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8月21日 近鉄名古屋→松阪 [紀伊半島 鉄道旅行 2008]

近鉄名古屋線の急行ホームには、各乗車扉ごとに4、5人ずつが既に並んでいた。私は伊勢中川寄り先頭車の列に並ぶ。まもなく、折り返し鳥羽行急行となる列車が入線してきた。編成は鳥羽側から5211系5213F (5163-5263-5213-5113) + 1259系1269F (1269-1369)の6両編成である。
近鉄5200系列は1988年に登場した急行用車両で、JR221系や311系などで採用された3扉転換クロスシート車の先駆けとなった。台車や機器の細かい差により、5200系・5209系・5211系に細分化され、全部で13編成が作成された。現在は名古屋線に9編成、大阪線に4編成が配置されており、名古屋線では入出庫を兼ねた準急運用以外ではほぼ急行専用とされている。名古屋線急行の過半数を担当する主力車両でもある。
近鉄名古屋線は日中は20分間隔で、伊勢中川行・松阪行・宇治山田行が1時間に1本ずつ運転されるのが基本であるが、時間帯によっては鳥羽まで延長される列車がある。

扉が開くと、窓側の席はすぐに埋まってしまった。運転室のすぐ後ろに行き、空くまでは景色を見ながら立つことにした。発車までにさらに乗客が増え、座席はほぼ埋まり、立客も散見された。
7時31分、1分前に発車していった特急を追いかけるように、こちらも発車する。右に急カーブを切りながら上り勾配をゆっくり、地上に出て米野駅を通過、このころからスピードを上げる。左はJR名古屋車両区、キハ85やキハ75といった気動車が停車している。高架に上がると、列車は110km/hまで加速する。この辺りは左に関西本線が並行する区間である。近鉄八田を通過し、程なく減速、急カーブを曲がり庄内川を渡って名古屋市内を離れる。朝のラッシュに合わせ、日中の2~3両編成から4~5両編成に増結された準急や普通、8両編成の特急や6両編成の急行と次々にすれ違う。電車は快調に走り、まもなく最初の停車駅である蟹江に到着する。蟹江は以前は急行通過駅であったが、準急が削減された際に、その見返りで停車駅に昇格した。最前部から構内踏切を渡ったところに改札口があり、先頭車両からはかなりの乗客が降りたが、乗車も多く、むしろ車内は混んだようだ。
蟹江を出発し、日光川を渡ると右手に富吉検車区が見える。この時間は止まっている車両は少なく、アーバンライナーなどの特急車が目立つ。富吉駅を通過し、程なく近鉄弥富に到着する。弥富はJR関西本線と名鉄の駅があるが、住宅に阻まれ、その姿は見えない。ここでも乗車は多く、車内は立客がかなり目立つようになった。
弥富を発車すると加速しながら築堤を駆け上がる。右には関西本線が並行してくる。列車は100km/h以上の高速で全長860.7mのトラス橋で木曽川を渡り三重県に入る。この辺りは木曽川・揖斐川・長良川の木曽三川の河口に近い輪中地帯である。築堤を一旦下ると近鉄長島駅を通過、再び築堤を上がり、揖斐・長良川橋梁を渡る。こちらは全長991.7mのトラス橋である。左には長島スパーランドが遠望できる。近鉄の中ではこの揖斐・長良川橋梁が最長の橋梁で、これに先ほど渡った木曽川橋梁が続く。京都線の木津川橋梁を挟み、4位も桃園-伊勢中川間の雲出川橋梁で、大河川が名古屋線沿線に集中していることが分かる。

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名古屋線に乗って車窓を眺めると、大小様々な河川を無数に渡ることにも気がつく。海抜の低い平野部を走るだけに、名古屋線は水に溢れた路線と言うことができよう。揖斐・長良川橋梁を渡り終えると減速しながら左に大きくカーブする。並行する関西本線には213系が走っていた。213系は2扉転換ロングシートという通勤列車とは思えない車内設備を有していたが、最近は関西本線はボックスシートの313系が中心で、213系5000番台が走る機会はすっかり減っている。築堤上を走り、左の長良川河口堰をみながら、速度制限を受け右に大きくカーブしながら関西本線と養老鉄道をオーバークロスし、桑名駅に到着する。ホームの向かい側には養老鉄道が発着する。近鉄養老線だった時代にはなかった柵が設けられている。桑名駅の出入り口は一番後ろ寄りで、先頭車での乗降は少ない。左前方の西桑名駅からはちょうど三岐鉄道北総線の列車が発車していくのがみえる。
桑名駅を発車すると、一瞬左に北勢線と関西本線が並行する。北勢線は軌間762mm、関西本線は1067mm、そして近鉄は1435mmと3種の軌間を持つ路線が並行する区間である。しかし、北勢線は一旦左に別れた後大きく右にカーブして、我々をオーバークロスしていく。退避線を持つ益生を通過すると築堤に上がり、町屋川を渡る。左にカーブしながら、関西本線をオーバークロスし、東芝の工場が近い伊勢朝日を通過、次の富洲原をを過ぎるとまもなく減速する。45km/h制限でゆっくりと急カーブを曲がる。関西本線をオーバークロス、ここで上り線の右に三岐鉄道が合流、ちょうど保々行が走り去っていった。右カーブ上にある近鉄富田に到着する。富田ではホームに見るからに多くの乗客が待っている。ここで、列車は一層混雑し、新聞を何とか読むのが精いっぱいの混雑となった。
近鉄富田を出発すると順調に加速し、左にコンビナートや競輪場をみながら霞ケ浦を通過する。その先で減速し、右に大きくカーブする。S字カーブで羽津城址の下にある特徴的な形をした二つのアーチ橋をくぐり阿倉川を通過、さらに右に左にカーブが続き、川原町の先で三滝川を渡りながら一旦加速する。

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立ち並ぶビル群が近付き、右から湯の山線が合流すると3面6線の近鉄四日市に到着する。名古屋線では名古屋駅に次ぐ乗降客を誇る四日市だけに多くの乗客が下車し、車内がかなり空いたように感じた。しかし、乗車も思いのほか多く、先頭車の混雑はむしろ増して、いよいよ新聞を読むのも難しいほどの混雑となった。
満員の乗客を乗せて発車、しかし、首都圏の通勤路線に比べればはるかの線路容量に余裕がある、発車してしまえば100~110km/hで快走する。新正を通過し、周囲にコンビナートが立ち並ぶ工業地帯の中を走る。近鉄名古屋線の江戸橋以北は元々伊勢電気鉄道により狭軌で建設され、曲線が多く、厳しい速度制限区間が点在する。近鉄はスピードアップのため路線改良を行っており、白塚・江戸橋間とと共に、この付近は大幅な路線変更が行われた。以前は近鉄は現在の近鉄四日市に近い諏訪を出発すると、急カーブを曲がって国鉄四日市を通り、新正付近で現在の路線に合流していたが、ここを国鉄四日市への経由をやめ、直線的な新線を建設した。旧線の痕跡はわずかながら、四日市市内に残っている。交通量の多い国道23号線をアンダークロスし右に大きくカーブすると、駅前に海山道稲荷がある海山道を通過、左にJRの貨物線が近付いてくる。そのまま貨物線に沿って走り、まもなく塩浜駅に到着する。塩浜駅は最前部に出入り口があり、ここで多くの乗客が降り、車内はかなり空いた。
塩浜を発車すると左にカーブをしながら北楠を通過し、築堤を駆け上がり鈴鹿川派川を渡る。北楠を通過すると減速、右に宝酒造の工場を見ながら急なS字カーブを抜け、楠駅を通過する。再び加速すると快調な速度で飛ばす。長太ノ浦駅の先で長太の大クスの木を右にみる。車窓には田畑が広がり、名古屋周辺に比べて明らかに雰囲気が変わった。ほどなく、鈴鹿線との接続駅である伊勢若松に停車する。前方を見ると、先行する普通が千代崎に停車しているのが見える。跨線橋は最前部にあり、さらに乗客が減った。鈴鹿線の平田町行は上りホームから発車する。3分の接続で、駅員が平田町行はまもなく発車と案内すると、多くの乗客が足早に跨線橋を上って行った。鈴鹿線は鈴鹿市内の中心部へ向かうだけあり、乗客は安定して多い。
伊勢若松を発車すると、前に普通列車が詰まっているだけあって、80km/h程度までしか上がらない。千代崎を通過すると、注意してみると左側に海が望めるのであるが、かなり空いたとはいえ、まだ立客に阻まれ左側を見通せるほどではなかった。減速し、まもなく白子に到着する。白子は鈴鹿市ではかなり東寄りに位置するが、特急も停車する拠点駅である。先行していた普通が待避しており、白子で下車したり、普通に乗り換える客があって、列車はさらに空き、ドア付近のみに乗客が立つ程度となった。
白子を出発すると、列車は一気に加速する。江戸橋までの区間はカーブが多い名古屋線にしては線形が良く、緩い速度制限は何箇所かあるものの、スピードが出る区間である。鼓ヶ浦を通過すると左手に仁王門と三重塔が見える、地元では安全祈願で信仰が深い子安観音寺である。磯山駅の先の中ノ川、千里駅の先の田中川を渡る際には河口に近いため一瞬青々と輝く海が見える。列車は100~110km/hで快走を続けている。豊津上野を過ぎ、しばらく田畑の中を走る。住宅が増え、左に白塚検車区が見ながら、白塚駅を通過する。白塚は私が住んでいたアパートに近い。乗客数は多くないが車庫があり、普通列車の一部はここで運用が分かれるなど運転上の拠点である。木造の駅舎が私にとっては懐かしい。

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白塚を通過すると、右に緩くカーブをしながら、三重県の大動脈である国道23号線をアンダークロスする。ここから今度は左にカーブする。右に浄土真宗高田派の総本山、高田本山専修寺がみえる。お寺の周辺は寺内町としても知られ、今でも参拝者が多いという。昔は名古屋線はより右寄り、高田本山に近いところを走っていたが、スピードアップのため路線改良がなされた。志登茂川を渡る際に、旧線の橋脚の遺構が右に見える。高田本山を通過すると、列車は減速する。左方に三重大や大学病院が見え、これまた懐かしい。まもなく2面4線の江戸橋駅に到着する。ホームの反対側には普通列車が接続している。ここで大学生らしき乗客がかなり降りた。夏休み中であろうから、普段はこの急行はもっと混むのかもしれにない。

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近鉄名古屋線のうち桑名・江戸橋間は伊勢電気鉄道が建設した区間である。伊勢電は1930年には江戸橋からは津市の東寄りを通り、松阪近郊を経由して、伊勢神宮外宮付近にあった大神宮前まで路線を伸ばしていた。一方、近鉄の前身である大阪電気軌道傘下の参宮急行電鉄は、大阪電気軌道を延長する形で桜井から中川、さらに現在の近鉄山田線にあたる中川・宇治山田間を建設するとともに、1932年には中川から国鉄の津駅までの支線も完成させた。伊勢への鉄道建設にあたっての無理な競争がたたって伊勢電は資金繰りが苦しくなり、1936年に参宮急行が伊勢電を吸収合併し、桑名・江戸橋・大神宮前は伊勢線となった。1938年には大阪電気軌道の子会社である関西急行電鉄が桑名・名古屋間を開業させ、悲願の名古屋直通を果たした。それに合わせ、参宮急行は津・江戸橋を建設し、これをもって現在の近鉄名古屋線の原型が成立したこととなった。この時点では名古屋・江戸橋が狭軌、江戸橋以南が標準軌であったが、まもなく江戸橋・中川間が狭軌に変更された。1940年には関西急行電鉄を参宮急行が吸収合併し、さらに1941年に大阪電気軌道と参宮急行が合併して関西急行鉄道が成立し、現在の近鉄の原型となった。江戸橋・大神宮前を結ぶ伊勢線は中川経由の名古屋線・山田線と競合するため、1942年に不要不急路線として一部が廃線になり、その後は江戸橋・新松阪間を結ぶローカル線に転落した。1959年に名古屋線全線が標準軌に改軌され大阪線との直通も可能となり近鉄の幹線として発展していく一方、伊勢線は狭軌のまま残り、1961年にはついに廃止されてしまった。江戸橋駅は今は名古屋線の一中間駅であるが、名古屋線の歴史を語る上では欠かせない存在であり、その痕跡もわずかに残されている。
江戸橋を発車すると伊勢線の廃線跡の細い道路が左に別れていく。こちらは右に大きくカーブしながら勾配を上がり、旧国鉄伊勢線の伊勢鉄道とJR紀勢本線をオーバークロスする。つづいて左に大きく曲がると、津駅である。津はJRとの共同使用駅、駅前には25階建てのホテルがそびえる。2面3線のJRに対し、近鉄は島式ホーム1つだけと駅の規模は小さいが、次々と列車が発着する近鉄に対し、JRは本数が少なく、人影もまばらだ。ここで多くの乗客が下車し、車内は空席が目立つようになり、私も転換クロスシートに腰を下ろした。
津を発車すると紀勢本線と並行する。三重県庁の横を通り過ぎ、切り通しを抜けると岩田川を渡り、まもなく津新町に到着する。津新町は市役所や繁華街が近いため利用客が多く、この列車はいよいよガラガラになった。
津新町を出発すると紀勢本線が左へ分かれていく。丘陵地を登ると、左手遠くに津の港が望める。津近郊の新興住宅地が広がる南が丘を通過すると森林に囲まれるが、再び市街地に戻ると久居に到着する。駅前に自衛隊の駐屯地があり、その官舎が目立つ。
久居を出発すると、名古屋線唯一の無人駅である桃園を通過する。その先で車窓は一気に開け、広々とした田園風景が広がる。右手には青山峠の山々、そして山頂付近の風力発電所の姿も見られる。雲出川を渡ると右から近鉄大阪線が近付く。列車は減速しながら左カーブを曲がり、大阪線と合流して伊勢中川駅に到着する。近鉄名古屋線の旅はここまでである。

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拠点駅中川も直ぐに発車、近鉄山田線に入る。山田線は平坦な区間であり、線形が良く、列車のスピードは速い。車窓は田畑が目立つが、人口の少なくない地域であり、商業施設の姿も目立つ。列車はすうっかり空き、喧騒の後の穏やかな空気が車内を支配する。

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松ヶ崎付近でJR紀勢本線をオーバークロスすると、松阪の市街地に入っていく。右からJR紀勢本線と名松線が近づくと、まもなく松阪に到着する。私はここで下車する。5200系の旅は期待通り、楽しいものであった。列車を見送った後、駅舎に向かう。

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コメント 2

miele

こん○○は!
名古屋駅を出発してからのレポートを拝見しました。鈴鹿市在住で名古屋通勤ですが、正確な描写に脱帽です。ところどころ急なカーブがあり、列車は大減速して、キーキーいいながら通過するのですが、別の規格で整備されていたのを名古屋線にしたのですね。近鉄の急行は名鉄よりも乗り心地が良いと評判でした。。
by miele (2009-05-17 05:07) 

HUH

mieleさん、はじめまして。
鈴鹿市在住ですか?私は津市に6年間住みましたが、伊勢若松で乗り換え、鈴鹿市までアルバイトで毎週のように行きました。F1観戦で鈴鹿サーキットへ自転車で行ったのも良い思い出です。
近鉄名古屋線の急行は良かったですね。近鉄は特急サービスが自慢ですが、名古屋線は急行も快適でした。
ブログも今後の展開を楽しみにしております。今後も宜しくお願いします。
by HUH (2009-05-17 23:48) 

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