと結ぶ国際列車についてはEuroCityと呼ばれることとなった。
 1988年5月29日にはドイツで最初の高速新線、NBS Hannover – Wurzburgが開業し、Linie 4はこの高速新線で200km/h運転を開始した。この路線には、120形量産車が投入された。9月25日からは、ICの運転されない区間でInterRegioの運転が開始され、ICネットワークを補完した。
 1991年6月、ICEが開業し、DBの長距離旅客輸送に大きな変革がもたらされた。以降、ICEネットワークの拡大とともに、ICは長距離輸送の中心の座から徐々に下りることになるのである。

 1982年に製作されたICのプロモーションビデオを以下で視聴できる。
http://www.youtube.com/watch?v=HyVmPY2k3rc
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コメント 2

masato-marklin

HUHさん こんばんは
プロモーションビデオ見るとIC ベートーヴェン欲しくなりますね・・・・
やばいですね・・
"Sudwind"はあるのですが・・
28cm客車だし・・・
悩ましいですね。
HUHさんは103を含めフルコンプリート?
by masato-marklin (2010-02-11 22:28) 

HUH

masato-marklinさん
さすが、鋭いですね。実は103と客車全種を注文済みです。でも、2等車が足りない!とうわけで、Trixの2等車3両セットの追加発注も検討しています。私にとっては、80年代のICは幼児期のスーパースター、ICE 3と並んで私にとっては特別な車両です。
ちなみに、IC "Beethoven"は1985年の前後で、運行区間や列車番号がかなり変わっています。メルクリンの新製品は1985年夏ダイヤ、PRビデオは1982年のものです。とはいっても、基本的なイメージはそのままですが。
メルクリンの製品の発売はまだまだ先ですが、待ちきれなくて、ここで80年代のICを特集することにしました。
by HUH (2010-02-11 23:00) 

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